ずっと傍にいてください
さっきから汗が止まらない。今日は外は寒くて、暖かい暖房のかかった部屋にいてちょうど良いはずだったのに、今はその温度が気持ち悪さを引き立てている気がする。
「なまえさん、俺と結婚してください。」
目の前にいるのは高校時代の後輩で、現在大学一回生の葵ゆうたくんであるが、彼はテーブルの向こう側で頭を下げてそう言った。普通だったらこれはかなりロマンティックなシチュエーションだろう。でもそんなものじゃない。
「待って待って…。ちょっと整理させて…。」
彼とは確かに高校時代に清いお付き合いをしていた。私も彼のことは好きだったし、ゆうたくんもそれはそれは私のことを愛してくれていた。
でもそれは過去の話なのである。私が大学に入学してから忙しくなって会えなくなって、私が別れを切り出すという形で終わったはずだ。実際今現在まで、私には未練なんていうものはなかった。清いお付き合いとは言ったものの、正直ゆうたくんの愛は重かったし、毎日連絡を取れねばならないのもうんざりしていたので、かなりスッキリしたというのはここだけの話だ。
「何でですか? もうそろそろ良いじゃないですか。俺たち付き合ってから長いですし。」
「はい? 」
何だ、今ゆうたくんは何と言ったんだ。私の耳が確かなら付き合ってるって言った? 私たちが?
ただでさえ汗が止まらないのに今度は少々寒気を感じてきた。
「…ゆ、ゆうたくん。私たちは確か1年前には別れたはずだよね? 」
「? 何言ってるんですか。冗談言ってはぐらかさないでくださいよ。」
ゆうたくんが私をじっと見つめる。その目は真剣そのもので、私がおかしいように錯覚しそうだった。
「……そういえばなまえさん、この前バイトから帰る際に俺の知らない男の人と歩いてましたよね? あの人は誰ですか? 」
私が黙っているとゆうたくんが口を開いた。何が言いたいのだろう。
「俺言いましたよね? こう見えて嫉妬深いからあんまり心配かけないでって。それなのに連絡しても出なくなるし、浮気みたいなことするし。俺最近なまえさんのことが分からないです。」
「ま、待って。浮気っていうか私は」
「俺すごく心配なんです。なまえさんは誰にでも良い顔するから色々な人に好かれるじゃないですか。なまえさんの彼氏は俺なのに。だから俺のモノって証明したいんです。ずっとなまえさんと一緒にいたい。だから結婚してください。」
私の意見を全く聞いていない。その上私の腕を掴んできて、離そうとしてもビクともしなかった。確かに私が別れを切り出した時はものすごく抵抗してきたのを無理やり私が終わらしたんだけど、もしかして彼の中では終わってなかったのか。
「……あの時無理やり別れを切り出したこと悪いと思ってるよ。でも私はもうゆうたくんのこと好きだと思えないよ。だから結婚はできない。ごめんなさい。」
そう言って頭を下げた。とたんに静まり返る部屋。無言のゆうたくん。怖い。チラッとゆうたくんの方を見ると、彼は微笑んできた。その微笑みもこの場にマッチしてなくて怖い。するとゆうたくんは口を開いた。
「……あの時一緒にいた男の人、確か同じ大学の同じ学部の人ですよね。それでゼミも同じなんでしたっけ。」
「え? …何で」
「それからなまえさんが大学二回生の最初の方に付き合ってた人。あの人は別の大学の人でしたよね、確か友だちの紹介で出会ったっていう。あんなチャラチャラした人じゃあそりゃ長く続かないでしょうけどね。」
「え、ちょ、ちょっとゆうたくん? 」
「それからなまえさんと同じグループにいるあの人。なまえさんに前告白して振られてますよね? なまえさんはもう何もないだろうって安心してるみたいですけど、彼まだ諦めないって友達に話してましたよ。」
彼が羅列したのは確かに私の交友関係の話であるが、私はゆうたくんに別れた後は彼と連絡を絶っていたのだ。それなのにどうして全てを知っているのか。思わず絶句してしまった私に、追い討ちをかけるようにゆうたくんが手を握ってきて、さらに微笑んだ。
「俺なまえさんのことなら何でも知っているんです。なまえさんのことを全て分かっていたい。何でって思いますか? それはなまえさんのことを愛しているからですよ。」
うっとりした顔でそう言われても、私は何も話すことができず、ピクリとも体が動かなかった。
「なまえさん。もう一度言います。結婚してください。……じゃないとおれ、何するか分からないです。」
そう言うとゆうたくんは手を握る力を強めた。ギチギチと痛む手に、私は体を震わした。彼は私の周りの全てを把握している。もしこれを断れば彼らはどうなるんだ。そう思ったら答えは一つしかなかった。
「わ、わかった…結婚する。……?!」
体が震えてうまく言えなかったが、何とか返事をしたところでゆうたくんがこちらまで来て私を抱きしめた。力が強くて、思わず顔を歪める。
「……なまえさん。嬉しいです! やっと帰ってきてくれましたね、おかえりなさい! 」
そうやってゆうたくんが嬉しそうにしているが、私は体が完全に硬直してしまっていた。動かない私をよそに、ゆうたくんは続けた。
「これからずっと一緒にいましょうね。愛しています。」
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