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『』……名前






「うーん、朔間先輩今日も絶好調ですね。」

あんずちゃんがそう言ってデスクに腰かけた。あんずちゃんのデスクは私の右となりである。そして私の左となりにはデスクはない。一番端の席なのである。そんな左となりには零さんがどなたかの席のワーキングチェアをぶんどって座っている。座っているというより私に横から抱きついている。しかしもう慣れたもんなので対して相手にしない。カチャカチャと今日も死んだ目でキーボードを打つのだ。

「おやあんずの嬢ちゃん。久しぶりじゃのう。この間握手会に着いてきてくれた時以来じゃから……2週間ぶりとか?」
「そうですね。それくらいですかね。この前の握手会、大変でしたね。朔間先輩のファンが会えたショックでたくさん倒れちゃって。」
「我輩も急に倒れるからびっくりした……。」
『零さんそろそろ仕事ですよね。晃牙くんに怒られますよ。』
「名前ちゃん、この前私が天祥院先輩にもらった十字架は?使ってないの?」
「ふっ。あんなもので我輩と名前ちゃんを引き離せると思ったら大間違いよ、あんずの嬢ちゃん。」
「まぁ私はどっちでも良いんですけど……天祥院先輩の嫌がらせでしょうし。」
「相変わらずあやつはかわいい顔して性根が二回転くらいねじれてるのう。」

あんずちゃんと零さんがそんなやり取りをしているなか、私は焦っていた。具体的に言うと今日の16時までに終わらさないといけない書類があるからだ。手を止めることなくパソコンに向き合う。零さんが抱きついているので、ほんのりローズの香水が香るのだが、そんなことで癒されない。これができないと英智さんや茨くんにどやされる。面倒なので避けたい。

「で、朔間先輩は今日はどうしてここに?また名前ちゃんの邪魔しにきたんですか?」
「いや、今日は我輩も仕事しに来たんじゃよ。」
「とても仕事には見えませんが。」
「名前ちゃんと面談。」
「ほう……。」

あんずちゃんは面倒な気配を察知するとすぐに会話を終了させるところがある。もう会話を終わらせて彼女のデスクのパソコンの電源を入れだした。頼む。もうちょっと時間を稼いでくれ。

「聞いて?あんずの嬢ちゃん。名前ちゃん、今日の12時に我輩とランチ兼面談の予定じゃったのに天祥院くんとの仕事があるからってキャンセルしてきおったんじゃよ?ひどくない?」
「今日までの提出書類が終わってないから仕方ないですよ。それに朔間先輩それ仕事の面談じゃないですよね。」
「え?仕事の話じゃけど……。」
「面談の議事録見ましたけどひどい有様ですよ、毎週。弟のこととかかわいい後輩のこととか事務所の愚痴とか、ただのランチタイムのOLじゃないですか。私だったら問答無用で無視します。」
「ええ、結構辛辣……。」

いいぞあんずちゃん。もっと言ってくれ。そもそもアイドルの心配ごとの相談に乗るために設置している「面談」の時間、皆私物化しすぎなのだ。この前の夏目くんもそうだし、スバルくんも普通に私語の時間だった。スバルくんは言いやすいから私が仕事に関係ないよね?って聞いたら、「名前と最近喋れてなかったから、喋りたくて……ダメ……?」と上目遣いで聞かれたので可愛さに負けてその日は思いっきり私語を満喫した。私自身もストレスがたまっていたので久しぶりに同級生と話せるのは楽しかった。
でもその後にたまっている大量の仕事を見て後悔した。恐るべし、雑談……。
零さんもこの面談を私物化している人たちの一人なのだが、たまに真面目な話もするので断り辛い。なかなかの策士である。たまに私の愚痴とか相談とかも真剣に聞いてくれるから、零さんとの面談は実りあるものにもなりやすい。しかし、今日はダメだ。零さんも怖いが英智さんや茨くんの嫌味の方が100倍怖いというより嫌なのだ。なんだろう、こう……ねとねとしてる?感じだ。

だから零さんの面談を今回はキャンセルさせてもらった。こんなに仕事が捗らないなんてかなり久しぶりなのだ。何故だかみんな最近やたらと構ってくるので、書類仕事がなかなかできていない。

「我輩はただ名前ちゃんとお話をしているわけじゃないぞい。名前ちゃんのメンタルが心配で確認をしておるんじゃ。」
『メンタル?』
「そう。名前ちゃんがESを退職したいと言っていると聞いたからのう。」
『え、やっぱりみんな知ってるんですか?』
「?天祥院くんが知り合いに片っ端から教えてたみたいじゃけど」
『あの野郎、やりやがったな。』

零さんの一言に耳を疑った。どうりで最近みんなしつこいと思った。後輩たちはレッスン終わりにすごいもじもじして何か言いたげにしていたし、先輩たちは斜め上の心配をしてくることが多かったのだ。泉さんは元々過保護なのだが。ちっ、最初に言う相手を間違えた。私が英智さんに内心悪態を吐いていると、零さんはさらにぎゅう、と私を抱きしめる力を強めた。

「可哀想に名前ちゃん……。退職したいって言ったのに退職届を破られた上それを仲間たちにバラされるなんて……。あまつさえ大量の仕事を押し付けられて、今もこうやって苦しんで……。よしよし、我輩の胸で泣くが良い。」
『いた、いでで、零さん力強!ちょ、書類書けないのでちょっと離してください。』
「我輩が天祥院くんに言ってあげるから、いつでも我輩を頼りなさい。よしよし。」
『うーん、零さんが入ると余計ややこしくなるのでそれは遠慮しときます。とりあえず離してください。』

たまに零さんと英智さん両方に仕事の話を持ち込んだ時の会議を思い出して辟易する。この人たち、丁寧な言葉でお互いを罵倒しているので怖いのだ。顔は二人とも笑ってるし武力衝突することもないけど、内心の腹が黒いのがよく分かる。正直合同で仕事をさせたくない。藍良くん、よく寮室で一人耐えてるな。
零さんはまぁ、こうやって私を労ってくれるので優しいのだが。

「またそうやって遠慮するじゃろ。いい加減我輩を頼ってくれたら良いのに……。」
『いやー転校してからお世話になりっぱなしですし退職は個人の問題なので、これからも英智さんとは自分で戦っていきますよ。一応まだメンタルは折れてないので!だから離してください。』
「……ふーーーーーーーーーーーん。」

零さん、私の話もしかして聞こえてらっしゃらない?一向に離してくれないのだが。キーボードが打てない。ただただタイムリミットだけが近付いてくる。零さんは本当に良い人だ。お世話にもなっている。私のことを常に労ってくれるし、優しい。のだが、こうやって時々仕事の邪魔をしてくるのが玉に瑕である。しかもこんな切羽詰まってる時に。それを以前英智さんの前で零したら、とっても爽やかな笑みを浮かべながら、十字架をあんずちゃんに私にまでと渡してきたらしい。「これ、机に置いておいたら良いよ。効くから。」と言って。怖え。

「零くん!名前ちゃんの邪魔しちゃダメでしょ!」
「あいてっ!」
『薫さん。』
「あ、名前ちゃんこんにちは!ごめんね、零くんが!責任持って連れて帰るから!」
『すみません、今日は本当によろしくお願いします。』

結局零さんはどこからともなく現れた薫さんに連れて行かれた。やだー名前ちゃんともうちょっといるーと言っていたが、引きずられていった。まるで大きな子どもである。

「羽風先輩って今日こっちに用あったっけ?」
『さぁ……。まぁ連れてってくれたからこれでようやく仕事ができる……。』

ずーっと黙っていたあんずちゃんが久しぶりに口を開いたと思ったらそんなことを言っていたので薫さんのスケジュールを思い浮かべようとしたが、締め切りが差し迫っているのを思い出して急いでパソコンに向き直る。16時までになんとか形にしなければ。



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「大きな仕事入ったよ。」
『なんて?』
「大きな仕事、入ったよ。」

なんとか先程仕上げた書類も英智さんや茨くんに提出し終え、会議もひと段落つき、茨くんがすたこらさっさっとコズプロに帰っていった時。英智さんがニコニコしながら私にそう言った。必死で書類を作成しながら、これが終わったら今日は早上がりするんだ……!と思っていた私の小さな夢が打ち砕かれた音がした。嘘だろ。大きな仕事入った?

「しかも数件ほど。期間も結構短期間でやらないといけないけど、君にとっても大きな経験になると思うよ。ステージの手配とかも全然やってないみたいで、急遽決めた仕事らしいんだけど……。名前ちゃんだったらできるだろうって。」
『え、何ですかこの書類の山。』
「新しい仕事。」
『嘘だろ……。』

英智さんの机の上にどっさりと書類が乗っているのを見つけ、軽く目眩がした。これ全部を短期間で……って嘘だろ。誰だこんな指示してきた人。悪魔かなんか?

『あの、ちなみに指示してきた方って……。』
「え?朔間くん。」

英智さんの一言に耳を疑った。明らかに顔が硬直する。

『零さん?』
「そうだよ。」
『う、嘘だぁ。零さんはいつも私のこと労ってくれてるんですよ?こんな大量の仕事こんな短期間で入れてくるわけないじゃないですか。』
「まぁ確かに労ってはいるね。この書類渡してきた時も「あー早く我輩に涙目で頼ってこないかなー」ってニコニコしてたし。」
『え、めっちゃ聞きたくなかった。』
「名前ちゃんが昼休みとかに朔間さんに愚痴とか相談事言ってくるのが本当に嬉しいんだって。頼られてる感じがしてゾクゾクするって。」
『そんな生き生きとした顔で追い討ちかけないでくださいよ。』
「ちなみにさっきまで名前ちゃんが大急ぎでやってた仕事、朔間さんに急遽頼まれたものだよ。」

英智さんがゴンゴンと私に追い討ちをかけてくる。あの時の優しかった零さんは全て幻となってしまった。頼って頼ってとはよく言われていたがそういう意図があるとはあまりにも想像つかなかった。あまりにも楽しそうな英智さんにも少し腹が立つが。

『英智さん。』
「ん?」
『十字架追加で。』
「ニンニクも分けてあげよう。」

とりあえず零さんとはしばらく口を聞かないことに決めた。