りあるおままごと
月神香耶side
「ただいま、香耶さん」
「おかえり、総司君」
ごく一般的な広さのアパート。
その玄関ではいつものやりとり。
「お弁当、どうだった?」
「おいしかったよ」
いつもありがとう、なんて私の頬に口付けする総司君に、私の頬はじりじりと熱を持った。
スーツ姿の彼から空のお弁当箱だけ受け取り、じゃれあうようにリビングへ足を踏み入れる。
「今日の晩ご飯はサラダとチキンライス?」
「惜しい。いまから最後の仕上げがあるんだよ」
キッチンに立ってフライパンを構えると、総司君が私の背中にぴたりとくっついた。
「あ、わかった。オムライス」
「正解〜」
私の手に掛かればふわふわとろとろのオムライスが完成。これってこつさえつかめば誰でもできちゃうのだ。
二人掛けのかわいいテーブルに盛りつけられたチキンライスにできたてアツアツのオムレツを乗せて、スプーンを出してないことに気づき、食器棚へと足を向ける。相変わらず総司君は私の背中にひっついたままだ。
「総司君、もうごはんにするから座って」
「香耶さん」
離れるよう促しても総司君は無視して私を抱き込んだ。
「今日、出かけた?」
「え、なんでそう思う、の?」
「だっていつもとにおいが違う」
においって……
「……今日はあったかかったし、ずっとベランダにでてたんだ」
「ふぅん……」
背中から狂気を感じ取って、私はこっそり身震いした。
私がいつから、何をきっかけに、この生活を始めたのかわからない。ただ、総司君が言うには、私は階段から落ちて記憶を失ったらしい。
だからなのか、総司君はとても過保護で、私が一人で勝手に外に出ることをいやがる。
テーブルに向かい合って座ると、彼の透明に透き通った瞳と目があって、私はなんだか落ち着かない気持ちになった。
やましいことは何もないのに。
「ん。おいしい。料理上手な奥さんを持って幸せだなぁ」
「大げさだよ」
淡泊で素っ気ない反応しか返せないけれど、記憶を失う前も私はこんな感じだったらしい。
はじめは記憶のない私が総司君と夫婦として暮らしていけるのか、不安しかなかったけれど、案外気楽に過ごせている。
以前の私がどうだったとか、夫婦の営みとか、そういうことを強要されることは一切なかったから。
「香耶さん、大丈夫?」
無意識にため息が出ていたらしい。総司君に顔をのぞき込まれて、はっと我に返った。
目と鼻の先に端正な顔があってどぎまぎしてしまう。
「あ……だいじょうぶ」
「…じゃなさそうだね」
大きな手のひらでそっと額をなでられる。違う熱が出そうだ。
「片づけは僕がするから、香耶さんは薬飲んで寝てて」
「い、いや……大丈夫だよ。君の方こそ疲れてるでしょ」
だから、と続く言葉は彼の唇で遮られた。
ちゅ、と音を立てて顔をはなした総司君は、唾液に塗れた自分の唇をちろりと舐めて爽やかに笑う。
私の頭を両手で優しく抱き込んで、幼子を諭すように優しい声を吐き出した。
「僕に、香耶さんを大事にさせて」
ときめくのは仕方ないと思う。
「あわわわかった!」
「あはは可愛いなぁ、香耶さん」
そんなところも好きだよ、って笑う総司君は、もうバカみたいにかっこよくて。
真っ赤になった顔を彼から背け、私は逃げるようにリビングを後にした。
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