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月神香耶side
この旅路で初めての露営の晩である。
野宿には防犯的観点から間道など幹線道路を外れた道を選ぶ。
毎回都合よく野宿に適した山小屋や洞窟などが見つかるはずもなく。葉の生い茂った樹木の下などで、太刀の下げ緒をはずし木と木の間に張り、羽織などを掛けてテントの代わりにする、野中の幕術を利用する。こうすれば雨露をしのぎ体温・体力を温存できる。先人の知恵というやつだ。
「うぁー……」
さて皆で陣張りした場所から少しはなれた小川のほとりで、ひとり頭を抱える私がいた。
私の周りにみんなの姿はない。なぜなら私は用足しに来たからである。露営の際のトイレ事情は省くけど。
「まいったな、」
「どうした?」
「っっ!!?」
冷たい清水で手を洗いながら呟くと、それに応える男の声があって、私は驚いてすくみ上がった。
誰だ、っていうか……この声を、私は知っている。
背後を振り返ると同時に何者かが目のまえに降り立った。
「な、ん!?」
「叫ばないでいただこう。ぬしの随員を相手にするのは骨が折れる」
そして真っ先に口を塞がれてしまった。
左手が無意識に“狂桜”を探しさまようが、陣張りのために下げ緒をはずしたため刀を置いてきてしまったことを思い出し、ほぞを噛む。
つまり今の私は丸腰。阿呆すぎ。なにか武器の代わりになりそうなものがないかと脳裏でめまぐるしく考えるが……
間の前の男は、のんきにも顔の大半を隠していた茶染めの頭巾を取り去った。
現れたのは、口調に似合わず若い、烏の濡れ羽色の髪をもつ男の顔。
伴太郎左衛門資家。
「久しいな。盟王月君……香耶」
「…………」
もと史実では徳川の忍である伴太郎は、この世界では完全なる抜け忍扱いだ。以前私をさらった当時彼を雇っていた今川さんも、伴太郎の行方を知ることはなかった。仲間の甲賀忍たちをおとりにして単独逃げた先は、今川でも甲賀でもなく……一体なぜ今になって私の前に現れたというのか。
「離、せっ」
「そう警戒するな」
ともあれこいつの過去の所業のせいで私の中の警戒指数はMAXを振り切ってるのだ。
肩を押されて岩場に背を押し付けられる。伴太郎は私の身に身体を寄せて、一瞬周囲に視線を向けた。
なんだ……?
疑問に思ったのは一瞬だった。
「っ!」
伴太郎が私を強引に引き寄せると同時に、木の上から降ってくる殺気と手裏剣の雨。伴太郎が私の腰を抱えたまま小川の石を飛び移ると、それを追うように十字手裏剣がスカカカカッと硬い音を立て石に突き刺さるのだ。
石に突き刺さる手裏剣てどんだけだよ……下手に毒が塗ってあるより恐ろしい殺傷力だ。
が、私はというとまったく別の理由ですでに満身創痍になっていた。
「伴…、腕の力ゆるめて」
「なんだ、ぬしは腹が痛かったのか」
「…………君には一生わからない理由でね」
「成る程。月役か」
即効ばれたし。
私が頭を抱えていたのはこういうわけだ。せめて出発を三日ずらしてればこんな事態に陥らずにすんだのだけど……
こいつが何の目的で敵襲から私を守ろうとしているのか判然としないが、腹痛を抱えた女を庇いながら勝算があるというのだろうか。
もうほとんど日が落ち、対峙する人物の顔の判別も難しくなってきた黄昏時。
伴太郎から周囲へと目をむければ、黒い装束の忍たちに囲まれてるのがわかった。
「えぇと……みなさんどちらさんですかね?」
「答える必要は無い」
デスヨネー。
せめて、明月か伴太郎か、どっちを狙ってるのかくらい教えていただければ逃げようもあるんだけどなぁ。
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