音駒ハロー
ふんふんと鼻唄を鳴らしながら、パーカーを羽織った影が歩く。
すれ違う少女たちはその顔に視線をとめては興奮ぎみで隣の連れと囁いていた。
「えっ、今のひとかっこいい!」
「きれーい!モデルみたい!」
時には声をかけようかという積極的な声もあったが、影は気にすることなくすいすいと人混みを縫って歩く。
爽やかと評するに相応しい外見のその影は、やがてとある場所で足を止める。
影は耳を塞いでいたイヤホンを巻き取り、音楽プレーヤーの電源も落とすと改めてその場所を見つめた。
少し古びた金属の文字盤に、ゆっくりと目を細める。
『都立音駒高等学校』
「良かった、迷わず着けて」
小さく漏らした言葉は誰に聞かれることもなく消えた。
◇◆◇◆◇
影が足を運んだ先は体育館だった。
キュッキュッ、とシューズと床の擦れる音と共にボールが床を叩く音が響き渡る。
体育館を覗いた影は、しばらくコートを駆け回る面々を眺めていたがやがてこちらに気付き、そして「はっ!?」と間の抜けた声を発してくれた目的の人物に向けて軽く手を上げる。
「やっ、衛輔。元気かい?」
「は!?ちょ、おまっ…なんで!?」
ベージュの短い髪と、周囲に比べずとも小柄な体躯の少年が慌てたように駆け寄ってくる。
夜久衛輔、2年にして音駒高校バレーボール部の正リベロだ。
その後ろ、なんだなんだと活動中の手を休め、誰も彼もがレギュラーメンバーのひとりの出迎えに行った相手に視線を送る。
「夜久さん誰っスかあの優男」
真っ先に警戒体勢に入った山本猛虎は名指しされた夜久に凄みをつけて聞いた。
しかし当の本人はそれをスルーすると、つかつかと問題の人物に歩み寄りそしてスパンとその頭をひっぱたく。
「お前またんなカッコして…なんなの?」
夜久はその胸ぐらをつかみ引寄せながら言った。
爽やかに笑顔を浮かべたままの相手は、アハハと朗らかに笑いながら弁明する。
「いやいや、別に男装のつもりは無いんだけどね。服買いに行くとカワイイ店員さんにこーゆーのすすめられるから買っちゃうだけで」
男装、の単語に二人の会話を見つめていた部員たちはどよめいた。
中でも山本は可哀想なくらいに狼狽し、回らない舌で確認の声を上げる。
「男そっ……えっ!?女子!?」
しかし夜久は後輩の声をまったくスルーしていた。
今はのらりくらりと受け答えしていた少女にヘッドロックの真っ最中だ。
「…夜久。何、知り合い?」
黒尾鉄朗は腕組みして無言で傍観していたが、やがて近くまで寄っていって声をかけた。
クラスメート兼部長の声に、腕の中の人物の首をギリギリと締め上げながら呻くようにして答えた。
「……幼馴染みっ…」
「あ、どうも。久米岬っていーます。衛輔がお世話になってま…あいたたた」
「ほほー。いや、夜久にはコッチが世話になってまして」
締め上げられながらも爽やかに挨拶を口にした岬に黒尾は珍しそうな視線を投げ掛けた。
が、技をかけかけられている二人にそれ以上の余裕はなく、マンツーマンでの会話が始まる。
「お前何しに来たの?冷やかしなら帰れ」
「やだな、衛輔の勇姿を冷やかすなんてナンセンスなことするわけないだろ。純粋に見に来ただけ」
岬は清々しいまでに笑顔を崩さずそう告げた。
それから無事な首から下を器用に動かし、持っていた袋を差し出す。
「ほら、差し入れ」
「……サンキュ」
夜久はぎこちなく岬を解放すると差し出されたものを受け取った。
所在なさげに立ち尽くしながらも、幼馴染みと称した少女と包みとを見比べる。
「どういたしまして。じゃ、そろそろ帰るよ」
「へ?」
が、当の岬は爽やかに手を立てるとあっさりと別れを告げた。
拍子抜けした夜久が目をぱちくりさせると、いやぁと頭をかきかき岬は説明する。
「さっきクラスの子からメールが来てさ、デートに誘われてるんだ」
「さっさと行ってしまえ」
「もー行くって。届け物だけはしたいってワガママ言って来たから待ち合わせ場所まで走らないと」
夜久のツッコミにもめげず、岬は黒尾含む周囲に軽く会釈して幼馴染みに向け笑顔を見せた。
毛先に行くにつれ色濃くなった茶髪がさらりと揺れ、天井の電球に照らされて金色に輝く。
「じゃあ衛輔、頑張って」
岬はにっこりと歯を見せて微笑むと軽やかな足取りで体育館を去っていった。
黒尾はなんとなくその背中に手を振り、やがて見えなくなったところで足を忍ばせてクラスメートの隣に立つ。
覗き込んだ夜久の頬は、赤かった。
どこか悔しそうにも見えるしかめっ面だが、その表情に黒尾はほほぅと目を細める。
「…夜久ってもしかして」
「言うな」
ニヤリとしながら問い質そうとすると夜久はぴしゃりと撥ね付けた。
が、聞くことはやめたもののニヤニヤニヤニヤと見続けた黒尾には耐えられなくなったらしく、夜久はヤケクソ気味の声でそれを紡ぐ。
「………惚れてるよ。昔っから」
拗ねたような、ただ恥ずかしがっているような夜久は手にした袋をグッと握り締めた。
黒尾はさも面白いものを見付けたと言わんばかりに笑みを深め、孤爪研磨に呆れ返った視線を向けられながらも顎をさする。
「おンやぁ?ならデートってまずいんじゃ」
「それは平気。クラスの子っつったし」
黒尾はふと気付いた事実で茶化そうと口を開いた。
が、夜久はそれをスパッと切り捨てる。
その内容に黒尾が納得できぬとばかり首を傾げると、夜久は淡々とした口調で答えを言った。
「あいつ、この近辺の女子高通ってるから」
黒尾は先程まで見ていた爽やかな笑顔を思い返して、パズルのピースが嵌まったような感覚を覚えた。
俯いた夜久に、とりあえず思った通りの感想を告げる。
「……なんか納得したわ」
「………納得されても複雑だよ」
夜久は肩を落とし、長々と溜め息をついた。
今だ固まったままの山本、げんなりした夜久、同情顔の黒尾。
研磨は遠目ながら、えらくカオスなことになっているチームメイトに関わらないでおこうとそそくさと身を引いた。
その甲斐空しく、彼の幼馴染みたる黒尾に巻き込まれることとなるまであと数分。
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