馬鹿の風邪
その日、夜久は久米家に入り浸っていた。
部活は顧問とコーチが風邪でダウンのため、やむを得ず臨時休み。
久しぶりに岬を誘って遊びにでも出ようかと思っていたのだが、風邪はその幼馴染みにも及んでいた。
「珍しいよな、お前が風邪ひくなんて」
夜久はぬるくなった冷却シートをはがしてやりながら浅く息を繰り返す幼馴染みを見下ろした。
その傍らには少しだけ食べ残しのある小振りな丼があり、まだ冷たそうなゼリーとスポーツ飲料は夜久持参の見舞いの品だ。
岬は乱れた前髪をだるそうに直しながらも眉をしかめた。
心底無念そうな声で己の諸行を悔い改める。
「くっ…やっぱ昨日黒尾くんとナスカの地上絵ごっこで雪にダイブし回ってたのがダメだったか…」
「お前本気でバカなの?」
というか俺の友達と何やってんの?と夜久は半目で幼馴染みを見下ろしていたが、やがて溜め息をついてその額にぺたりと掌を乗せた。
冷えた指先も1分と経たないうちに暖まるほどの熱さに思わず眉をしかめる。
「もりすけー…」
「んー、何」
38度後半くらいだろうか、と考えながら夜久は甘えるような声に返事した。
いつもよりもやや覇気にかけるその声はふにゃらふにゃらとしたまま続ける。
「風邪うつったらごめんよー…」
「…普通、風邪うつるからもういいよじゃない?」
夜久は首を傾げながらも自分の掌の先を見つめた。
じんわりと潤んだような目と視線がかち合い、心臓がどきりと高鳴る。
「だって衛輔、そんなん言ったとしても絶対看病してくれるっしょ?」
にひ、と白い歯が覗き、悪戯っ子のように笑いながら岬は言う。
図星をつかれた夜久はさっと頬を染めるとそっぽを向いた。
そんなことをしたって見透かされることは今までで散々わかっていることなのだが、やらずにはいられないのが人の性というものか。
「ありがと」
岬は上気した顔ににっこりと笑みを浮かべた。
普段のものでも惚れた弱味で刺激的なそれは、健気さがプラスされたようでその破壊力は倍になる。
「ほら!薬飲んで寝ろよ」
夜久は照れ隠しにぶっきらぼうに言うと、傍らにあった薬の袋を掴んだ。
用量を確認し必要な分だけ切り離して病人を見やる。
と、その岬は布団に潜り込んで狸寝入りを決め込んでいた。
その証拠に、呼吸による胸元の上下がどこか不自然だ。
「………」
「…岬?ほら、寝るの飲んでからだってば」
夜久は言いながらちょっと岬を揺らした。
しばらく無言で抵抗していたが、やがて岬は嫌そうに眉をしかめながら布団から顔を出す。
「粉薬嫌いなんだも〜ん…」
「コラ」
またモソモソと布団に引きこもろうとした岬を捕まえると夜久は辛抱強く言った。
「飲まないと治んないぞ」
「……だって…」
珍しく岬は膨れっ面で拗ねたように唇を尖らせていた。
ちょっと子供のようにも見えるその様子に、つい口元が緩みそうになる。
夜久はぽんぽんとその頭を撫でてやると優しく微笑んだ。
きょとんとして見上げてきた岬と視線がぶつかるとこつりと額を合わせ、柔らかな声で告げる。
「岬が元気じゃないと…調子狂うんだよ。だから、早く治せよ」
「…もりすけ…」
◇◆◇◆◇
「で?何?イチャイチャしながら薬飲ませて?口直し〜とか言ってチューでもしたか?」
翌日の学校、昼休みの教室。
ややくぐもった声ながらも、明らかに面白がるような調子で黒尾はその先を促した。
その口元を覆うマスクの理由は言わずもがな。
ぱら、と雑誌のページを繰った夜久はいや、と首を振ると淡々とした表情でその答えを口にした。
「「だが断る!」とか言いやがったから最終的にチョークスリーパーで固めて無理矢理飲ませた」
「調子狂うんじゃなかったのか?」
窓の外、雪の気配も消え去った冬空は浮かぶ雲が青空に美しく映えていた。
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