あた婚! | ナノ

オレの眠りを妨げるようなことがあったら容赦なく叩き出すからな

政宗に無理やり連れてこられたのは、三十階建ての高層マンションだった。最上階を見上げようとするだけで首が痛くなる。どうやら政宗はここで一人暮らしをしているようだ。現時刻を以ってあたしもここに住むのだから、一人暮らしをしていたというべきか。こんな立派なマンションに一人暮らし……社長って儲かっているのかな。伊達グループの偉大さをまた一つ思い知った。

「お、お邪魔します……」
「なーにびくついてんだよ。今日からここはお前の家でもあるんぜ」

と言われても、こんな高級マンションに足を踏み入れる日がくると思っていなかったし、その高級マンションに住む日がくるとはもっと思っていなかったんだから無理もない。今まで1LDK住まいだったのに、どういうわけか一夜にして立派なマンション住まいになることになった。急にハードルを上げられると戸惑うばかりである。こんなところに住むのねあたし……慣れる日はくるのか。

「で、ここがお前の部屋だ。好きに使え」

政宗に案内されたのは一つの部屋の前だった。ここがあたしの部屋で、中にあたしの家から無断で持ち出した荷物があると言う。うちにあったものはベッドや本棚、テーブルでしょ。それがこの部屋に運ばれたのはわかったけれど、じゃあ冷蔵庫や洗濯機といった大型家電は? 家具だけでなく大型家電まで収納できるとは思えない。

「それなら処分させたぜ?」
「はあ!? 処分したですって!?」

政宗の予想外の言葉にあたしは素っ頓狂な声をあげた。彼の胸倉を掴み鬼の形相で詰め寄る。どんな理由があろうとも人の持ち物を勝手に処分するなんて許せない。なにより買い換えたばかりだったのよ、洗濯機は。折角奮発して高い最新型にしたっていうのに、ろくに使わないまま処分されたらたまったものじゃない。

「洗濯機や冷蔵庫ならうちにもあるぜ。お前が使っていたものなんかより、よっぽど良いものがな。同じものを二台もいらねえだろ?」

しれっと答える政宗にそういう問題じゃないだろと思いつつも、呆れて言葉が続かない。たしかに同じものを二台もいらないけれど、せめてあたしに一言言ってから処分してほしかった。人として。

「あたしの冷蔵庫や洗濯機を処分したってことは、政宗のやつを使ってもいいってことよね?」

もしダメだって言われたら問答無用で一発殴ってやる。ビンタじゃない、グーでだ。

「Yes いいに決まってるだろうが」
「なら……まあ勝手に処分したことは許してあげるわ。ただしあたしは自分の分しか洗濯しないからね。あんたも自分の分は自分でやってよ」

なんで赤の他人の、それも男の下着まで洗濯せにゃならんのだ。乙女の恥じらいならちょっとだけ持ち合わせているのよ。これでもね。いい加減部屋の前で立ち話もなんだと思い、あたしは政宗が用意したという部屋のドアノブに手をかける。これだけ広いマンションだ、あたしの部屋もさぞかし広いんだろう。……まさかとは思うけど、物置みたいな部屋じゃないわよね。どこぞの継母みたいな姑息な嫌がらせはしてこないわよね!? ドキドキしながらゆっくりとドアを開けた。

「………政宗、なにこれ?」

ドアの向こうに広がっていた世界は、広いというよりゴチャゴチャしているの言葉につきる。そりゃそうだ。部屋の真ん中にあたしが使っていたベッドやテーブルが無造作に置かれ、部屋の隅っこには本棚が無理やり置かれていたのである。周りには荷物を強引に詰めたと思われるダンボールが何個も転がっていた。明らかに適当に放り込んだと見える。

「あたしの荷物を勝手に運んだ挙句そのまま放置しやがったのね!」

あたしの予想ではベッドやテーブル、本棚といった大きな家具は既に配置されていると思っていた。ダンボールだって綺麗に並べられていると思っていたのに…。なんですかこのとりあえず置いておきました感は。勝手に荷物を運んだんだから、最後まで責任を取りやがれ。恨みがましい視線を政宗に突きつけると、彼はニヤリと笑いながら「オレは手伝わねえからな」と先手を打ってきた。あたしはぎょっと目を丸くさせる。

「え!? ちょっと、今からこれ一人で片付けろって言うの!?」
「Yes なるべく早く片付けろよ。オレの眠りを妨げるようなことがあったら容赦なく叩き出すからな。You see?」

ユーシーじゃないわよ! 嫌味ったらしく高笑いをあげている政宗の背中を見ながら、あたしは拳をわなわなと震わせていた。政宗は本当にあたしの手伝いをするつもりはないらしく、自分はさっさとリビングのほうへ向かって歩き始めている。一人で片付けるだけじゃなく、政宗様の眠りを妨げるなというお達しまでくる始末。眠りを妨げるなイコール静かにやれということだろう。

でも物音を立てずに片付けをしろっていうのは不可能だ。家具の移動さえなければまだ可能だったのかもしれないのに、そう思うだけで怒りの拳の威力が倍加した気分になった。そもそも女一人で家具の移動は少々骨が折れる。政宗を呼んでせめて家具の移動だけでも手伝ってもらおうかな。

いやいやダメだ。それだけは死んでもダメ。あいつに頭を下げるなんてそれこそ無理!馬鹿にされるのだけは避けなくちゃ。こうなったら意地でも一人で終わらせてあいつをあっと言わせてやる。あたしを突き動かすのは単なるプライド。政宗の思い通りにさせてなるものかという、醜い女のプライドだ。しかし時にはそのプライドも役に立つこともあるのだと、それから少ししてから実感したのだった。

先ほどから華那の部屋では大きな物音や奇声が鳴り響いていた。何が起きているのか直接見ているわけではないのに、物音や声で大体の想像はつく。大方華那が今日中に終わらそうと躍起になっているのだろう。物音は家具や荷物を移動させる音、奇声は荷物が引っくり返ったり、気合をいれるときに自然と出ているのかもしれない。とにかく聞いていて面白い。

リビングにあるソファに座りながら、政宗はクツクツと笑いを噛み締めていた。政宗が笑うたび、手にしていたグラスの中の氷がカランと音を立てる。ベッドや本棚を動かすのは女じゃ骨が折れる作業なのに、華那は本当に一人でやってのけるつもりでいるらしい。てっきり自分に泣きついてくると思っていたのに。政宗の予想は良い意味で裏切られた。

可笑しな女。それが華那に対する印象だ。伊達グループの次期社長と知っても自分に媚びるような真似をせず、それどころか憎まれ口を叩いてきたのだ。総資産一兆円を越えると言われているあの伊達グループなのに、だ。少なくとも政宗が知り合ってきた女全ては、政宗の後ろにある地位と財産に惹かれていた。

しかし華那は違う。少なくとも今まで知り合ってきた女達とは明らかに何かが違っていた。夫婦なのだから一緒に住まなくちゃいけない。そう言ったのは他ならぬ政宗自身である。しかしそう言った政宗自身が一番驚いていることは華那には秘密だ。華那の言うとおり一緒に住まなくても、適当に理由を並べればなんとでもなる。

しかし自分はあえてそれをしなかった。面倒なことに一緒に住むという選択肢を選んだのだ。それが政宗からすれば不思議でならない。わざわざ面倒なことを自分から提案してどうする。……この女となら一緒に住めるとでも思ったのかオレは。

「考えてもラチがあかねえな……」

政宗は自嘲めいた笑みを引っ込めると、おもむろに立ち上がりキッチンへと足を運んだ。

「ふふふ……終わった、終わったわよ。あたしは勝った、伊達政宗に勝ったのよー!」

片付けを始めてから約四時間が経過したが、ようやくある程度の片付けは終わり、足元はすっきりしていた。あとは細かい荷物を片付けるだけだが、これらはそれほど急ぐ荷物ではないので後に回しても大丈夫だ。細かいインテリアはこの際後回しにして、今はとりあえず眠るスペースを確保できただけで満足にしておく。

「それにしてもお腹減った……近くにコンビニあったわよねえ」

思い返せば今日一日ろくに食べていないことを今更ながらに思い出した。それに加えていきなりの重労働である。何も食べていないことに気がつけば、それに合わせたように腹の虫も鳴り出した。けっこう大きな音がしたぞ。たしかここに来る前車でコンビニの前を通ったはずだ。道はなんとなく覚えているから大丈夫だと思う。そこでなんか買ってこよう。コンビニに行ってくるって政宗に言うべき? でもま、あたしも子供じゃないし政宗も保護者じゃないんだし、そこまで気を使う必要はないよね。

「Hey どうやら片付けは終わったようだな」
「政宗!? 入るならノックしてから入りなさいよ。ここはもうあたしの部屋なのよ!」

いつからそこに政宗がいたのか全くわからなかった。しかしドアはこの通り開いていて、部屋の壁に政宗は凭れきっている。見下されているような気がして、あまりいい気分ではない。

「んなことオレの知ったことじゃねえよ。それよりこっちに来い」
「なんでよ。それよりあたしはお腹が減っているの。今からコンビニに行こうと思っているんだけど……」
「だったら尚更だな。黙ってさっさと来やがれ」

政宗の偉そうな態度にムッとしつつも、早くコンビニに行くためにもここは素直に従うべきだろう。あたしはリビングへ向かう政宗の背中を足早に追いかける。

「ほらよ、食え」

リビングにあるテーブルの上には一枚のお皿とコップが置かれていた。お皿の上には二つのおにぎりが、コップの中にはお茶らしい飲み物が入れられている。

「あのー……食え、とは?」

戸惑い隠せないあたしは、ソファに座っている政宗にどうすればいいか訊ねた。テーブルの前で立ったまま呆然としているあたしの態度が気に入らなかったのか、政宗はつまらなそうに眉を顰めている。そんな顔されてもいきなり食えって言われたら誰だって戸惑うよ。

「さっきまでずっと片付けをしていただろうが。そろそろ腹が減っているんじゃねえかと思って、わざわざこのオレが作ってやったんだよ」
「そ、それはどうもありがとう。でも今からコンビニに行こうと思っていたから別によかったのに……」

そう言うと政宗はますます不機嫌そうな顔になった。なんでよ。あたし何かあんたの気に触るようなこと言った?

「こんな時間に女が一人で出歩くもんじゃねえだろ。オレが作った飯だから食いたくないだろうが、今日はそれ食って我慢しろ」

……女がこんな時間に出歩くんじゃない、ねえ。一応、女扱いはしてくれているの、かな? なんかむず痒いんですけど。まさか政宗からこんな言葉が出てくるなんて思ってもいなかったから、どういう反応を返したらいいかわからなくなってきた。

「あ、ありがとう……。実はとってもお腹が減ってたんだ。もう限界……」

いただきますと言って、あたしはおにぎりに齧りついた。女にしてはあるまじき、大口でガブリ、である。口いっぱいにおにぎりを詰め込み、もごもごと租借する。ゴクリと喉を大きく鳴らしてお米を飲み込んだ。

「………ん、んん!? なにこれ、本当にただのおにぎり!? すっごく美味しいよ!」
「あ、ああ……別になんともねえ普通のおにぎりだぜ? そんなに美味かったのか?」
「美味しいよ! あたしが今まで食べてきたおにぎりで一番美味しい。なんで、普通のおにぎりなのになんでこんなに美味しいのー!?」

空腹は最大のスパイスだというが、この美味しさにそれは不要だ。きっとお腹いっぱいのときに食べても、このおにぎりはすっごく美味しいと思う。顔に似合わずこんなに美味しいおにぎりを作れるなんて、政宗って本当に何者なの。おにぎりでこの美味しさなんだ、普通の料理を作らせたらもっと美味しいんじゃないの……?

「そ、そうか……そんなに美味かったのか。……なら、今度また作ってやるよ」

美味しいって言われたことが嬉しかったのか、政宗の顔から照れという感情が表れているように見えた。頬も若干赤く、目も明後日の方向を向いている。へえ、こんな可愛い表情もするんだ。今日一日政宗に振り回され腹が立つことばかりだったけれど、こんなに美味しいおにぎりを食べさせてくれたんだから、ちょっとは許してもいいかなと思ったあたしは甘いんだろうか……?

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