さっき知り合ったばかりの女性と結婚されたと申されるのですか!? 市役所で即席ラーメンならぬ即席婚姻届を提出し、再び滞在先であるホテルに戻ってきたのも束の間のこと。晴れて音城至華那から伊達華那へとなった彼女は隣に並ぶ夫を見上げ、なんともだらしのない笑みを浮かべていた。伊達と呼んだら「オメーも伊達だろ」と言われむず痒くなる。 彼女も、また政宗自身も、自分が結婚したという実感がまだ湧いていない。あんな紙切れ一枚を提出しただけで夫婦になったと言われても、感覚的にはただ書類にサインをしたというものに近い。おそらく結婚し夫婦になったと実感するには、あのイベントが必要だと思われる。 「………なんかへんなかんじ。けっこんしたのにけっこんしたっていうじっかんがわかないの」 「オレもだぜ……役所に婚姻届を提出すりゃあ終わりだと思っていたんだがな」 「ここはやっぱり……」 「面倒だがやるしかねえ……だろうな」 「うん。けっこんしきをしないとね!」 二人は互いに顔を見合わせ、ゆっくりと頷きあった。その瞳には固い意思がこめられている。やはり婚姻届を提出しただけでは結婚したと思えないのだ。結婚したと実感するには、結婚式をしないことには話にならない。結婚式というのは所詮形式的なもので意味はないはずなのに、これをしないと結婚したという実感が湧かないというのが二人の考えである。 「そうだ、あたしがけっこんしたことりょうしんにほうこくしなくっちゃ。じゃないとしきにもよべやしないもん」 「オレも報告する必要があるな……が、今はまず一緒に滞在している奴に報告しにいかねえと」 「あ、あたしも遥奈にけっこんしたっていってなかった!」 遥奈はあたしが結婚したって言ったらどんな反応をするんだろうな。祝福してくれるかな。それとも先を越されたって怒るかな。遥奈がどんな反応をするか、想像するだけで顔がにやけてくる。だらしない顔がさらにだらしなく緩んだ。 「じゃああたしへやにもどって遥奈にほうこくしてくるね。まさむねは?」 「オレも部屋に戻って小十郎に報告してくる。あとで華那の部屋に行くぜ」 「わかった。じゃああとでね」 華那と政宗はロビーで別れ、華那は遥奈に、政宗は小十郎に結婚したと報告するために各自部屋に戻っていった。華那が部屋に戻るなり、遥奈は「どこに行ってたの?」と口を尖らせる。先にいなくなったのはそっちのくせに、という言葉を飲み込み、華那は「ちょっとそとにでてた」と正直に答えた。華那と違いあまり飲んでいなかったこともあり、遥奈の口調ははっきりとしていた。おそらく酔いも醒めているだろう。 華那は遥奈の横に腰掛けると、「あのね……」と話を切り出した。しかしそこからなかなか進まない華那に、遥奈は訝しげに首を傾げる。なにやらもじもじさせている華那が焦れったくなった遥奈は、少しきつい声で「だからどうしたの?」と話を促した。華那は遥奈の顔をじっと見つめ、そんな彼女のまっすぐな視線が逆に怖くなった遥奈は少し腰が引けてしまう。 「あのね、あたし……けっこんしちゃった」 「……………は?」 華那が何を言ったのか理解できない。聞き間違いかと思い、遥奈はもう一度華那に訊きなおした。しかし返ってきた答えは「あたし結婚しました」というもので、数秒の間の後、遥奈の悲鳴がホテル中に響き渡った。近くにいた華那は咄嗟に耳を塞いだが、それでも遥奈の大きな悲鳴を防ぎきることはできない。気のせいか耳の中で遥奈の悲鳴がエコーしているようだ。叫ぶだけ叫んで満足したのか、遥奈は華那の肩をがしっと掴むなり激しく揺さぶった。あまりの激しさに華那は目を回しかけてしまう。 「どういうことどういうこと!? ただの冗談よねそれ!?」 「じょ、じょうだんじゃないよ〜…ほんとにけっこんしたんだよ」 「いつ!?」 「だからさっき」 「さっきィ!?」 華那の肩を揺さぶりながら遥奈は必死になって頭を回転させていた。華那の言葉が理解できないのである。というより理解することを拒否しているといったほうが無難かもしれない。結婚ってそんな簡単にできるものだったかしら。そもそも今の華那に恋人はいないはず。なのに結婚したってどういうこと。酔った人間の戯言よねうんきっとそうよね。 しかし違うと思っていたい遥奈の期待を裏切るように、華那は何度も「結婚した」と言うばかりだった。さすがに冗談にしては違和感があり、遥奈はようやく華那の肩を揺さぶっていた手を止めた。長いこと揺さぶられ続けたせいか、揺さぶることをやめた今でも華那の体は揺れている。 「あ、相手は誰なのよ。というかどういうこと何があって結婚っていう話になっちゃったの!?」 「あいてはさっきいっしょにのんでたまさむねっていうひとでね、おたがいこのひとだっておもったからけっこんしたの!」 「さっき一緒に飲んでいたマサムネって……あのかっこいい男の人?! え、あの人と結婚しちゃったのォ!?」 どうやったらその日会った男と結婚できるのだろうか。お互いのこともよく知らないし、ましてや名前だって今知ったほどである。今日会った相手と一夜を共にする…ならまだしも(いけないことだと思うが)、結婚よりは遥かにましというものだ。 お、落ち着け遥奈。結婚といっても所詮口約束。婚姻届を出さない限り結婚したとは言わないから大丈夫、だよね? 子供のおままごとみたいなものよね。酔った勢いで結婚しちゃいましたアハハ程度の話だよね!? 口約束程度の話だと思うと気分は落ち着いてきた。今の華那は誰の目から見ても酔っている。ただの酔っ払いなのだ。酔っ払いの戯言を逐一真に受けていたら未が持たない。ここは聞き流すに限る。冗談には冗談で返せである。遥奈は大きく深呼吸をするなり、何かを悟ったような爽やかな笑みを浮かべた。 「そう、結婚したんだ華那。おめでとう。先越されちゃったけど…本当におめでとう」 「ありがとう。遥奈ならそういってくれるとおもってたよ」 「いつ結婚式やるの? あ、婚姻届も出さなくちゃね。結婚式後に提出する予定?」 「けっこんしきはまだだけど、こんいんとどけならもうだしてきちゃった。いまのあたしは音城至華那じゃなくてー、伊達華那なのれすー!」 「なんですってー!? このお馬鹿ァァアアア!」 最後の希望も打ち砕かれた。小さな希望の星が反陽子砲で目に見えないくらい小さな破片となってしまったようである。そのくらい遥奈のダメージは大きく、救いようがないほどのものだった。がっくりと項垂れ、長い長い溜息をつく。 口約束だけだと思えば、なんでそんなところにだけちゃんと頭が回るのよこの酔っ払い! 遥奈はゆっくりと立ち上がると、フラフラとした覚束無い足取りでドアに向かって歩いていく。ドアノブに手をかけたところで、華那が「どこへ行くの?」と声をかけた。 「どこかでお酒でも飲んでくる。そうでもしないとやってられない……。この酔っ払いが、酔いが醒めた頃が楽しみね」 そう呟いた遥奈の声がやけに疲れていたなと、彼女の背中を見送りながら内心で首をかしげた華那であった。 *** 「Hey 小十郎、今帰ったぜ」 「政宗様。今までどちらに……!」 ホテルの最上階に存在するスイートルーム。そここそが政宗とそのお目付け役、片倉小十郎が宿泊している部屋である。行方を晦ましていた主が帰ってきたことで、小十郎は眉間に浮かべていた深いしわを幾らか和らげた。渋い顔をしている小十郎に対し、政宗はどこかすっきりとした表情を浮かべている。 今日はこのホテルで政宗の見合いが行われる予定であった。が、元々見合いが嫌だった政宗は、隙を見て見合い会場を抜け出し、ホテルのバーでお酒を嗜んでいたのである。長年彼のお目付け役を務めている小十郎だけが政宗の居場所を見つけたのだが、彼のことを第一に考える小十郎は見合い会場に連れ戻すわけでもなくそれどころか政宗と一緒にお酒を飲んでいたのだった。 もっとも小十郎は政宗が「お前も付き合え」と言ったので飲んだだけである。政宗に言われなければお酒を飲むことはなかっただろう。しばらくしたのち小十郎は未だに混乱しているであろう見合いの場を沈静するため政宗の傍を離れたのであった。政宗が華那と出会ったのはまさにこのときである。 「見合い会場はどうなった?」 「はい。今日のところはお開きになりましたが、先方は政宗様との見合いを諦めてはいない様子です」 「オレとの見合い、というより伊達groupの財産が諦めきれねえんだろ? 調べたらあの娘の親父が経営している会社は、この不況で経営不振に陥っているそうだぜ」 伊達グループは世界有数の企業で、日本では五指に入るほどの大企業である。政宗はその伊達グループの次期社長という役職が約束されている身であった。つまり現社長、伊達輝宗の息子なのである。現在は次期社長の勉強のために、いくつかの会社を経営していた。 当然そんな大企業ならば財産額も半端ないもので、財産と名誉欲しさに政宗に取り入ろうとする者は多い。故にそのための「見合い」なのだ。 「そうだ小十郎。お前に一つ報告することがある」 「何でしょうか?」 「オレ結婚した」 「…………左様でございますか」 「ってそれだけかよ!? もっと他のreactionはねえのかよ!」 昔から口煩いこのお目付け役のことだ。勝手に結婚したら何を言われるかわかったものではない。ましてやたった今会った女と結婚したのだ。お互いのことなど何一つ知らないのに、この女がいいという己の直感で一緒になったようなものなのである。いつも以上の小言を覚悟していたのに、小十郎の反応は思っていた以上に淡白なものであった。なんだか拍子抜けである。 「お前のことだからいつも以上の小言を覚悟していたんだがな」 「いえ、かなり動揺しているのですが、動揺しすぎて何も言えなくなってしまっただけです」 「…………新手のreactionだったのか」 どうやら結婚しました発言は、思っていた以上のダメージを小十郎に与えたらしい。あの彼が何も言えなくなるほどの衝撃がこの言葉には込められていたということになるからだ。 「それで……その相手はどのような女性で?」 「さあな。詳しいことは知らねえんだ。さっきbarで知り合ったばかりの女だからな。名前は華那だ」 「さっき知り合ったばかりの女性と結婚されたと申されるのですか!?」 てっきり政宗には前々から付き合っていた女性がいて、その女性と結婚したと思っていた小十郎は今度こそ怒鳴り声をあげた。 「失礼ながら仮にも伊達グループの次期社長である自覚あるのですか!? そのような行為許されるはずがありません!」 「つってももう婚姻届も提出しちまったしな。今更どうしようもねえだろ」 政宗は昔から突拍子のない行動をすることが多かった。破天荒な行動が多かったと思うが、まさかこれほどまでとは……。小十郎は突如襲い掛かる頭痛に頭を悩ませていた。口約束だけの話と思いきや、まさか婚姻届まで提出していたとはな。相変わらず用意周到というか、抜かりがないというか……。 「政宗様の酔いが醒めた頃が恐ろしいですな……」 酔いが醒めたときのことを想像するだけで恐ろしい。小十郎はさらに眉間のしわを深くさせた。 BACK|TOP|NEXT |