oneirodynia 2


上も下も解らない。暗い渦の中に投げ込まれて、ぐるぐると掻き混ぜられているような。煮えたぎるの熱の中で、溺れているかのような。
少しでも冷たい空気を取り込もうと、何度も呼吸を試みるものの、口はまるで息の吸い方を忘れたかのようにぱくぱくと開閉を繰り返すばかり。どうにか取り入れることが出来た僅かな酸素は、気管を通る間に灼熱の気体となって肺を焼く。苦しさに咳き込めば尚更身体は苦しみに喘いで。再びその身を焼くと知りながらまた必死に息を吸おうとするのだ。
身体中に焼鏝を押し付けられ、全身の血液が沸騰しているような感覚。熱から、苦痛から逃れようともがく手足は空しく空を掻くが、それすらも体力を削ぎ落としていく。
それでもこの苦痛から、地獄から逃れようと指先は弱弱しく宙を彷徨う。

ふと、遠く、遠くの方で。
かろうじて何か、小さな声が、鼓膜を震わせたような気がした。そして何故だか、言葉は聞き取れなかったけれど、その声が自分を呼ぶ声だと解った。








「「「ボス!!!」」」
目を醒ました瞬間、ぼんやりと霞掛かって白い視界の中で、幾つかの影が一斉に蠢いて見えた。聴覚だけはやけに鋭敏で、その声の主が医療班のスタッフであることは認識出来たものの、視覚、触覚といった他のあらゆる感覚は働き方を忘れているかのように、もやもやと不確かなまままるで機能しない。
それでも、少しずつ視界は明確になり、神経は鈍い痛みと空腹感を脳へと運び出す。それと同時、段々と自らが置かれている状況を理解し始める。
任務中、施設内武器庫の火薬が敵の弾によって引火、大爆発を引き起こした。あれ程の事故に巻き込まれていながら、自分が生きていることが不思議で仕方無い。といっても、九死に一生を得るような事態にはもう嫌というほど遭っている。幾度となく死の淵に立ちながら、こうして生還を果たす。我ながらこれ程の悪運の強さには呆れて溜息すら出ない。それでも死なない、死ねない自分は地獄に余程嫌われているのか、それとも。

そういえば。
自分を呼んだのは、誰だったのだろう。医療班のスタッフ達で無いことは確かだ。彼らもまた、おそらくは自分の名を呼んでくれたのだろうが。なぜだろう彼らで無いことは根拠無くも断言できた。
彼らでは無いなら、一体、誰が。

少しずつ晴れてきた視界が、ふいに再び暗転する。戻りかけていた痛み、熱、そして空腹感に重なるようにして、激しい疲労が身体に圧し掛かって来るのを感じた。疲労は麻酔弾のように、眠気となって全身を襲う。それに抗う力は、まだ無い。
意識を失う直前、降りた瞼の裏に彼の姿が映った気がした。









スネークが意識を取り戻した。そう報告を受けてから既に一週間が過ぎていた。絶対安静ではあるものの、自室へ戻る許可は下りたらしい。驚異的なまでの回復を見せる彼は、点滴が外れるや制限を軽く上回る量の食事を要求して、医療班スタッフを困らせているのだとか。笑い交じりの報告に、こちらまで口元が緩む。もう任務に戻りたい、せめて訓練だけでも、なんて言っているそうですよ、だなんて。あぁ、まったく、我らがボスは。

「副司令…それで、その……」
「ん、なんだ…?」
「ボスのお見舞いには行かれないんですか…?」

躊躇いがちに尋ねられて、サングラスの奥で瞳がちらりと逡巡に揺れる。

「…見舞いに行きたいのは山々だが、こうも忙しいとな」

自分と兵士を挟んで書類の山。それを示せば説得力は十分だろうか。実際、寝食の間さえ惜しい程に仕事は山積みだ。
腹心にその一塊を押しつけて、もう少しばかり急ぎさえすれば、彼の自室に足を伸ばすこと叶わないわけではないのだが。

「そう、ですよね。申し訳ありません」

ボスも、副司令の顔を見たがっていらしたので。

思わず書類の方へ戻っていた視線を上げれば、兵士は困ったような顔をして笑っていた。

「自分の容態よりも、副司令のお身体の方が心配なようですよ」

薄く口を開けて、呆けた顔をしているであろうことは自分でも解った。何度も何度も、頭の中でその一言を反芻してようやく、その意味がじわり脳内へ沁み渡っていく。
あんたは、なんだってそんな。

「すまんが」
「…へ?」

自分と兵士を挟んで書類の山。そのうちの一山、ずいと前に押し出す。

「これ、頼む」
「…は、はい!ボスに宜しくお伝え下さい!」

兵士が見送るその背に、迷いはなかった。







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