飼い犬は手を噛まない
銀ちゃんにもらった名刺は、今も私の部屋にある。
お気に入りの千代紙に大事に包んで、まるでお守りのように、文机にしまった隊長のブロマイドの下にしいてあった。
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「ありゃあ今日みたいに蚊が沢山飛んでる暑い夜だったねェ…
俺寺子屋の友達と花火してて、帰りが遅くなっちゃったのよ」
おぼろげな明かりだけの部屋で、むさ苦しい男たちが息を潜めて耳を傾けていた。
稲山という隊士がその輪の中心で、なにやら怪しげな調子で語っているのだ。
「その時よ!寺子屋の窓から赤い着物の女がこっちを覗いてるんだ」
見事な抑揚で語る稲山さん。
百戦錬磨の剣士たちはもののみごとにこの隊士の『怖い話』の恐怖にとりつかれている。
「聞いたのよ、こんな時間になにしてんですかって。そしたらその女、ニヤッと笑ってな…」
「マヨネーズ足りないんだけどォォオ!!!!!」
「ぎぃぃやぁぁああぁああ!!!」
最高潮に達した緊迫感を打ち破ったその声に、隊士たちはもう内容なんておかまいなしにとにかく絶叫した。
「ちょ、副長ォなんてことするんですか大事なオチに!」
「知るかよ!それよりマヨネーズが切れてコレ…」
あ!と一人の隊士が声をあげる。
その横には白目をむいて泡を吹いている大将(だったもの)が…。
「大変だァ局長が気絶した!!」
途端に騒ぎになった大広間。
土方は舌打ちをしてそそくさと部屋を後にし自室へ入る。
どいつもこいつもくだらんものにはまりやがって…何が怪談だ。
幽霊などいてたまるか。
「っ…んだ、やたら蚊が多いな」
そんな悪態をつきながら、タバコに火をつけ一息ついていた。
「…ね…シネ……土方死ね…」
思わず手が止まる。
え?何?なんかいま…
土方は辺りを見渡すが、もちろん部屋には己一人しかいない。
「タノムから死んでクレよ…
ヒジカタ…シネ…死ね……!」
スパン!!
恐怖の中残された可能性にかけ、俺は思い切り襖を開けた。
と、そこには…
「…オイ…何してやがる総悟、加恋…こんな時間に…?」
白い単を着て頭にロウソクを生やすという、なかなかに奇抜な格好の2人がそこで固まっていた。
総悟は慌てて何かを隠す素振りを見せたが、
大きな丸太を持たされていた加恋は自分の奇妙さを隠しきれず、ほらバレたと泣きそうな表情で恋人に助けを求める顔をしている。
「説明してもらおうか総悟!何してた!」
「ジョッ、ジョギング」
「嘘をつけェェ!」
頭火だるまになるだろーがそんな格好で走ってたら!
総悟が自分を擁護してはくれないことを悟った加恋がその泣き出しそうな顔を今度は俺に向ける。
「トシぃちがうの、加恋止めたんだよ!でも隊長がやらないと私の文机燃やすって!!」
「おいおい、嘘はいけねぇよ、俺はそんなこと言ってねぇだろ?いつも優しいだろぃ?ん?」
甘く囁きながら加恋の肩に腕を回し頬にキスをおとす。
「ほら…可愛いな加恋、良い子だ」
正直に言おう、ドン引きである。
ここぞとばかりに甘い声で歯の浮くセリフをつらつら並べる総悟に、俺はドン引きしていた。
同時に加恋が気の毒にもなる。
これではまるで総悟の都合のいい人形だ、生命を宿したペットですらない。
「そんな…」
か細いこえを出す加恋に思わずおい、と手が前に出る。
さすがにかわいそうだ。
「おい総悟、お前もうちょっと…」
「…そんな隊長、可愛いなんて…恥ずかしいよぉこんなとこでっ」
喜ぶんかい!!!!!
何が「こんなとこで」なのかサッパリわからん。
今お前らのきもちわりぃラブシーン目撃できんのなんて、俺とその不気味な存在感放ってる丸太ぐれぇだろが。
顔に手を当てながら総悟のキス一つでゆでだこのように赤くなる加恋を見てると、もう一気にどうでもよくなった。
俺がバカだったよ。
俺がおかしいんだろ、いいよもうそれで。
「…おいちょっと待て、その丸太…」
俺は目を細めた。丸太に何かがあるのだ。
小さい、釘に打ち付けられた写真、写真…
「俺の写真じゃねぇかぁぁぁ!
儀式だろう、俺を抹殺する儀式を開いていただろう!!!」
怒り任せに立ち上がると、加恋がひいっと総悟の後ろに隠れる。
だがしかし、次の瞬間俺の怒号のあとに悲鳴をあげたのは加恋でも、もちろん総悟でもなかった。
夏の夜、真選組頓所にて。
「本当にあった怖い話」の幕開けである。
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