『市、そなたには生きてほしい。某の我ままを聞いてはくれぬか』









金色の髪をなびかせた端整な顔つきの青年が
今にも泣き出しそうな顔で笑顔をつくり
彼の腕の中で泣きじゃくる女性を愛おしそうに抱きしめ
体を離すと、不器用な笑顔のまま女性を置いて
ゆっくりと暗闇の中へ消えて行った。



これは一体・・・



誰の、








「・・・っ・・・」

柔らかな朝日が差し込む一室で清正は目を覚ました。
汗でぐっしょりと濡れた夜着は清正に不快感しか与えなかったが
その変わりに清正の体を蝕んでいた毒は消えていた。
昨日と打って変わり軽くなった体を慣らすため
拳を握っては開き、腕をまわし調子を確かめた。
ふと手に視線を落とすと指先に血が滲んでいることに気づいた。

はて、これは何の血だろうと思いをめぐらせた瞬間
もぞっと隣で何かが動く気配を感じた。

「み、三成?」

清正の隣で布団も敷かず眠りこけているのは
誰でもない三成であった。
長い睫毛が頬に影をつくり、普段の凛とした三成からは想像できないほど
無防備で緩んだ寝顔を晒している。
清正は自分の目の前で三成が寝ている、という事実に心臓が高鳴ったが
表情を崩さないように頬の筋肉に力を入れた。

(気づかなかったが、三成がついていてくれたんだな)

嬉しさのあまりにやけてしまいそうになったが
三成の手の甲に無数のひっかき傷ができているのに気づき
恐る恐る三成の手をとると、その白い手にこびりついている
乾いた血に触れた。

「これ、俺がやったのか」

三成が傍についていてくれたことも気づいていなかったが
痛みに苦しむあまり、そこらへんの物を強く握った事は
おぼろげな記憶だがちゃんとある。
清正は、自分がつけたであろう三成の手の傷にそっと触れると
泣きたい衝動にかられた。

「すまん・・・」

三成は寝ていると別っていても、謝らずにはいられなかった。
清正の小さな謝罪は三成に投げかけられそのまま空間に消えてなくなる・・・はずだった。

「そういう時は、ありがとうと言うのだよ」

聞きなれた声が清正の耳に入ったかと思えば、体を横たえたまま先刻まで閉じられていた瞳が
じっと清正を見上げていた。
清正は気恥ずかしさのあまり、握っていた三成の手を急いで離すと
そっぽを向き「起きていたのか」とぶっきら棒に返した。

「ああ、眠りが浅かったみたいだ」
「そうか」
「元気になったみたいだな」

三成はけだるげに体を起こすと
少し乱れた髪を直すこともせず、清正の健康的な顔色を見やったあと口元を緩めた。

言葉の通りあまり眠れなかったのであろう、目元には隈ができている。
元々三成は血色が良いとはいえず生前も体調が悪いとすぐ顔にでていた記憶がある。
清正はその痛々しい姿に心苦しくもあり、己に献身してくれた好意はたまらなく嬉しかった。

「その、三成」
「ん?」
「あ、あり・・・」


「三成?ここですか?」

清正が一生懸命搾り出した感謝の気持ちは
鈴のように綺麗な声にかき消された。
声の主は市であろう、三成は反射的に背筋を伸ばし「はい」と返事をすると
障子に映った女性の影に視線を移した。

「お市様、いかがされました?」
「ご飯を作ったので、良かったらと思って」
「あ、ああ、そうですか・・・いや、ありがとうございます。」
「三成のお友達も冷めぬうちに召し上がってくださいね」

市は手短に用件だけを述べると小さな足音を響かせながら
その場から去っていった。
きっと気の利く女性なのだろう
清正は出しゃばらず、何も言わず、だがあしらうこともせず静観して
いる市の存在をありがたいと思いつつも
何処となく寂しさを感じ取った。

彼女は頭が良いのだろう、自分の身をわきまえている。
普通ならば見えぬことも感じ取るのだろう。
だからこそ、自分の願いが叶わぬことも気づいている。
なんとも皮肉なものだ。

三成は市が去ったあと、ふうとため息をつくと
肩の力をぬいた。

「お前、緊張しすぎじゃないか」

伸びをしながら清正は三成にそう言った。

「お市様は、秀頼君の祖母にあたるからなそりゃ気を遣う」

三成から思わぬ答えが返ってきて
清正は思わず目を丸くした。
そして、喉をならしながらからからと笑い声をあげた。
(まさか、死してまで秀頼君の祖母などというとは)
自分が受けた恩を忘れない、三成らしいといえばらしい。

三成は清正が何故笑っているのか分からぬ様子で
きょとんとした表情でいたが、次第に自分が笑われている事が
面白くなくなったのか、不機嫌だということを清正に伝えるために
大きく鼻をならした。

「悪かった、機嫌なおせよ」
「ふん、俺は笑われる事などしていない不愉快だ」

その馬鹿真面目なところが可愛いんだよ

とは言えず清正は三成の手をとると両手で包み込んだ。
三成の白い手を彩っている赤い傷を
なぞるように指でなでると、顔を伏せ口を開いた。

「三成の不器用で、馬鹿真面目なところ・・・それがお前の良いところだと
俺は思うよ」
「・・・」
「笑って悪かったな、なんか、ああこの感じ変わらないなって感じたら
自然と笑えてしまった」
「何だその・・・よせ、俺を褒めるなどお前らしくもない」
「俺だって好意を伝えたりするさ、三成俺な…」
「や、やめろ!」

照れくさくなったのか三成は清正の大きく無骨な手に包まれた手を
取り返すと清正の口をその手で塞ぎ言葉を飲み込ませた。
清正が小さく「おい」と呟くと急いで手を離し
視線を宙に泳がせた。
二人の間に少しの沈黙が流れたが、三成が咳払いをし沈黙を破った。

「た、立てるか?」
「ああ」
「じゃ、先に行っているぞ」
「何処に?」
「お市様が朝食を用意してくれたと言っていただろう?」
「ああ」


そういえばそうだった。


「早くこい、飯を食ったあとは湯を浴びろ?良いな」
「湯?別にいい」
「いや、良くない。昨夜どれだけ汗をかいたと思っている
湯は湧かしておくから体は綺麗にしておけ」

三成は早口で用件だけ伝えると、足早に座敷をあとにした。



















市が用意した質素な朝食を済ませた後
温かい湯に浸かった清正は、体の芯を暖める極楽と言われるその感覚に
思わず「はぁ」と年寄り臭い吐息を漏らした。

朝食、風呂、何一つ現世と変わらぬ生活。
本当にここは死後の世界なのだろうかと考えをめぐらせたが
心地よい湯の気持ちよさに、上手く思考が回らずまた一つ「はぁ」と息を漏らした。

「秀頼君・・・か」

三成は死したあとも、忠義を忘れず
秀頼の祖母にあたる市に尽くしているようだ。

だが自分はどうだ

秀頼の変わりに毒を喰らい死んだ。
後悔しなかったといえば嘘になる、だが清正はあの時最善な行動をとった
それで忠義を果たしたと、豊臣から解き放たれたと思っていた。

実際、そう考えるのが普通であろう。

だが三成はどうだ。

「もしかして、三成がここに留まる理由って秀頼君なのかもな」

清正は三成を失ってから自分がこの男に恋をしていたと思い知らされた。
だからこそ、豊臣という枷を失ったこの世界では
何のしがらみもなく言葉を交わせるはずなのだ。

だが三成は違った。
死してなお、市に献身し三成は豊臣に縛られている。
清正はまた壁にぶちあたった気分であった。



そして
もう一つの壁


それは己の無念がはっきりと分からぬことだ。
なにがきっかけで、左近のように消えてしまうかも分からない。
三成に愛していると伝えたら消えるのか
またあの体を抱いたら消えるのか

清正には己で認識できるだけの無念が多すぎた。
一つ一つ叶えていけばきっとこの心は満たされ
この世界から消えゆくだろう

だが三成はどうなる?
もし、豊臣を守れなかった自分が心残りだとしたら
どうすればいいのだ。

気が遠くなりそうなほどに
死することもないこの世界に留まり続けなければならないのだろうか。

清正は、自分の愛した三成だけはこの世界に置いて行きたくなかった。


「言えない、よな」

今すぐにでも愛していると叫んでしまいたい。

だができない

生前は隣にいてやれることができなかった。
だからこそ、今度こそ三成の存在がなくなるまでずっと
傍にいてやりたいと清正は強く思った。









甘い香りが鼻をかすめる。
市の屋敷の裏手にある竹やぶを抜けた先にある鮮やかな花畑
そこに三成はいた。
三成は細い両手に沢山の花を抱えながら隣で花を切っている
市に声をかけた。

「もうこれくらいで十分でしょう」
「ふふ、いえあともう少し」

市は短刀で花を次々に切ると
まるで生け花をするかのように三成の腕に渡していった。

「三成、お友達元気になってよかったですね」
「・・・ええ」
「このお花綺麗に活けるので、彼に差し上げてくださいね」

(花なぞあいつが喜ぶものか)
と三成は思ったが、市の好意を無碍にできずはぁと生返事をした。

「ねぇ三成」
「はい」
「あなたが待っていたのは、彼なのでしょう?」

市は振り返らず言葉を続けた。

「三成が私のようにならずに済んでよかった」
「お市様、いえ・・・俺は」
「でも、私も幸せ者なのですよ?あの方がここにいないということは
あの方の人生はとても素晴らしいものだったってことですから」

市の初めの夫、浅井長政。
彼は義を貫き、愛した市を逃がしその人生に幕を閉じた。
置いていかれた市は、死した後も気が遠くなるほどの愛を募らせている。
だが、市は自身の苦しみを知っているからこそ
長政がこんな思いをせず良かったと思っているのだ。
しかしそれは市の感情を一切無視した綺麗事ではないか

昇華しきれぬ思いを抱いた市に三成は自分の姿を見ていた。

「好きなのですか?」
「いえ!・・・好き、とか嫌いとかそういうのではなく」

男同士ですしと付け加えると市がくすくすと笑った。

「俺が、あいつを殺したような…ものなのです。だから面倒を見ているだけで」
「三成、自分に素直になってくださいね」
「え?ええ俺はいつでも自分に忠実ですよ」
「ふふ、良かった」

市の柔らかい笑顔が
三成には泣き顔に見えた。













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