『プリンがすごく美味しかったから』
それが、ロイドさんが結婚を決めた理由だ。
そんな理由で。
思い出して、ムカムカした怒りがメラメラと燃え上がる。
「信っっじらんないですよねあの人!!!」
少し熱めのシャワーで頭をガシガシ洗いながら怒りを吐き出せば、身体を洗うセシルさんが苦笑して同意した。
「本当ね。人生の一大イベントをそんな理由でしようとするなんて。
呆れちゃうわね」
「そうそう! そうなんですよ!!
あの人だけですよ、きっと。
プリン食べたいってだけで結婚しようって考えるのは」
「ロイドさん、きっとどこかに大切な何かを置き忘れちゃったのかもしれないわね」
吐き出したらすっきりした。
セシルさんの存在をありがたく思う。
シャワーを止めた時、思い出したように「あ」とセシルさんは呟いた。
「……そうだ空ちゃん。
明日、スザクくん誕生日なんだって」
「え!? 明日がスザクの誕生日!?」
ロイドさんの怒りが吹き飛び消えるような衝撃だった。
どうしてスザクは教えてくれなかったんだろう?
「そうよ。明日はスザクくんの誕生日。
もしかしたらスザクくん自身忘れているかもね。
学校に行ってる間に準備して、帰ってきたら驚かせましょう。
それまでは知らないフリよ?」
「はい、了解です!」
誕生日おめでとうと伝えた時のスザクの反応を想像して、とてつもなくワクワクした。
ランスロットの
眠り姫/04
風呂上がりでホカホカになったあたしとセシルさんは、湯冷めしないよう真っ直ぐ部屋へ帰る。
なぜか部屋の前でスザクが待っていて、近づくあたし達に気づいて笑顔で迎えてくれた。
「セシルさん、空。お帰りなさい」
どうしてここにスザクがいるんだろう?
「スザクくん何かあったの?」
スザクがここにいる理由はセシルさんも知らないみたいだ。
緊急事態が発生したように空気がピンと張り詰める。
それをスザクは慌てて振り払った。
「いいえ違うんですセシルさん。
空にお礼が言いたくて……」
セシルさんと同時にホッとする。
「あたしに?」
「そう、分かったわ。
じゃあ私は先に部屋へ戻っているわね」
微笑ましいもの見るような目で、セシルさんはうふふと笑いながら扉を開け、中に入っていった。
二人きりにされて変に緊張する。なんだこのお見合いみたいな感じは。
スザクはあたしと違って爽やかな笑みを浮かべている。
「いきなりごめん。
プリンのお礼が言いたかったんだ。
僕の分も作ってくれたよね。食べたんだけどすごく美味しかったよ。
ロイドさんが結婚したがる気持ちがちょっと分かったかな」
ボッと顔が熱くなる。
「やだ、スザクまでそんなこと言わないでよっ」
「冗談だよ。
あれ? 空、顔真っ赤だよ?
もしかして照れた?」
熱くなりすぎて顔がクッシャクシャになる。
スザクをまともに見れなくなった。
「て……照れてないよ」
「本当? じゃあ僕の見間違いかな?」
からかう声はすごく楽しそうで、普段の真面目で爽やかなスザクと全然違う。
「やっぱり照れてる。真っ赤だよ。
かわいいね、空って」
今にも爆発しそうな顔を両手で覆う。
言われ慣れない事を言われるのがこんなに恥ずかしいなんて……!!
だ、誰かあたしを埋めてくれぇ!!
ぷっ、とスザクが笑った。
「っはは! ははははっ!!
すごい真っ赤! 耳までっはははは!!」
大爆笑だ。熱がスーッとひいていくのが分かる。
顔を隠していた手を下ろせば大笑いするスザクがよぉく見えた。
静かな怒りが腹の底でグツグツと煮えたぎる。
子供みたいに笑うスザクと目が合うなり、彼は笑顔を凍らせた。
「ご、ごめん! 冗談だよ! ちょっとからかうつもりだったんだ!
僕が悪かった! 本当にごめん!!」
土下座しそうな勢いのスザクに、腹の底で煮えていた怒りがスッと消える。
まぁいいかと気持ちを切り替えられた。
「いいよもう。
スザク、ちゃんと謝ってくれたから」
頭を上げたスザクは安心した顔でホッと息をこぼす。
「ごめん、からかって。
でも『かわいい』は本当だから」
心の底からそう思ってるような柔らかい微笑み。
くそぅ……そんな顔したって騙されないぞ、と思うものの、どうしても心はドキドキしてしまう。
「お風呂上がりみたいだからこれ以上話すのも悪いよね。自分の部屋に戻るよ。
今日はありがとう。おやすみ、空」
爽やかな風が吹くような笑みに、あたしはおやすみの言葉も言えないままぼんやりと立ち尽くす。
変だ。頬がだんだんと熱くなっていく。
スザクの背中が見えなくなるまで動けなかった。
「……ほんとに、変なの」
なぜか胸がドキドキして苦しくて、あたしは逃げるように自室に飛び込んだ。
ベッドで髪を乾かしているセシルさんが微笑んで迎えてくれた。
「おかえりなさい、早かったわね。
スザクくんはもういいの?」
「はい。風呂上がりだから悪いって行っちゃいました」
ドキドキがまだ続いていて顔も熱い。
セシルさんの視線からも逃げたくて、自分のベッドにササッと避難した。
「ふふ。スザクくんらしいわね」
あたしのドキドキにセシルさんは気づいていないのか、ドライヤーで髪を乾かしている。
「明日はスザクくんの誕生日でしょう?
何か作ろうと思っているんだけど、空ちゃんはニッポンの料理でこれは美味しいっていうもの、知ってるかしら?」
「日本の料理でこれは美味しいってものですか?
えっと……」
日本の料理で一番に思い浮かぶのはお寿司だ。
「お寿司だと思います。
あ、お寿司っていうのはお酢を混ぜたご飯の上に魚の切り身を乗せた料理です」
「ゴハンの上に魚の切り身を乗せる料理? それがオスシね!
良かったわ。それならすぐ作れそう。
ゴハンはどんな材料かしら?」
「炊いたお米ですよ。
えっと……ライス!
ライスの上に魚の切り身を乗せるんです!」
身ぶり手振りで説明すれば納得したのか、セシルさんは笑顔を輝かせた。
「分かったわ! ありがとう空ちゃん!
良ければ明日一緒に作りましょう」
「はいっ」
さすがにプリンの時みたいに色々アレンジはしないだろう。
多分しないと思う。
しないと思いたい。
…………明日はセシルさんの手伝いをしつつ、お寿司作りを見守ることにしよう。
ドライヤーで髪を乾かした後、まぶたが重くなってあくびが出た。
「眠くなっちゃったみたいね。
枕元にライトがあるから、私のことは気にせず明かりを消していいわよ」
「はぁい……ありがとうございます……」
眠気でボンヤリした声で返事して、部屋の照明を消した後、ベッドにボフンと倒れた。
「空ちゃん。
明日はスザクくんの誕生日とは別
に────やっぱりいいわ。
また明日話すわね。おやすみなさい」
「……なさーい……」
やってきた睡魔に負け、おやすみなさいを満足に言えずに眠ってしまった。
***
真っ暗な部屋でハッと目覚めた。
ここがどこか分からなくて跳ね起きれば、暗がりの中ベッドで眠るセシルさんが見えて、体の力が抜けるほどホッとする。
今まで生活していた町の夢を見た。
家族も、親友も、よく話してたクラスメイト達も、先生も、みんな普通で、あたしがいなくても変わらず普通で、いないのが当たり前みたいな顔してた。
あたしなんて最初から存在してなかったみたいに。
ここに来てから数日しか経ってないのに、どうして懐かしいと思えるのか。
自分がいないのにみんな変わらない事に、どうしてあたしはホッとしているんだろう。
悲しくなったり寂しくなったり泣きたくなったりするはずなのに。
薄情な自分がすごく怖くなり、音を立てずに早足で部屋を出る。
息苦しさに進む足は早く、空気を求めるように廊下を抜けて外へ出た。
ブハッと息を吐き、空を仰ぐ。視界に真っ暗な夜空が広がった。
星はひとつも無い。月だけがぽっかり浮かんでいる。
「空?」
名前を呼ばれてドキリとする。
声の主はスザクだった。
すぐそばの石段に腰掛けていて、あたしを確認するなり穏やかに笑う。
「やっぱり空だ。眠れないの?」
スザクが笑いかけてくれているのに笑顔を返すことができない。
ぎこちなく頷けば、スザクは真剣な表情で隣の空いているところをぽんぽんと叩いた。
「空、隣座って」
言われるまま、スザクの隣に腰を下ろす。
「嫌な夢を見たの?」
そう聞かれたものの、どう答えたらいいか分からなくて沈黙すれば、大きな手があたしの頭をふわふわと撫でた。
その優しい手に驚いてスザクを見れば、
「だいじょうぶ」
と、あったかい笑顔でスザクは言う。
本当に大丈夫だと思えるような心強い声をしていた。
分かった気がする。
自分の世界の夢を見て、悲しくなったり寂しくなったり泣きたくならなかった理由が。
スザクがそばにいるからなんだ。
ランスロットが差し伸べてきた手を握って、助けたいと思った時に、あたしは生きる世界を決めたんだ。
目頭が熱くなる。
浮かんだ涙をこぼれる前に手で拭い、立ち上がった。
大丈夫だ。今度はスザクに笑顔を返せる。
「大丈夫だよ。
ありがとう、スザク」
「どういたしまして。
……よかった。元気になったみたいで」
そしてスザクも立ち上がった。
「空。
7月10日は────日付けが変わったから今日になるんだけど、今日が僕の誕生日なんだ」
「え」
驚きで目を丸くした。
まさか本人から教えてもらえるなんて。
「誕生日おめでとうって言ってほしい。
キミに一番に言ってほしいんだ」
強い眼差しに少し戸惑った。
それより嬉しい気持ちのほうが万倍もあって、あたしはすぐに口を開いた。
「スザク、誕生日おめでとう」
本当に嬉しそうにスザクは笑った。
普段の彼より幼く見えてしまうほどに。
──────そして誕生日の夜、ブルーベリーのおにぎりでトラウマを持っていたスザクは、セシルさん作のお寿司を食べた後、ギョッとするほどボロボロ泣いた。
すごく美味しくて感動したみたいだ。
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