世界を彩る かけらの章/ 扇


ナオトが亡くなって。
ナオトのグループが瓦解しそうになって、支えたくて立ち上がった。
任される形で俺がリーダーを請け負い、ずっとずっと、無我夢中で戦った。
自信が欠片もない自分を、ひどく情けなく思う気持ちが常にあった。
リーダーとしてみんなを導く時、常に不安だった。
それを顔に出さないように心がけた。

“ナオトならこんな時はどうするか”

そんな事を考えてばかりの日々だった。
満足に息ができなくて、苦しくて。
でも吐き出すわけにはいかない。
みんな頑張ってるんだ。
だから、俺はもっともっと頑張らないと。

どうして俺がリーダーなんだろう────そんな後ろ向きな考えが、消えずに頭の端でずっと根付いていた。

新宿を蹂躙するブリタニアの猛攻から逃げ込んだ先で、死を覚悟した。
死ななかったのは、クロヴィスの出した停戦命令だ。
その後、俺の人生が激変した。

ゼロが現れて、奇跡みたいに不可能を可能にしていった。
停戦命令を出させたのは多分ゼロだ。
『クロヴィスを殺したのはこの私だ』としか言っていないけれど。
黒の騎士団を発足して、みんなを導いてくれてる。その彼の姿に。
リーダーに相応しいのはゼロだ、と俺は安堵した。
行動を共にして、数々の作戦を経て、それでも素顔を見せない彼に信じる事ができない時もあったけど。
今では声を聞くだけで安心するくらいには信頼していた。

片瀬少将救出作戦を終え、ゼロ不在のトレーラーが地下道を走る。
みんなはくつろいでいた。聞こえる話し声は明るい。
俺だけだ。鬱々とした気持ちで疑惑の念を抱いているのは。

信じているのに、どうしても気持ちが揺らいでしまう。

「解放戦線の船……どうして爆発したのかな……」

つい呟いてしまった。
談笑がピタリと止まる。

「自爆だろ〜?」と、隣に座る玉城が酒瓶片手に気分よく答えた。

「連絡はしたんだよな? 助けるからって」

したはずだ。なのに自爆って。
片瀬少将も、救出する人間が来るのを分かっていたら自分の命を投げ出すはずがない。
疑念が深まる一方、玉城はヘラヘラ笑うだけだ。

「その為にゼロが動いたんじゃないか。
あ、そっか! 顔を見るチャンスだった!?
だっはっはっはっは!!」

ダメだ。玉城がいる場で話すべきじゃなかった。
重いため息をこぼせば、カレンが覗き込んでくる。

「まさかゼロを疑ってるんじゃ」

こちらを見る目つきは鋭い。
返答に困っていたら、

「あまりにもタイミングが良すぎると」

上からディートハルトの声が聞こえた。
顔を上げれば、階段を降りてくる姿が見える。

「もしあれがゼロの仕業だとしたら、どうするつもりです?」

ディートハルトは楽しそうだ。
彼の浮かべる笑みを見ていると、さらに気分が沈んでしまう。
カレンが怒った様子で立ち上がった。

「なに? その言い方!」
「おいディートハルト〜。
お前、怖くて逃げ出したらしいな。
チキンなブリキ野郎が俺達幹部に向かってタメ口きいてんじゃねぇよ」
「戦況の把握に勤めただけです。扇さんも認めてくれましたが」
「えっ?」

カレンがサッと俺を見る。
眼差しは鋭い。責められているようだ。
それ、本当?と確かめられてる気がする。

「あ、ああ。ゼロも構わないって……」

納得したカレンは再びディートハルトを睨む。
玉城も文句をぐちぐちこぼす中、俺は疑念を晴らす機会を失ってしまった。


  ***


夕焼けの埠頭、広大な敷地の一角にトレーラーを隠し、解散となった。
みんなと別れて無心で歩く。ひとりで考えたかった。
行き着いた先は波止場だった。
太陽が地平線に沈んでいく。

少しでもマシな考えが浮かべば良いんだが……。

「……ゼロ、昨日のキミはらしくなかった。
どうしてそんな気がするんだろう……」

重い気持ちに引きずられ、視線をふと落とし、息を呑む。
テトラポッドの中に女性が埋もれていた。

「大丈夫ですか!?」

急いで飛び降り、駆け寄って抱き起こす。

髪は銀色、肌は褐色の女性だ。
撃たれて服が血で汚れている。

「しっかりして! おい! キミ!!」

呼び掛ければ、固く閉じているまぶたがピクピク震えた。
わずかに身動ぎする。
かすかだけど呼吸もしていた。
生きててホッとする。

「……そう、か……お前が……ゼロ……」

胸の奥がドクンと震える。
心臓を掴まれたみたいに動揺した。

がむしゃらに、無我夢中に、動いていた。

トレーラーは騎士団の重要拠点だ。そんな所に連れていくわけにはいかない。
運ぶ先は自宅しかなかった。

日が沈み、夜になると帰路は一気に暗くなる。
彼女を誰にも見られずに運ぶことができた。
肩を撃たれているようで、衣服は血に染まっている。

「手当てを……しないと……!」

撃たれた後の痛みはよく知っている。
早く手当てをしなければいけないことも。
レジスタンスの活動中は怪我が絶えなかった。
だから手当てなら俺でもできる。

服が邪魔だ。脱がさないと。
脱ぐ……いや待て、俺が脱がすのか?
女性の服を俺が?
緊張して手がぶるぶる震える。
俺に妹がいれば、と絶望しながら思った。
事態は一刻を争う。
冷や汗がドッと出た。

「すまない……!」

心の中で何度も謝りながら、目を閉じて服を脱がせ、一心不乱に手当てする。
相手がよく知ってる人間なら良かったのに。
必要な処置を全て終え、見ないように毛布で隠す。

無意識に止めていた息をブハッと吐いた。
途端、ドッと疲れが押し寄せる。
ふらふらとデスクに向かい、椅子にドサッと座った。
女は目覚めず、こんこんと眠り続けている。
気力を使い果たした。今にも倒れてしまいそうだ。

深呼吸を繰り返して、ようやくまともに考えられる。

この女性は誰に撃たれたんだろう?
『お前がゼロ』と言っていた。まさかゼロが?
いや、それは早計だ。
目覚めた彼女に話を聞いて、それから……。 

……いや。聞いても話すか分からない。
黒の騎士団、ゼロとは無関係の日本人を装えば、会話はできるかもしれないが。
嘘をつく必要がある。
罪悪感で胸の奥が絞られたように痛んだ。

彼女はしばらく目覚めないだろう。
ゼロに電話で報告するなら今だ。
だけど……。

ゼロの正体を知っているであろう女の存在を、まずゼロに報告しなければならないと分かっているのに、いつまでたっても電話をかけられない。
こんなの、ゼロに対する裏切りだ。
血を吐くような気分で頭を抱える。

目覚めを待って、話を聞いてから────と思っていたら、目覚めた彼女は全てを忘れているようだった。
いつかカレンが話していた。
まさか彼女も空と同じ記憶喪失だなんて。
しかも彼女のほうが深刻だ。名前すら思い出せない様子だから。

「……とりあえず、良い人に拾ってもらったみたい」

安心したように微笑む顔は美しく、善人そのものだった。
ゼロに打ち明けられないまま、彼女との奇妙な同居生活が始まった。

ブリタニアを怖がる彼女は一切外出しない。
冷蔵庫にあるもので食事を作ってくれて、『お帰りなさい』と笑顔で迎えてくれる。

『なにか思い出した事は?』と聞けば、彼女は申し訳なさそうな顔で『すみません、何も……』と本当にすまなさそうに謝った。
優しい瞳は俺を信じている。
俺は彼女を疑って監視カメラをこっそり仕掛けたのに。
罪悪感が積もりに積もっていく。
俺は彼女の言う“良い人”じゃなかった。

彼女が作ってくれた料理は、気持ちが明るくなるほど美味しかった。
心まで温かくなる。初めての感覚だった。
生まれて初めて食事中に泣いた。
心配する彼女に謝り、誤解させてはならないと味の感想や感謝をありったけ伝えれば、毎日食事を作ってくれることになった。
お弁当まで用意してくれて、嬉しくて、くすぐったくてそわそわしてしまう。
申し訳ない気持ちになると同時に、持たせてくれるお弁当が楽しみになった。

帰宅すれば、彼女は料理を作りながらひょいと顔を出してくれる。
『お帰りなさい』の声だけで嬉しくなった。
俺もシンクに立ち、弁当箱を洗う。

「ご飯、いつもありがとう。
えっと……何か必要な物はあるかい?」
「必要な物……」

暮らす上で必要な物はたくさんある。
そもそも服が俺のものだ。
必要な物も欲しい物も全部買おうと思った。

「……いいえ。必要な物は、特には」
「えっ……それじゃ、欲しい物は……」
「特にありません。
生活させてもらうだけで十分です」

柔らかく微笑む彼女には、本当に必要な物も欲しい物も無いんだろう。
これは困った。いつも食べさせてもらってるのに。
何か! 何か彼女に返さないと……!!

くす、と朗らかに微笑んだ。

「それなら名前を。
ちゃんとした名前がないと不便だから」

言われてやっと気づいた。
確かにそうだ。名前は必要だ。
何をやってるんだ俺は!

「す、すまない。そんな大切なことに気づかなくて……!」
「いいんです。名前、どうしましょう。
呼びやすい名を決めてもらえますか?」
「俺に?」

命名を任されて更に困った。
荷が重くて言葉に詰まる。
頼まれたなら考えないと。

「それじゃあ……えっと……」

彼女をチラッと見て、目と目が合った瞬間、考えが浮かばなくなった。
期待に輝く瞳は淡黄 たんこう色だ。
綺麗だなぁ、とボンヤリ思う。

「扇さん?」

首を傾げる彼女にハッとした。

「ごめん。ジロジロ見ちゃって」
「いえ。平気です」
「名前、どうしようか……」

右を見て、左を見て。
そして上下に視線が泳ぐ。
悩みに悩む俺を、彼女は急かさないで待ってくれる。
ピンとひらめいた。

「好きな色は」
「え?」
「ああその、好きな色があるなら教えてほしい。好きな花とか」
「花は……分からないです。
でも、好きな色なら……」

彼女は袖を撫でた。

「この服の色が好きです」

頬のあたりが、じわりと熱くなる。
ほんの少しだけ緑を混ぜた明るい青────好きな色がまさかそれなんて。
照れくさくてゴホンと小さく咳き込んだ。

「それは……その色は千草 ちぐさ色だよ」
「ちぐさ色……」

小さく復唱する声は可憐だ。
彼女は目を細めて微笑んでくれた。

「私、その色の名前がいいです」
「えっ!?」

驚いて腹の底から声が出た。
大きい声量に慌てて口を塞ぐ。

「……ち、千草は……日本人の名で……。
他の名前にしたほうが!
君ならもっと他の……!!」

指の隙間から情けない声が出る。
記憶を失ってもブリタニア人だ。
そんな君に日本人の名は!

君の微笑みは変わらない。

「いいえ。この色の名前がいいんです。
今の私の名前はそれでお願いします。
呼んでくれませんか?」

頼まれたら呼ぶしかない。
う、と小さく呻き、姿勢を正す。

なぜ“千草”なんだ。どうして。
気を遣わせてしまったか?
俺が呼びやすいように。
後悔と罪悪感と後ろめたさで心がいっぱいになる。

「ち……千草……」

上擦った声。情けなくなった。

「はい!」

満面の笑顔で頷いてくれる。
“花が咲いたような”────そんな言葉が頭をよぎる。
本当に花みたいだ。
かわいくて美しい、大輪の花。
心に満ちた負の感情が一斉に吹き飛んだ。

“千草”と命名してからしばらく経った。
彼女は一度も外出しない。
時折『ブリタニアが怖い』と怯えて震えてしまう。
その度に『大丈夫だ』と声をかけ、『守るから』と必死に伝えた。

彼女は思い出さない。いつまでも身元不明のままだった。
自分に関する記憶もゼロの正体も、彼女はずっと忘れたままだ。
ブリタニアの奴にひどい事をされたんじゃ……と思ってしまう。
一向に思い出さなくて、ホッとする自分がいた。
このまま、ずっと忘れていたら良いのに……なんて考えてしまう。

千草は欲しい物も必要な物も言ってくれない。
だから考えて、自分なりに『これは必要だろう』『これは喜んでくれそうだ』と思える服や雑貨、日用品を持って帰る。外に出る日は毎回必ず。
外に出られない君が退屈しないように。
渡すたびにいつも、はにかんで笑ってくれる。
その笑顔で胸の奥に花が咲くんだ。
ふわり、ふわりと。心に毎日花が咲いていく。

“千草”の名に慣れた頃、彼女はブリタニアに怯えなくなっていた。
カーテンを開き、窓の向こうをぼんやり眺める彼女に『息抜きで散歩してもいいんじゃないか』と提案してみる。
だけど千草は微笑むだけだ。
自分からすすんで外出しようとはしなかった。

非番の日に一緒に歩くか……と考えていたら、租界にいる情報提供者からデータを受け取る必要が生じた。
今後の作戦に必要な情報ルートを得る為の任務だ。
日本人がひとりで租界を歩くのはリスクが高い。ブリタニア人の彼女と一緒に歩いたら……と思い、その任務は俺が請け負った。


  ***


任務当日、空は快晴。散歩日和だ。
千草に同行をお願いしたら快諾してくれて、彼女の準備が終わるまで外で待つ。
データを受け取ってすぐ帰宅……じゃ同行してくれる千草に悪い。

「こういう時はどこに行けば……」

悩みに悩み、頭に浮かんだのは公園。
あそこは昔から俺達を助けてくれている仲間が営むクレープ屋がある。
他には……と考える。悩んでいたら、扉が静かに開いて千草が出てきた。

千草色のワンピースに薄紅色の上着、リボンの飾りがついた白い帽子────最近買った服だ。

「扇さん、お待たせしました。
着てみたんですけど……似合いますか?」

綺麗で、美しくて、感嘆のため息がこぼれてしまう。
首を傾げる。表情がすごくかわいい。

「……扇さん? 大丈夫ですか?」

ハッとする。
ちゃんと返事をしろ!

「あ、ま、すっすごい似合ってる!
あ……ありがとう……着てくれて……!!」

顔が熱い。泣きたくなるほど嬉しくなった。
千草がホッとした微笑みを浮かべる。
心にまた花が咲く。たくさんの花が。

「それじゃあ行こうか。
ゆっくりでいいから、一緒に歩こう」

千草はずっと家にいた。
歩いてばかりだと疲れるだろう。
ちゃんと彼女を見て、適度に休憩を取らないと。
そう心に決め、出発した。

話しながら目的地を目指して進んでいく。
千草は楽しそうだ。顔色がいい。
彼女のスピードに合わせて歩く。

「すまない……。
ゲットーのイレヴンが1人で出歩くと……」
「いいんです。恩返しさせてください。
本当に、こんな事がお仕事の助けになりますか?」
「あ、ああ。すごく助かるよ。ありがとう」

“開発計画の資料集め”────それが彼女を外に連れ出した嘘の理由だ。

「良かった」と微笑む千草に罪悪感を抱きながら、取りあえず笑いかけておく。
またお互い、歩き始めた。

租界を歩きながら考えてしまう。
できればこのまま、彼女を警察か病院に……と。
いや、ダメだ。俺の情報が漏れると他のみんなを巻き込んでしまう。
今は大丈夫でも、記憶を取り戻せば彼女は自分で軍や警察に駆け込むだろう。
そうなったら……どうすれば……と悩めば、頭に『始末』の字が浮かんだ。
じわりと冷や汗が出てくる。
“ナオトならこんな時は”と思ってしまった。

ポンポンと空から花火の音が聞こえてくる。
いつの間にか、カレンが通う学校まで来ていた。
学園祭か? 開け放たれた校門の向こう、敷地内が賑やかに飾り付けられている。

「どうかしました?」

千草も足を止めてくれた。

「あ、いや……。
……昔、学校の先生やってたから懐かしいなって」
「どうして辞めちゃったんですか?」
「子供の頃からの親友がいてね。けど死んじゃって……。
そいつの夢を俺が代わりにって」

そうだ。燃えるような夕暮れを目に焼き付ながら誓ったんだ。
今の自分を思うと情けなくなる。
俺は、ゼロがいないと満足に戦えない。

「ちょっと俺には荷が重い夢だけど……」

苦笑すれば、いきなり千草がくっついてきた。
細い両腕が俺の左腕を捕まえる。

「え!?」
「入りましょう!」

千草はグイグイ引っ張っていく。

「え、な……中はちょっと!
それにイレヴンは……!!」

学校敷地内から生徒が5人ほどワーッとやって来る。

「関係ないですよ!」
「うちはオープンですから!」

千草に引っ張られ、キャッキャとはしゃぐ生徒達に背中を押され、流されるままに入場した。
食べ物の屋台も出店してるのか、美味しそうな良い匂いがする。

「お2人さんごあんな〜い!!」
「ちょ、ちょっと! うちの客!」

背後で客の取り合いをしている。
なんだか複雑な気分だ。ブリタニアの学校で、日本人がこんな風に歓迎されるなんて。
玉城に話したら絶対信じてくれなさそうだ。

屋台で食べたいものをお互い食べ、見たいものを一緒に見る。
生き生きした笑顔の千草は楽しそうで、俺も楽しくなってくる。心にまた花が咲いた。
生徒の客引きに捕まり、校内で開催中のホラーハウスに案内された。
怖がるかな?と心配したけど、千草は行く気満々のようだ。
引っ張ってくれて嬉しくなった。心にまた花が咲く。

真っ暗な墓地を歩いていく。
内装は凝っていて、学生が作ったホラーハウスとは思えなかった。
お化け役の生徒は驚かせるのが上手で、不気味にライトアップされて少しビクビクしてしまう。
千草の盾になるつもりで前を歩く。
暗い曲がり角には何があるか予測がつかなくて、身構えながら右折した。
その瞬間、妖怪・ぬりかべが恐ろしい形相で現れた。

「早くしろーーーーーーー!!!」
「きゃあっ!!」
「うわぁあああっ!!!?」

恐怖と驚きでギュッと目を閉じる。
動けないでいたら、

「……扇さん?」

何故かカレンの声が聞こえた。
恐る恐る目を開く。
妖怪・ぬりかべの正体は顔を青く塗ったカレンだった。

「どうしてここに……。
その姿は……?」

普段の彼女なら絶対しない格好だ。
まじまじ見つめれば、プイッと顔を背けられた。

「生徒会活動の一環だから!
廊下で待っててください……!!」

お化け役の交代か、カレンは裏に隠れてしまった。
後ろで戸惑ってる千草に「ごめん、行こうか」と言って道なりに進む。
背中に視線をすごく感じる。
カレンとのやり取りで気になった点がいくつもあるだろうに、千草はひとつも聞いてこなくて密かにホッとした。
ホラーハウスを出れば廊下の明るさに目が眩む。
窓際で数分待っていれば、制服姿のカレンが怒った顔で出てきた。

「ついて来て」

有無を言わさない口調でカレンはスタスタ歩く。
千草をちらりと見れば、戸惑いながらも頷いてくれた。
カレンはどんどん歩いていく。
行き着いた先は暗い倉庫だ。関係者以外立ち入り禁止の空間。
俺達を中に入れ、扉を閉め、カレンは奥へ進む。
出入り口から離れた死角まで行き、足を止めた。

「どうして学校の中まで?」

カレンの気持ちはよく分かる。
責める眼差しに、「あ……私が……」と千草が言った。
俺が説明すべきところを彼女に言わせてしまった。

「誰ですか? あなた。
イレヴンじゃありませんよね。名前は?」

攻撃的な声音に千草は押し黙る。
千草の前にすかさず出た。

「この人は」

俺を見るカレンは驚きに眼を見張る。

「この人は、俺の……」

続きを言えずに言葉を失った。
“俺の”?
俺は千草を、カレンになんて言って紹介する気だったんだ?

「カレンか!」

奥から男子生徒の呼び声が聞こえた。
カレンはサッと顔色を変え、俺と千草を出入り口へ押し戻そうとする。
暗いところから声の主が現れた。

「ここは関係者以外立ち入り禁止だから、早く外に」
「すみません、今すぐ出ます」

カレンに迷惑は掛けられない。
出ようと思ったら、扉の開く音が聞こえた。

「バーナー用のボンベでしょ?
予備は確か奥の方に……」

出入り口の方から女子生徒の声が聞こえた。

「ひと騒ぎ起こします。その隙に」

カレンが小声で言い、俺達から離れた。
女子生徒がこちらに来る前にカレンが先に動く。

「カレン!
そっちに予備のボンベない? リヴァルが探してて」
「反対側じゃないかしら?
あっちとか……」
「あっち?」

話し声が聞こえる。
足止めしてくれるカレンに感謝した。

「大変! パネルが!
逃げて!!」

立て掛けているパネルをわざと倒したのか、倉庫内を震わせるような大きな物音が響いた。
さらに煙がボフッと充満する。
カレンの言う“ひと騒ぎ”が全然ひと騒ぎじゃなくて、すごいな……と思いながら、急いで千草と倉庫を出た。
生徒がいない所を選んで進んでいけば、植物や木々がひしめく裏庭に出る。
ここまで逃げれば大丈夫だろう。
足を止め、千草に向き直る。
こっちの都合で連れ回して申し訳なく思った。

「すみません。
変な事に巻き込んで……」
「いえ。なんだか楽しかったです。
こういうドキドキって久しぶり」

ふわりと微笑んでくれてホッとした。

「出ませんか? エリア11を。
そうすれば、あなたを撃った人も追って来ないかと」
「扇さん。
以前の私……今よりも幸せだったのでしょうか?」

答えられるわけがない。
口を閉ざせば、千草が歩み寄ってきた。
風が木々を揺らし、木漏れ日が彼女をきらきら照らす。

「……さっきの言葉の続き、聞かせてもらえませんか?」
「あ……」
「“この人は俺の”……何ですか?」
「そ、それは……」

緊張して言葉が詰まる。

「私、イレヴンになってもいいです」

この日を俺は一生忘れない。
千草の眼差しも、微笑みも、やわらかい声も。
彼女の言葉に、一生かけて千草を幸せにしたいと強く思ったことを。

いつの日かみんなで話した日を思い出す。
ゼロが『愛しているというのはどういう気持ちだ?』と質問してきた日のことを。
あの時、みんなが熱心に話していたことがよく分かる。
ゼロに向けて言ったアドバイスが、まさか今の自分に戻ってくると思わなかった。

「千草。俺は、君を……。
すごく大切で、失いたくなくて、抱きしめたいと思っている。
だから、俺と……」

全てを言い終わる前に千草が動いた。
両手を広げて歩み寄ってくれる彼女を、ぎゅっと抱きしめた。


  ***


副総督ユーフェミアが突如宣言した“行政特区・日本”に、俺たち黒の騎士団は大きく揺さぶられた。

『イレヴンは日本人という名前を取り戻す』
『イレヴンへの規制、ならびにブリタニア人の特権は、“特区日本”には存在しない』
『ブリタニア人にもイレヴンにも平等の世界』

ニュースでも大体的に報じられ、宣言した時の映像はどのチャンネルでも放送された。
ユーフェミアの人畜無害で慈悲に溢れた笑みはこの国で暮らす全ての日本人が見たことだろう。

ゲットーで配布された資料には、“特区日本”に学校、医療機関、商業施設を建設するとも書いていた。
居住地等の建設は急ピッチで進められ、その建設には日本人もたくさん携わっているらしい。
ゲットーの飲み屋で土建屋の男が高待遇だと興奮気味に話すのをよく見かけた。
医療機関の勤務が決まった女性はユーフェミアに感謝の言葉をかけてもらったらしい。
女神様のような方だと感涙しながら話していた。
『子供が遊べる公園もつくってくれる』と親子連れが嬉しそうに話しているのも聞いた。
暗くて寂しいゲットーも、今では明るい声がよく耳に入った。こんな事は初めてかもしれない。
千草の笑顔も前より明るかった。

「私……特区に参加したいです」
 
みんなとの会合に向けて出かける準備を進める俺は、ベッドの中でまどろむ千草の言葉に着替えの手を止めた。

「特区に参加したいって?」
「はい。
あそこなら、ブリタニアとかイレヴンという縛りは関係ないし」
「平等の世界……って言ってたもんな」

もしそれが本当なら、虐げられてきた日本人にとってどれだけ救いになるだろう。
今まで俺達を密かに支援してくれていたブリタニアの人達も隠れなくてすむ。
千草と共に特区に参加できれば、彼女をより幸せにできるかもしれない。

ユーフェミアはゼロが特区に参加をすることを願っている。
ゼロはどうするつもりなんだろう?

千草に見送られ、出発した。
特区をみんなはどう思っているのか、と考えながら。

埠頭の広大な倉庫に隠しているトレーラーに乗り込む。
おなじみのメンバーの他に、四聖剣の方や藤堂さん、ラクシャータさんも乗っている。
お互い挨拶しながら、俺はソファの空いてるところに腰掛けた。
中央のテーブルには“特区日本”の資料を全面に広げている。

「事態は深刻だ」

藤堂さんが重い声音で口火を切る。

「支持者だけではない。
団員の中からも特区に参加する人間が出てきている」
「黒の騎士団と違って“特区日本” にはリスクがありませんしね」

藤堂さんのそばに控え立つ朝比奈さんが言う。
ラクシャータさんは切れ長の瞳を細めて微笑んだ。

「それに由緒正しいお姫様と正体不明の仮面の男じゃ、どう見てもあっちの方がよさげだし」
「キョウトも向こうに協力するって話だ」

それは初耳だ。
南の情報に玉城が「なんだよそりゃ!」と声を荒げる。

「平等と言われちゃあな」

仙波さんの言葉に卜部さんは頷いた。
カレンは怒りを隠さない。

「平等なんて、口だけで信用できないって!」

彼女の訴えに同意する声があちこちから上がった。
“特区日本” を歓迎するゲットーの人達と違い、ここの空気は冷ややかだ。

「扇は? 話さないままなのも珍しいな」

杉山に話を振られ、みんなの視線が俺に集まった。

「ユーフェミアの提案通り、黒の騎士団ごと参加する訳にはいかないかな?」

玉城とカレンが目を吊り上げる。

「はぁ!? マジかよ!!」
「だから、ブリタニアの約束は!」
「ゼロが言っている事と、特区に参加する事
は矛盾しないだろ?」

カレンと玉城から勢いがなくなる。
ディートハルトのほうから視線を感じた。

「参加すれば、まず平和という名目で武装を解除させられるでしょう」

ディートハルトの顔にはいつもの笑みが無い。
「そりゃ困ったわぁ」とラクシャータは肩をすくめた。

「我々は体制に取り込まれ、独立は失われる」

ジッと見つめてくる。
ディートハルトの眼差しに圧を感じて、俺はそっと視線を外した。

「しかし、参加しなければ自由と平等の敵となる。
だったらまず参加して……」
「なんの保証もなくですか?」

心に滑り込ませるように言ってくる。
痛いところを突かれた気がして頭がカッとなった。

「でも無視はできない!」

思わず大声を出してしまった。
場の空気が悪くなったのを肌で感じて口を閉ざす。
ディートハルトは興味を失った顔で席を立ち、上に行ってしまった。
玉城はソファに全身で寄りかかる。

「あーあー……。
ゼロは特区をどうすんだろうなー……」

ため息混じりの玉城の呟きに、みんながゼロを思ったことだろう。
俺だってそうだ。
ゼロと話して、彼の対応と彼がどんな未来を思い描いているのか描く聞きたかった。


  ***


ゼロはとてつもなく大きな何かをしようとしている。
水面下で動く彼とゆっくり話す機会は訪れなかった。

ゼロが用意した“特区日本”の開設セレモニー当日の配置をみんなで確認する。
主力メンバーは完璧に整備したナイトメアに乗り、武装した状態で会場付近に潜伏。
残りの全兵力は租界周辺に配置されている。
会場に行くのはガウェインを操縦するC.C.とゼロだけ。

ゼロが何をやろうとしているか、藤堂さんは気づいたようだ。顔つきが違う。
気づいても藤堂さんは俺達に話さなかった。

作戦決行日、千草は家で俺の帰りを待つそうだ。
いつもと同じ笑顔で見送ってくれる。

「要さん、行ってらっしゃい」
「行ってきます、千草」

いつもと同じように出かけて。
いつもと同じように帰って来れると思っていたんだ。


  ***


“特区日本”でユーフェミアが日本人を虐殺した。
安心して生活したいと願う大勢の日本人がたくさん殺された。
身体中の血が沸騰するような怒りを感じたんだ。

変わり果てた会場で、生き残った日本人達が集まっている。
瞳は絶望と怨嗟 えんさで濁っていた。

「我らがこれから造る新しい日本は、あらゆる人種、歴史、主義を受け入れる広さと、強者が弱者を虐げない享受を持つ国家だ。
その名は……合衆国、日本!!」

力強い宣言に、ゼロを見る日本人達の瞳に光が戻る。希望が灯る。
間近でそれを目撃した俺は、ゼロを疑ったかつての自分を恥じた。

俺はゼロを信じたい。
信じるんだ。


  ***


これは、租界全てを巻き込んだ戦争だ。
いつもと同じように、彼女の元には帰れないだろう。
千草は無事だろうか。それがたまらなく不安だった。
彼女はけして外に出ない。だから大丈夫だ。
増大する不安に意識が向かないように、目の前の事にひたすら集中する。
みんなが全力で戦ってくれている。
みんな頑張ってるんだ。
だから、俺はもっともっと頑張らないと。

政庁を挟む形で黒の騎士団はふたつの拠点を押さえた。
俺達は学園地区。
ディートハルト達はメディア地区。
あとは後方さえ押さえれば勝てる。

クラブハウスと呼ばれるこの施設は広い。
大きなホールに設置している機材は全て稼働していて、モニターには周辺の地図と敵の位置が常に表示されている。
ラクシャータの通信で、俺はゲフィオンディスターバーの設置完了を知った。

「……発信機も? 準備がいいな」
『逃げられるかもしれないからねぇ』
「人手が必要なら言ってくれ。何人かそっちに行かせるから」
『十分よ。みんなで囲むから。
それじゃあね』

ブツ、と通信が切れる。
バタバタと忙しなく走る音が行き交っている。
ここにいるのは戦況の把握と情報取得を務める人間だけだ。

「T4が政庁方向に?
敵の航空部隊がもう着いたのか?」
「いや、1機だけらしい」

報告を受けて驚いたものの、南がすかさず教えてくれてホッとした。

「なら体制に影響はないだろう」
「副指令、不審者を捕らえました」

見回りに出ていた井野が戻ってきた。

「学生か? なら逃がしてやれ。
監禁する理由などないのだから」
「いえ。裏門から校内に侵入しようとしたところを……」
「侵入?」

遅れてホールに入ってきたのは吉木と北だ。
侵入者────千草を連れて。

「……!?」

淡黄色の瞳を鋭く細め、俺を睨んでいる。
彼女は後ろ手に拘束されていた。
心臓を直接掴まれたような衝撃を受ける。

「か……彼女は直属の協力員だ。
別室に案内を。俺が直接、報告を聞こう」

動揺で声が震えた。
「直属の協力員? いつの間にそんな……」と呟く南を無視する。
千草を別室に連れて行く井野達を追いかけた。

施錠されていない部屋に入る。
そこは掃除の行き届いたダイニングで、誰かが生活している痕跡があった。
中央のテーブルには折り鶴が2つある。

井野達を下がらせ、やっとふたりきりになった。

「千草、どうしてこんな戦場に来たんだ?
安全な所を探すから、ひとまず俺と……」

歩み寄れば、千草は無表情でサッと後退した。
瞳は怒りで冷めきっている。

「その……隠していて悪かった。
でも! これは平和の為にやっている事なんだ!
ゼロがブリタニアから日本を解放すれば俺達は一緒になれる……!」
「気持ち悪い事を言うな!!」

鋭い一喝に身が竦む。
彼女は一気に距離を縮め、俺の背後に回った。
背中に銃を突き付けられて、やっと気づく。
彼女が俺のポケットから護身用の拳銃を抜き取ったことを。
銃口をグッと押し付けてくる。

「私とお前みたいなイレヴンが一緒になる?」

フッと笑う。冷酷な声をしていた。

「私の名はヴィレッタ・ヌゥ。
ブリタニアの騎士候だ」

名乗る彼女に驚き、振り返ってしまった。

「あ、あの……!!」

大きな銃声が一発、全身が震える。
腹を撃たれ、力が抜けて立てなくなった。
両手で腹をとっさに押さえる。
目の前がだんだん見えなくなる。

「そ……そうか……。
千草、記憶が戻った……のか……あ……」

容赦なく撃たれたのに。
俺は穏やかな気持ちで意識を手放した。


  ***


破壊された町の景色も、ナオトも、全てが色褪せている。
頭がぼんやりしていた。
これは走馬灯か? 俺は死の淵に立っているのか。

「自由と、権利と、名前だけじゃない。
すべての日本人の未来も奪われたんだ。
戦わなきゃ取り戻せない」
「戦うって……ナオト、相手はブリタニアだぞ!
勝てるわけがない……!!」
「そうだ。正攻法なら勝てない。
人も武器も圧倒的に足りないからな。
だから引っ掻き回す。
何をしたらブリタニアが嫌がるか、オレはよく知ってるから」
「……そうだな。ナオトは嫌がらせの天才だから」
「泣きながらひどい事言うんだな。
心配するな、要。
オレは死なない。死んだら時間稼ぎできないからな」
「時間、稼ぎ……」
「仲間はすぐ集まらない。だからオレが時間を稼ぐ。
そうすれば現れるだろう。
日本のすべての人の希望になれる人間が」
「日本人の……希望……。
……どれだけ戦っても現れなかったら?」
「その時は捜す。
こっちは何もかも壊されたんだ。
ブリタニアをぶっ壊す、なんて心に誓ったヤツが一人か二人ぐらいはいるさ」


ナオト。あの日のおまえに言ってやりたい。
日本人の希望になれる人間が確かに現れたって。

名前はゼロ。
素顔を一切見せないし、正体不明だし、素性を知っている日本人はおそらく桐原様だけだ。
謎に包まれているけれど、誰よりも強い信念を持っている。
“ブリタニアに勝てる”とみんなに思わせてしまう、不可能を可能にする、すごいヤツが。


  *** 


クラブハウスの、クリーム色の天井が視界に広がっている。
腹には包帯が巻かれていて、血が滲んでいた。
ぼんやりしていた頭がハッと冴える。

「ここは!? ぐっ……!」

痛みに身動きが取れない。
周りはバタバタと騒がしかった。

「扇さん! 気がついたんですね!!」

井野が駆けつけてくれた。

「すみません! 俺が持ち場に戻ったせいで!!」
「だ、大丈夫だ……。
時間……あれからどれだけ経った……?
戦況は……」

呼吸する度に腹が痛む。
千草────いや、ヴィレッタに撃たれたところだ。燃えるように熱くなってきた。
目がかすむ。

「ゼロがいなくなったってどういう事だ!!」

誰かと電話している南の横顔が見える。
いつも冷静なアイツがあんなに取り乱すなんて……。

「指揮権を現場に委ねた!?
どうしてこんな大事な時に……!
全体状況を……いや、情報は全て最優先でA7に回してくれ!!」

通話を終え、電話をかけ直す。
いつまでも繋がらないようだ。
南は見てわかるほど苛立っていた。
みんなも動揺している。

「いなくなった?」
「まさか逃げたんじゃ……」

誰かが呟いた。
ゾッとするほど空気が一変する。これはマズイ。

「逃げてない!
ゼロは、逃げてない!!」

鋭い痛みが走り、血が吹き出すのを感じる。
目の前が真っ暗になった。

「カレン、を……カレンに連絡を……」

誰かがすぐに通信機を差し出してくれた。

『扇さん! 大丈夫なんですか!?』

息を吸って、吐いて。
呼吸を整える。

「ああ……。
それよりカレン、ゼロを追え……」
『え?』
「彼の行動には……意味が……あるはず。
助けるんだ、ゼロを。
ナオトの夢……希望を……」
『でも、どうやって探せば?』

ラクシャータの準備の良さに心から感謝した。

「そろそろ、見えるだろう……」
『見える? 何がですか?』

ハッと息を呑む音が聞こえた。

『あれは……ランスロット!?
あいつがここを離れる理由なんて!』
「ラクシャータが発信機を……」
『分かりました!』

カレンならすぐに追いかけてくれるだろう。
だから大丈夫だ。

意識を失わないように唇を噛む。
ゼロが戻ってくるまで、今の俺に出来る事をやるんだ。


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