世界を彩る かけらの章/ ニーナ


忘れられない事は何があってもけして忘れない。
消し去りたいと、自分自身思っても。
遠い過去の事なのにその記憶は鮮明で、いつだって私に付きまとう。
だから、あの子をまともに見る事ができなかった。

名前も呼べない。
近づいてきたら離れたし、挨拶もまともにできない。
リヴァルに一度だけ言われたことがある。
『同じ生徒会の人間なんだから』って。
それは分かってる。でも無理なの。
あのイレブンとは違うって分かってる。
ルルーシュが信じてるんだからきっと大丈夫だって、分かってるのに。
無理なものは無理だった。
だってあの子の瞳と髪の色が、あの日のイレブンと同じなの。
私はミレイちゃんみたいには生きられない。

どうして歩み寄ろうとするの?
私はいつだってあなたから逃げているのに。
どうしてあの子はこんな私に近づいて来るんだろう。
着ぐるみで素顔を隠して、プレゼントまで用意して。

『ニーナの事がね、きっと好きなんだよ。
だから仲良しになりたくて頑張ってるんじゃないかな』ってシャーリーは言った。
『いつか、ずっと先でいいから、一回だけでいいから、あの子の名前を呼んであげて』ってミレイちゃんは言った。

今までの自分を後悔したのはホテルジャックに巻き込まれた時だ。

殺される、と恐怖した、死を頭上に感じた密室。
憎悪で濁った瞳も、身がすくむ怒鳴り声も、あのイレブンと同じだった。
息を潜めなきゃいけないと全身で思っていたのに、あの血走った瞳が私を捉えた瞬間、忘れたかった過去が脳裏をよぎる。
あなたが立ち上がらなかったら、私はきっと叫んでいた。

「大丈夫だよ。
ミレイはニーナのそばにいてあげて」


そして連れて行かれた。

強い後悔が、震える恐怖を塗り潰す。
『私のせいだ』が何百回も頭の中で反響した。

救命ボートに乗せられても前がよく見えなかった。
『もう大丈夫よ』と無理して笑うミレイちゃんの声に、私は何も返せなかった。
ボートから降りられないほど、涙と震えが止まらなかった。

誰かが手を握ってくれた。
ミレイちゃんでもシャーリーでもない、知らない女の子のものだ。
冷えきっていた手を優しい熱が温めてくれる。

「あなたの命を脅かす存在はもうどこにもいません。
だから安心して」

凛とした、芯のあるきれいな声。
副総督の就任挨拶で聞いたユーフェミア殿下の声だ。
真っ暗な視界に光が戻り、目の前がよく見える。
美しい女神様がふわりと微笑んでいた。
瞳が、春に咲く花のような色でとても美しい。
包み込んでくれる手が私の震えを止めた。

ユーフェミア様が笑いかけてくださった日から、忘れたい過去がだんだんと色あせていきました。
悪夢を見る回数も減り、たとえ真夜中に飛び起きても、ユーフェミア様を想えば恐怖はすぐに薄らぎました。

生きて帰ってきてくれた空にありがとうを言えました。
今まで見れなかったあの子の瞳をまっすぐ見ることができました。
名前も呼ぶことができて、話せるようになりました。
ありがとうございます、ユーフェミア様。

握ってくださった手を思い出す度、
私に向けてくださった笑顔を思う度、
心が温かくなって奥のほうがじんわり熱くなるんです。

ユーフェミア様にお礼を言いたい。
一度だけでいいからユーフェミア様に。

お会いしたい思いが募り、勇気を出してスザク君に聞いてみた。
『向こうは雲の上の人だからそんな簡単には……』と、良い返事は貰えなかった。
会えるわけがない。
私はただの学生で、ユーフェミア様が会ってくれるような人間じゃない。
会いたいと思って会える方じゃない。
だってユーフェミア様は女神様だから。
そう自分自身に言い聞かせても、お会いしたい思いは日々募るばかりだった。

ある日、屋外ブースを借りる手続きをしに美術館へ行けば、皇族の方がご観覧されているからと入館を断られた。
もしかしたら、とそわそわしながら手続きを済ませ、帰路につく。

もしユーフェミア様だったらどうするの? おそばに行くの?
そんなのSPの方が許さない。警備は厳しいだろうし、捕まって罰せられるはずだ。
でもお礼を言うなら今日しかない。
今日だけしか!

ふらふらと正門を出ようとして、ユーフェミア様の乗るお車が見えて、気づいたら飛び出していた。

「ユーフェミア様!!」

でもすぐに取り押さえられた。
拘束され、地面にねじ伏せられ、眼鏡が飛んで、ユーフェミア様が見えなくなる。
違うの。ただ私はユーフェミア様に伝えたかっただけなの。

「お願い! ユーフェミア様にお礼を言いたいだけなの!!
一目だけでも……!!」

涙で視界が歪む。
連行されそうになった時、車を降りる音が遠く聞こえた。

「お止めなさい!
彼女はわたくしの友人です!!」

そこから先は、夢を見ているみたいに現実味がなかった。
信じられなかった。
ユーフェミア様が助けてくれるなんて。

本当に夢みたいだ。
ユーフェミア様の私室で、ユーフェミア様と二人きりになれるなんて。

炎が優しく揺れる暖炉は暖かくて、絨毯はふわふわと柔らかい。
紛れもない現実だ。
向かい合って座るユーフェミア様を見ていると、幸せな気持ちで頭がふわふわしてくる。

「ユーフェミア様は、私にとっての女神様です」
「え?」
「私を助けてくれた時、光り輝いて見えたんです。
まるで……アッすみません! 服を貸していただいたお礼から言うべきでした……!」

ユーフェミア様の目元がふわりとやわらいだ。

「そんな事気にしないで。
女神様だなんて、そんな……」

ユーフェミア様は暖炉を見る。
微笑んでいるけど、辛そうで苦しそうだった。

「……わたくしはそんな立派な人間じゃないわ。
姉達に比べたら全然ダメで……」
「ダメじゃありません!!」

自分でも驚くほど大きな声が出てしまった。
ユーフェミア様はびっくりした様子で私を見る。
その眼差しにドキドキした。

「ユーフェミア様がダメだなんて……。
私なんか、良いところひとつも無くって。本当に何も……。
両親だって、ただの人で……。
全然きれいじゃないし……」
「そんなことないわ。
あなたとってもかわいいのに」
「そ、そんな……」

かわいいだなんてそんなの嘘だ。
私なんて全部ダメなのに。
ミレイちゃんみたいになれないのに。

「本当にダメなんです、全然……」
「きらいなのね、自分のことが」

ユーフェミア様の言葉が胸にストンと落ちる。
そう。私は私がきらいなんです。大嫌い。

「でも、私だって……」
「え……? ユーフェミア様も……?」

わずかにうつむく顔は自己嫌悪でお辛そうだ。
花のような色の瞳は暗い。
本当に自分をダメだと思ってるんだ。
自分のことが嫌いなんだ。
目の前が真っ白になる。

「そ、そんな……そんな風に思わないでください……!
だって私はユーフェミア様が好きなのに!」

あ、と息を呑む。血の気がザァッと引く。
言っちゃった。言ってしまった。
ユーフェミア様が目の前にいるのに。

「ニーナは……わたくしのことを?」
「あ、あの、その、それは、えっと……」

しどろもどろになる私に、ユーフェミア様は真剣な眼差しを向けてくる。
打ち明けるしかなかった。

「……今まで、真っ暗な道を歩いているような気持ちだったんです。
忘れたいのに忘れられない嫌な事が、私の頭の中にずっと、ずっとあって……。
でも、ユーフェミア様が……救命ボートで手を握ってくれてから……嫌な事が、すごく遠ざかったんです。
光の中に連れていってもらったみたいに、見られないものが見れるようになったんです……。
ありがとうございます、ユーフェミア様」

私の話をユーフェミア様が聞いてくれている。それが高揚するほど嬉しかった。

「だから、ユーフェミア様が自分をダメだなんて言うのは止めてください。
だって必要なんです。私にとって……!」

ユーフェミア様はきれいな色の瞳を大きく見開いている。
困惑させてしまったかも。
激しい後悔に口を閉ざした。

「ありがとうニーナ。
あなたに会えて良かったわ」

堂々とした華やかな声。
ユーフェミア様の笑顔に目を奪われた。

「私だってあなたが必要よ。
だから、けして自分を嫌わないで」

まばたきできなかった。
息をするのも忘れた。
ユーフェミア様のお言葉が、頭と心にゆっくりと染み渡っていく。

まともに呼吸できるようになったのは、ユーフェミア様が私室を出て行かれた後だ。
『今すぐ伝えにいきたいの』と仰っていた。ひどく慌てた様子だった。
『ここで待っててね、ニーナ』と切実な声で。
『ごめんなさい』の声は、思い出すだけで胸が痛んだ。

「……お話できなくていいんです。
私は……ここに居られるだけで幸せですから……」

心を抱きしめてもらったみたい。
胸がいっぱいで溢れてきそうだ。
熱いため息がこぼれる。

太陽みたいに眩しくて暖かくて、
眠れない夜を明るく照らしてくれる月のようで、
色彩豊かでいい匂いのする花のような、
美しく輝く、奇跡みたいに優しい女神様。

忘れたくない今が、忘れられない過去を上書きした。


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