#6 アルコールは、心のドアを開く鍵
一杯引っかけに行こうと戸を開けたら、目の前に人が立っていて心臓が止まりかけた。つーか止まった。絶対一瞬止まった。
そんで目の前の女を見て今度は思考が止まった。
なになになに、俺なんかした?してないよね?
「依頼、したいんですけど」
目に涙をいっぱい溜めて、口をへの字に曲げたソイツは、弱々しい声で続けた。
「愚痴…聞いてくれませんか…食事、奢るので。」
「…今夜の肴は女の愚痴で決まりだな。一杯行くか。」
そう言って口元で手をクイッとすると、ソイツは張り詰めていた表情を少し和らげながら頷いた。
「とりあえず…お前名前は?」
「あの時名札見てたのに覚えてないんですか?」
行きつけの居酒屋のカウンターに腰掛け、適当に酒とつまみを頼んでから、さっそく"依頼"に取りかかる。
「顔のインパクトがでかすぎて名前なんか頭に入んねーよ。」
「…夕日です。」
カウンター越しに店のオヤジが酒を差し出してきたので受け取りながらソイツの顔をチラッと見ると、また顔の事を言われたのが気に食わなかったのか、むくれっ面になっていた。
「で?なるべく旨い肴で頼むぜ夕日ちゃん?」
熱燗を注いだお猪口を渡して、チンッと音をたて乾杯をする。
お猪口の中の酒を飲み干し隣を見れば、ソイツはすでに熱燗のとっくりを掴み、お猪口にたっぷり注いでいた。
「私、赤の他人にこんなに腹が立ったの、生まれて初めてです。」
そう切り出して、つい最近引っ越してきたことから、数日前の出来事、今日あった出来事を話し出した。お猪口を何度も空にしながら。
「あり得ないでしょ!?舌打ちだよ!?私わざわざ道の端に避けたのに、舌打ちされたの!私悪くないよね!?」
「あぁ悪くない、お前はなんにも悪くない。」
適当に相槌を打ったが、それよりもいつの間にか敬語じゃなくなってるのが気になる。
もしかして、いや、もしかしなくてもコイツは酔ってる。
「っていうか何!?似てるからって何!あの子はそんなに怒るほどお姉さんが嫌いだったわけ!?」
「いや…その逆。相当なシスコンだったなありゃぁ。」
それを聞くとまた少し切なそうな顔をする。
少し頭を掻いて考えた後、コイツにはアイツらの事を少し知っておく権利があるんじゃねぇかと思い、自分のとっくりに並々酒を注ぐ。
「男の弱味を勝手に語るには、まだ酔いが足りねぇ。口を滑らす口実が欲しいんだけど。」
「私も、飲み足りない。」
「二件目行っちゃう?お前の奢りで。」
「いいよ、その代わり、銀さん。私の、友達になって?」
予想外の言葉に一瞬ポカンとしちまったが、"友達"という子供みてえな純粋な言葉とは裏腹に、少し寂しげに虚ろな目を向け頬を染めたその表情が、妙に色っぽかった。悪くねぇ。
久しぶりに、友達ってアレ?そういう友達?ちょっとイケナイ友達?なんてバカな期待を抱いたが、目の前にいるこの女はどう見ても"知り合いの姉"に似ている。
どう見ても"知り合いの愛した女"に似ている。
話し方や動作はまるで違うが、やっぱりその顔は、もうこの世にはいないはずのあの女にそっくりだ。
この顔じゃなきゃ、ワンチャンありかななんて思ったかもしれねえが。
すっかり暗くなった夜道を歩きながら次は何が食べたいか何が飲みたいか訪ねると、また予想外の言葉が返ってきて、さすがに動揺した。
「いや、それはダメでしょ夕日ちゃん?さすがに銀さんでもそれは勘違いするよ?何、もしかして銀さんに惚れちゃった系?マジで誘ってる系?それならそれで…」
「だってさっき友達になったじゃん。友達と宅飲みすることの何がダメなの?」
「いやだから、女が男を家に連れ込むなんてそれはもうオッケーのサインでしかねーだろ!もうレッツ☆イケナイ友達!でしかねーだろ!」
「違うの!私お風呂入りたいの!!」
「だーかーらーさー!!銀さんに襲われたらお前どーすんのって話なの!風呂なんて入ったらもうヤることひとつしかねーだろーが!バカなのかお前は!バカなのか!!」
「だって宅飲みの方が安くつくし布団でゴロゴロしながら飲めるしお風呂入れるしいいこと尽くしじゃん!!」
「ねえお前ほんとバカだろ!!話が噛み合ってねーんだよ!!なんだお前は!セックスしてーのか!?正直に言え!言って!?」
「…ねえ銀さん、何言ってんの…そういうのやめた方がいいよ?」
「おい、その顔やめろ、引いてんじゃねえ。お前のせいだからねコレ!どんだけ話通じねえんだよ!」
「銀さん顔赤いよ?」
「照れてねえし!別にセックスできるとか微塵も期待してねーし!?」
「ていうかね、聞いて?…帰り道が分かんないの。銀さん友達だから、教えてくれるよね?」
なんなんだこの女は…
俺の周りにはとんでもないキャラの女が多い。
大食いとか馬鹿力とかストーカーとか、ろくなヤツがいねえ。
でもなんつーかコイツは…
今までにないタイプだ…
さっきから話しててわかってきたがコイツは妙に男慣れしてる。
俺をやたらと友達扱いしてバカな真似ができないように予防線を張りながら、その上で自分の我を通そうとしている。
翻弄されるなんてガラじゃねえ。
顔こそあの女に似ているが、コイツは似ても似つかない、悪魔みてえな女かもしれない。
「ほらーぁ銀さん早くお酒買おー!」
既に前を歩き出してコンビニの前で大声で叫んでいる女に、若干の恐怖を覚えながら、逆らうこともできないまま、デカいビニール袋をパンパンにしてコンビニを後にした。