#15 純粋に生きることは結構めんどくさい
土方さんと健康ランドで遭遇したあの日から、私の心はザワついてばかりで、ちっとも落ち着かなかった。
別に誰かを好きになるなんて初めてでもなんでもない。
まぁ、ちゃんとした恋愛するのは久しぶりかもしれないけど。
いや、まだ恋愛と呼べるほど知り合ってもないし、スタート地点にすら立っていない気がするけど。
「はぁ…」
「どうしたの夕日ちゃん?最近元気ないね。」
仕事中なのについ吐き出してしまったため息に反応したのは、先輩の加藤さん。少し年上の独身男性。
私と同じく田舎町の店舗から移動してきた人。だから割りと付き合いは長い。
でも、この人はどうも苦手。
「ねぇ俺もさー、最近なんか疲れちゃってさ。今日上がったら飲みに行かない?早番でしょ?」
「そうですけど…」
「じゃ、上がったら更衣室の前で待ってんね。」
私が返事をする間もなくカウンターから離れて行ってしまった加藤さんの背中を見ながら、さっきより大きめのため息が出た。
勤務時間も終わり、着替えて更衣室を出ると、逃げ道を作らないように目の前で待ち構えられていて、軽く引く。
「行こっか!何食べたい?」
まさに意気揚々と前を歩き出した彼。
いやほんとめんどくさい…。
「なんでもいいですよ。」
「夕日ちゃんも一人暮らしでしょ?いつも一人で飯食うの寂しくない?俺超寂しくてさー。」
彼の何が苦手なのかと言うと、たぶん、常に愚痴っぽいところ。
あといい歳こいて雰囲気がチャラいところ。
「この店でいい?俺前から入ってみたかったんだよねー。初めて入る店って一人じゃ心細くてさー。」
こうゆう一言もダサい。
「何食べる?俺とりあえず焼そば。あと、マンゴーサワー。」
とりあえず焼そばって何。焼そばにマンゴーサワー?お子様ランチかよ。
「夕日ちゃんは?」
「え、あ、じゃあビールとヤッコで。」
「ヤッコってなに?」
「え。冷奴…」
ちょっと待って疲れる…。
その後彼の愚痴を聞くこと小一時間。私は頭のなかで土方さんのおでこのうぶ毛を数えるゲームを勝手に開催しながら、適当に相槌を打って過ごす。
土方さんのおでこをちゃんと見たことすらないけど、とりあえず現在太い毛も細い毛も合わせて175本目。
人の愚痴聞くのってこんなめんどくさいんだね。
「そんでさー、店長に俺超怒られてさ。そんな怒ることかよみたいな。」
うん、お前が悪いよそれは。
「ところでさ、夕日ちゃんって彼氏いないの?」
「…いませんよ。」
「へぇ、美人なのにねー。」
「加藤さんは彼女と婚約したんですよね?」
「まぁねー。でもさ、俺がこっちに転勤になるからって向こうが結構無理矢理進めてきた話なのよ。俺ちゃんとプロポーズしてないし。」
「そりゃ、離れたら不安でしょうし、彼女も同い年なんですよね?ちょっと焦りもあるんじゃないですか。」
「そうなんかなー。俺はまだ先でもいいかなーって思ってたんだけどねー。」
結構長く付き合ってる彼女がいて、婚約をしてからこっちに来たという話は、以前休憩がかぶって一緒にお昼を食べた時に聞いていた。
失礼だけどこの人と結婚する彼女の気が知れない。失礼だけど。
あまりに話がつまらなかったので、明日は休みだけど朝から用事があるので帰りたいと嘘をついた。
本当はなんの予定もない。
会計は割り勘かななんて思ってたけど、そこは案外払ってくれた。
タダ飯万歳だけど、こんなつまらない話に付き合うくらいなら自分で払って一人で食べた方がまだ美味しく食べれる気がする。
店を出て、少し歩いた先でお礼を言い、帰ろうとしたけど、思わぬ事態に見回れた。
何コレ、え?
「ねえ、俺と付き合わない?」
何を言ってんだこの男は。というか腕を離して欲しい。走り去りたい。激しく帰りたい。
「夕日ちゃんさ、俺に気があるでしょ?まぁ俺もさ、彼女とは別れられないから本妻にはできないけど、大事にするよ?」
何言ってんのコイツ。ちょっと一回殴っていいかな。
「いや、私加藤さんのこと好きだなんて一度も思ったことないです。それに彼女がいる人とは付き合えません。」
「え?そうなん?俺、向こうに住んでるとき夕日ちゃんは軽いって聞いたんだけどなーぁ。」
軽い?
あー、まぁ私、特定の人と付き合うのがめんどくさくて、都合のいい男で暮らしてる次期があったから、それのせいかな。
でもそれは、お互い同意の上で、どちらかに好きな人ができれば終わりの関係だったし、ただ本当に都合よく、性欲を処理してただけ。
そうゆうのって軽いって言うのかな。そうなら否定はできないけど、それでもちゃんと人は選んでるよ。
「軽いっていうのは、まぁ間違ってないかもしれないですけど、私にも人を選ぶ権利はありますから。」
「え?何それ俺じゃ不服ってこと?」
「というか、彼女がいるのにどうして私が必要なんですか。」
「彼女に会えなくて寂しいから。」
今気付いたけど、この男、酔ってる。
顔にはあんまり出てないけど、足元がふらついてるし、呂律も怪しい。
あなたマンゴーサワー2杯しか飲んでませんよね。
「ねぇ、いいじゃん、うち来なよ。」
「行きません、離して下さい。」
「お願い夕日ちゃん。」
いくら相手が酔っていても、やっぱり男の人の力には敵わなくて、腕を振り払うことができない。
通行人もちらほらいるし、大きい声出そうかななんて思った、矢先。
「ちょっとお兄さん?俺の友達に何してんの?」
「銀、さん…」
「あ?誰お前。」
「俺?コイツの友達。」
「友達ごときが首ツッコんでくんじゃねーよ、今俺たち大事な話してんの。ね、夕日ちゃん?俺たち田舎から出て来て寂しいもの同士、仲良くしようって話してただけだよな。」
「お前が寂しいかどうかなんて知らねぇけどな、コイツが寂しい夜に相手すんのは俺なんだよ。"そうゆう友達"だからな。」
「夕日ちゃん彼氏いないって言ってたじゃねーか。」
「彼氏はいませんよ?でも私、"軽い女"なんで。"そうゆう友達"がいれば満足なんです。」
突如現れた救世主。ちょっとほんとに感動しちゃう。
私が銀さんの腕に絡み付く姿を見て、やっと諦めがついたのか、ずっと掴んでいた私の腕を解放すると、最後に舌打ちをして去っていった。おぼつかない足取りで。
「…ありがとう、銀さん。助かった。ほんとに。」
「お前、厄介なのに絡まれんの好きだな。」
「好きなわけない。」
「そろそろ腕離してもいいんじゃね?」
「………うん。」
本当はちょっと怖かった。男の人の力ってあんなに強いんだって、改めて思い知らされた。
「…それ、飲み足りないって顔?」
「そう見える?」
「聞いてやろうか、愚痴。"そうゆう友達"だしな?」
「…うん。」
まだ銀さんの腕を離せずにいる私を見下ろして、何時になく優しく微笑んだ銀さんに、不覚にもちょっとキュンとした。
あぁ、私って、やっぱ軽い女だ。