二人のはじまり [ 26/87 ]


今年就職した会社で上司と共に初めての出張で大阪に訪れ、仕事後ふらりと上司と入った居酒屋で出会ったのが彼女だった。


「いらっしゃいませー、二名様ですか?今混んでるんでカウンター席でも良かったらご案内できますけど。」


淡々とした口調で話し、テキパキと席に案内してくれたのは、肩の上くらいまでの長さをした黒いショートヘアの女の子だった。耳にはキラリとゴールドのピアスが光っている。ちょっと気の強そうな女の子だが、とにかく顔が可愛くて俺は一目見た時から席に着いた後も彼女に目が釘付けになってしまい離れなかった。


「友岡?おい、友岡?聞いてる?」

「あっ…!すみません…!聞いてませんでした…。」


まさかの上司が話しているのに上の空で彼女を目で追ってしまっていたが、上司はそんな俺に怒るどころか「お前ずっとあの店員さん目で追ってるな。」って言ってニヤニヤと笑われてしまった。


「…めちゃくちゃ可愛いっすね。」

「あ〜そうだなぁ。俺の娘くらいの歳かな。」

「娘さんおいくつなんですか?」

「18。」

「18…。」


……若いな。きっとあの子も若いだろうな。18って言ったら高校生かな…、いや、大学生かもしれない。あの子からしたら、俺なんてもう……


「まあ友岡の歳だったら全然有りだろ。声掛けてみれば?」

「へッ!?こ、っ…声を掛ける…!?」

「なに驚いてんだよ、俺の話散々シカトして見惚れてたくせに。」


上司はそう言ってまた笑いながら「すみません」と店員さんに向かって手を上げながら呼び掛けた。…えっ!なに呼んでんの!?って慌ててしまったが上司は普通の注文をするだけだったようで、「ビールと焼き鳥と刺身盛り合わせ」ってあの店員さんに向かって話しかけている。

俺はそんな時も、ずっと店員さんの顔に目が釘付けになってしまっていた。あんまり見てたらキモがられるかも…と思って、こっそりチラチラ…。


「お前店員さんと一言も喋ってねえのに顔真っ赤になってるぞ。そんなに惚れたか?」

「…可愛いっすね。」


俺は店員さんが去った後また上司にニヤニヤ笑われてしまい、恥ずかしくて両手で顔を隠した。


「そんなに気になるなら名刺くらい渡して帰れよ。あの子が店辞めたら二度と会えなくなるぞ?」

「えぇっ…!俺そんなナンパみたいなことしたことないっすよ!」

「だってずっとチラチラ見てんじゃんか。彼女も居ないんだろ?俺がお前なら名刺渡して連絡待ちしてみるな。」


ビールをゴクゴク飲みながらちょっとハイになってきた上司は、俺の背中をバシバシと叩きながらそんなことを提案してきた。


確かに、また一目見たくて店に来たとしてもあの子が店を辞めてしまったらもう一生会えない。名刺くらい渡してみても良いか…?なんて、心が揺れた。



その後上司に「ほらほら」と促され、あの子に名刺を差し出してみたもののあっさり突き返された。…まあ、仕方ない。当然の反応だ。これで良かったんだ。悔いはない。

上司も「残念だったなぁ」って言いながら俺を慰めてくれるようにポンポンと肩を叩いてくれた。


でもそれから数十分後、上司がトイレに行くために席を立つと、あの子の方から俺に話しかけてくれた。


「お客さんここ来るの初めてですか?」


名刺を受け取ってはもらえなかったけど、俺はそれだけで嬉しかった。


「初めてです!!」

「あと一時間でバイト終わるから終わったら遊ぶ?」


……『遊ぶ』!?!?

続けて言われた内容に、俺の頭の中はパニックになりながらも頷いた。もう二度と会えないかもしれない女の子と仲良くなるチャンスを逃したくなくて必死だった。


その夜俺は、彼女の話をいろいろ聞いた。

歳は20、意外と歳が近かったことに喜びを感じると同時に安心する。未成年じゃなくて正直かなりホッとした。

『高校を卒業した後はバイトして金を稼いで遊びまくってる遊び人』…彼女、ゆりちゃんは、自分のことをそんなふうに卑下するような言い方をよくしてくる。


「お兄さんはちゃんと働いてて偉いな。」

「ゆりちゃんも働いてるし十分偉いよ。」

「バイトやで?誰でもできるわ。」

「でもさっきテキパキ働いてて偉かったよ。」


俺は本心でゆりちゃんの事を褒めたけど、ゆりちゃんは何故かちょっと不満そうに唇を尖らせて黙り込んだ。何か気に触るようなことを言っただろうか。

不安になってゆりちゃんの様子を黙って窺っていたら、ゆりちゃんはその後ボソッと小さく口を開く。


「…偉ないやろ、私はそうやって働いてる気になってるだけで現実から逃げてんねん。」


随分自分を卑下する自己紹介の仕方に、『現実から逃げてる』という発言。この子はきっと、今の自分の生き方が不安で不安でしょうがないんだろうな。


「え〜、偉いのになぁ。バイトもコツコツ頑張ってたらお金貯まるでしょ。」

「ん〜ん、遊ぶから全然貯まらん。今月のバイト代もこの服に消えていった。」

「女の子だからしょうがないか。俺服全然買わないから勝手に貯まるよ。」

「ええなぁ。なんか奢って。」

「いいよ。じゃあ一緒にご飯食べに行ってくれる?」

「うん!行く!」


ゆりちゃんはそんな会話をした後から、たくさん笑顔を向けながら俺に話してくれるようになり、俺はそんな可愛い笑顔を見せながら話してくれるゆりちゃんのことが、どんどん好きになっていった。


慣れない出張先での仕事で疲れても夜はゆりちゃんに会えるから、浮かれまくりの大阪出張。

しかしとうとう大阪に居る最後の日、俺はゆりちゃんとの別れが悲しくて、これっきりにしたくなくて、最後にもう一度だけ告白しようと決めていた。


でも、先にゆりちゃんの方から俺に言ってきた。


「ホテル行く?」


ゆりちゃんにとっては遊びかもしれないけれど、俺は本気だったから、易々とそんな誘いに頷くわけにはいかない。


「ゆりちゃんと付き合えるなら…、ゆりちゃんが俺のこと好きって言ってくれるなら、したい…。」


俺は、結構真剣にそう言った。

遠距離になってしまうけど、俺はゆりちゃんのことが本気で好きになってしまったから、ちゃんと付き合って、ゆりちゃんを自分のものにしたかった。


「好きやで。いいよ、付き合お。」


でも、ゆりちゃんからの返事はなんとなく軽く感じる。

俺の心の中はモヤモヤした。

俺だって男だ。ゆりちゃんを前にしてこれ以上我慢し続けるのは正直キツイ。ホテルに行けるのなら行きたい。

でも、これで良いのか?と心の中の自分自身が俺に訴えかけている。


それからの俺は、ゆりちゃんとホテルに行く事を渋った。

どうしよう、時間もないのに。もう明日からゆりちゃんに会えなくなるのに。このチャンスを逃してしまって良いものか、と。


ゆりちゃんを前にして俺は黙り込んでしまっていたら、ゆりちゃんはギュッと俺の手を握って、俺の顔を見上げてきた。


「…でも付き合うんやったら卓(すぐる)くんに一個言わなあかんことある。」

「…え?なに…?」

「私20歳違って18歳やねん、ごめん嘘ついてた。あ、でももうちょっとしたら19歳になるけどな。」

「…………は?」


俺の頭の中は、ゆりちゃんからの突然の告白に頭が真っ白になった。


当然、それを聞いてしまったらホテルに行くなんてもう考えられない。未成年を夜遅くに連れ回すことなんて俺にはできない。


「…え、…なんでそんな嘘…。」

「なんとなく。卓くん真面目そうやし未成年やったら子供扱いしてきそうな気がして。」


その考えは、当たっている。ゆりちゃんが未成年と分かっていたら、もう少し気を使いながら毎晩彼女に会っていただろう。20歳と聞いた途端に、俺は躊躇いなく彼女との仲を深めようとしに行った。


「ごめんな、いつ言おうか悩んでてんけどなかなか言い出せへんかってん。」


そう言ってへらっと笑った彼女だが、俺は全然笑えなかった。嘘つかれていたのがショックだった。

やっぱり彼女にとって、俺は遊びだったんだろうな。

そう思ったら、俺の心はスッと冷め始めていた。


ホテルには当然行かないし、もう彼女ともここまでだ。

握られた手を離したら、ゆりちゃんは「え?」って小さく声を漏らす。


「ゆりちゃん、短い間だったけどありがとうね。楽しかった。」


最後に笑顔でそう言い残して去ろうとしたが、ゆりちゃんは再びガシッと俺の手を握ってきた。


「は?何言ってんの?意味わからんねんけど。」


ちょっと怒気を含んだような声だった。

まさかの俺の前でキレている様子のゆりちゃんに顔が引き攣る。


「そもそも先に声掛けてきたのそっちのくせに。」


…いやまあ。それはそうだけど…。


「…歳嘘ついてた私も悪いけども…。」


そう言いながら、じわじわとゆりちゃんの大きな目には涙が溜まっていった。…えっ、待って、ゆりちゃん泣かないで…!


「だってサラリーマンが声掛けてきたんやで!?私だって、ちょっとくらい歳盛りたくなるやんか!!!」


続けてそう声を張り上げて口にしながら、ゆりちゃんは泣きそうな顔をしてドンドンと地団駄を踏んでいる。サラリーマンが声掛けてきたら、歳盛りたくなるの…?俺にはちょっと理由がよく分からない。

でもやっぱりそんなゆりちゃんは、俺にとって初めて見た時から可愛いくて可愛いくてしょうがなかった。

遊ばれてると思ったけど、もしかしたら彼女はただ、大人ぶっていただけかもしれない。


「ああっごめんねゆりちゃん、俺が悪かったから…っ」


慌てて彼女を慰めるように抱きしめて、髪を撫でたら、俺の腕の中で大人しくなる。

チラッと顔を覗き込むと、もうすでに彼女の涙は引っ込んでいる。


「…じゃあホテル行く?」

「ホテル…は、行かないけど…。」

「なんでなん!?あれだけ好き好き言うてきたくせにチューのひとつもせんと帰んの!?」

「…え、あ…、いや…。」


そりゃ俺だってできたらしたいけど…。


結局その夜、ホテルには行かなかったけど、最後にご飯だけ食べに行き、帰り道は夜道に二人で手を繋ぎ、彼女を家まで送り届け、別れ際一度だけキスをした。


これが、俺にとって大事な大事な彼女との、始まりだった。


二人のはじまり おわり


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