航の母、友里江の若かりし頃 [ 25/87 ]


『ピピピピッ… ピピピピッ……』

『ピピピピッ… ピピピピッ……』


部屋の目覚まし時計が鳴っている音を華麗にスルーして、私、早瀬 友里江は『まだ起きたくない、せめてあと10分だけは寝ていたい』と布団の中に潜り続けた。

しかしそんな中、ドスドスうるさい足音をさせながら奴がこちらに向かってくる気配がする。やばいっ…!来る!奴がこっちにくる!あぁもうダメだ、起きないと…!

その直後、『バンッ!!』と部屋の扉が開く前に私は起き上がり、目覚まし時計を止める事に成功した。


無言で部屋の入り口に立つのは、すでに学ランを来て家を出ようとしている高校生の兄である。何も言わずにじろっと寝起きの私を睨みつけていると思ったら、「よし、起きとるな。」と満足げに頷いてから去っていった。

あいつは自分の意志で家から学校まで一時間ほどかかる高校に通っているくせに、まだ中学生で学校が近い私が朝のんびりすやすやと眠っているのが気に食わなくてわざわざ毎朝私を叩き起こしに来るのである。まったく、鬱陶しい野郎だ。

兄が学校に行った後せめてあと10分だけは二度寝してやろうと布団の中に戻る私だが、まだ家を出ていなかった兄がひょいと再び部屋を覗き込んできて、ヤクザのように私に向かって怒鳴りつけながらドカドカと部屋に入ってきた。


「ゆりえええええ!!!!お前まだ寝る気かクソボケこのあほんだらぁあああ!!!」

「うわぁっ…!起きる!起きるってばもう!!痛い痛い!引っ張らんといて!!」


私は兄に布団の中から引き摺り出され、渋々二度寝を諦めた。洗面所に私が入ったことを確認すると、兄は今度こそ満足げに家を出る。


兄のせいで眠気も覚め、台所に行くと母親が「おぉ、友里江ちゃんと起きれたか」と話しかけてくるが、私はまだ寝ていたかったのに無理矢理起こされて不機嫌だったため何も返事はせず無視した。


「友里江昨日からテスト週間始まってるんやろ?ちゃんと勉強しなあかんで。」


続けて母親は私にとって大嫌いな勉強の話題まで振ってくるから、イライラしまくってまた無視した。勉強嫌いやしやりたくない。適当に高校行って、とりあえず卒業できたらそれでいいわ。

てな感じのやる気の無い学校生活。

母親は勉強しろって私に言い過ぎると私が不機嫌になることを知ってるから、あんまり強く勉強しろとは言ってこなかった。


その後とりあえず受験して受かった高校に行っても勉強なんてほとんどせず、遊んでばかりで一年…、二年…、三年…とあっさり過ぎ去っていき、赤点取りまくりながらも高校はなんとか無事卒業。勉強嫌いだから大学進学はせず。フラフラバイトでお金を稼ぎながら遊びまくる日々。

兄は口も性格も悪かったが意外にも真面目でちゃんと大学にも通い、就職もしたが、私は人生を適当に生きていたから、家に帰れば両親から『友里江この先どうすんねん』って言われるのが鬱陶しくて家には全然帰らず知り合いの家に寝泊まりして遊びまくった。


そんな適当な人生を送っていた途中、私のこの人生を大きく変える出会いをしたのはバイト先の居酒屋だった。

スーツを着たまだかなり若そうなサラリーマンが、カウンター席で上司らしきおっさんと飲んでいる。仲は結構良さそうで、仕事の話をしているようだ。


…と思っていたら、チラチラチラチラ…、やたらとこっちに視線を向けてくる若いサラリーマン。目が合って、「あっ」と片手を伸ばしながら呼び止められたから「ご注文ですか?」と歩み寄ると、若いサラリーマンはニヤニヤしている上司らしきおっさんに脇腹を肘で突かれ「ほらほら早く」と何かを促されている。


ん?なに?めんどくさいな、注文ちゃうんかい…とイライラしながらサラリーマンが何か言うのを待っていたら、若いサラリーマンは真っ赤な顔をしておずおずと名刺を差し出してきた。


友岡 卓
ともおか すぐる


会社名にメールアドレス、電話番号などが書かれている。

名刺を受け取り、「はぁ?」と首を傾げていたら、突然「好きです」と言って私に向かって頭を下げてきた。続けて「一目惚れしました」と付け足される。

いやいや、いきなり何?からかわれてる?

隣の上司のおっさんの顔はさらにニヤニヤしていて見ていてちょっと腹が立つ。


「仕事中なんで困ります。」


隣の上司のおっさんの顔にムカついたから、名刺は突き返してやった。するとその後、しょんぼりした顔でビールを飲んでいる若いサラリーマンの姿が気になり何度も目を奪われる。どうやらこの様子だとさっきの告白は本気だったのかもしれない。


「お客さんここ来るの初めてですか?」


私は上司のおっさんが席を立ち、トイレに行った隙を狙って若いサラリーマンに話しかけた。するとハッと顔を上げ、私の顔に目を向けるとパァッと花が咲いたみたいに笑顔になり、「初めてです!!」とお兄さんは元気に頷く。

私と喋った瞬間に、その顔はまた真っ赤になった。

うわ、なに?この人、反応めっちゃかわいい。顔真っ赤っかやん。私に話しかけられるのそんなに嬉しい?

私に一目惚れしたらしいお兄さんの分かりやすいその態度に、私は思わず笑ってしまった。


「あと一時間でバイト終わるから終わったら遊ぶ?」


私はお兄さんのうぶな態度に少々惹かれ、お兄さんのことを気に入りそう声をかけた。するとお兄さんはこくこくと必死に頷く。そんな中おっさんがトイレから戻ってくる姿が横目で見えたから、私はすぐにその場を離れた。


いつの間にか上司らしきおっさんは先に帰っていたから、もしやこの若いお兄さんに気を利かせたのかもしれない。ニヤニヤしていて鬱陶しいおっさんだったけど、悪い人では無さそうだ。


バイト後店の外で待ってくれていたお兄さんと合流し、「どこ行く?ホテル?」って問いかけたら、お兄さんは真っ赤な顔をしてブンブンと首と手を振った。


「いやいやまさか…!」

「あれ?そのつもり違ったん?」

「違いますよ…!!」


お兄さんは全力で否定した後、黙り込んだ。これからどこに行くのかも決まってない状況の中、並んで夜道を歩き始める。


「歳いくつか聞いても良い?」

「20。」


本当はまだ18だったけど、なんとなく気分で2歳盛った。するとお兄さんは未成年じゃなかったことにホッと安心しているような様子を見せる。


「お兄さんは何歳なん?」

「23。」

「ふぅん。」


お兄ちゃんと同い年や。でもお兄ちゃんより若そうに見える。…あぁ、それはあいつが老け顔やしか。…って心の中で兄をディスる。


「仕事の研修で一週間だけこっちに来てて…」

「あ、そうなん?こっちの人ちゃうんや。」

「あっ…!でも!!ゆりちゃんとこれっきりにはしたくないです!!」


人気が無くなった夜空の下で、お兄さんは真面目な顔をしてまた告白のようなことを言ってきた。多分暗くて分かりにくいけど、その顔は真っ赤になっている事だろう。やっぱりこのお兄さんの反応はめちゃくちゃ可愛い。


「いいよ、連絡先教えてあげる。」


その日は、自己紹介のような話を少しだけして、連絡先だけ交換して、お兄さんは宿泊中のホテルに帰って行った。

あれだけ本気そうな態度を見せてきたけど、手は一度も出されなかった。…あ、違うか。本気やし手は出さへんのか。お兄さん、めっちゃ紳士やな。



そして翌日、お兄さんはまた私のバイト先にやって来た。今日は一人だ。もしかしたらあの昨日のおっさんは空気を読んだのかもしれない。

私はバイトの空き時間、ずっとカウンター席に座るお兄さんと話していた。漫画とかの好みが合って、会話が弾み、結構仲良くなった。

バイト後はまた夜道を並んで歩き、お兄さんは私の家まで私を送り届けてくれた。優しい。紳士だ。やっぱり手は出されなかった。


翌日はバイトが休みだったため、お兄さんとご飯を食べに行った。お兄さんの奢りだ。ひゃっほう!また話は弾み、仲良くなった。

その日も家まで私を送り届けてくれたけど、手は出されなかった。やっぱり紳士だ。正直私は、手を出してくれてもいいのに、とひっそり思っていた。


そんな日は続くものの、終わりの日はすぐにやってくる。

お兄さんがこっちに居る最後の日、私はお兄さんをホテルに誘った。


でもお兄さんはすぐに頷かなかった。

そして数秒間の沈黙後、お兄さんは恐る恐る、というように、口を開いた。


「ゆりちゃんと付き合えるなら…、ゆりちゃんが俺のこと好きって言ってくれるなら、したい…。」


その顔はやっぱり真っ赤である。
かなりウブそうで、真摯なお兄さん。


「好きやで。いいよ、付き合お。」


私の一言でこのお兄さんは、こんな生意気な小娘に翻弄される日々が始まってしまうのだった。


航の母、友里江の若かりし頃 おわり


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