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「あ、そう言えばさっきお前とここ来た男、確か風紀委員長だよな?お前携帯でやり取りしてんの?」
俺は暫し落ち着いたところで、先程から少し気になっていたことを問いかけた。
すると、相変わらず俺の背に顔を押しつけているせいでくぐもった光の声が返ってくる。
「今日学校で偶然すれ違って、お前なんかやらかしそうだから、って連絡先交換させられた…。」
「…なにそのタイミングの良さ。」
「…佑都があんなゴリラに引っかかるから…。」
「俺だってまさかこんなことになるとか思ってねーよ…。」
「…未遂で良かった。」
「ああほんとうにな。サンキュー、光。」
「…うん。初チューは俺がもらうって決めてるの。」
「…はあ?お前はまたバカなこと言って。」
今このタイミングでどうでもいい初チューの話をするあたり、やっぱりこいつは変な奴だ。昔っから、変な奴。
呆れたようにそう言って、ふっと笑う。
光の表情はいまだに見れず、無言になって、何を考えてるかちょっとわかりにくいけど、俺は暫くそのまま光を、俺の背に貼り付かせておいた。
数分後、ゆるりと俺の背から手を離した光は、自分が着ていたカッターシャツを脱ぎ、俺に差し出した。
「佑都が露出してると周りが荒ぶるから俺の着てていいよ。」
「お前どうすんの。」
「佑都の着とく。ブレザー着てたらそこまで目立たないだろうし。」
「…ふうん。じゃあ、借りる。」
正直に言うと、何度か腹に拳を入れられたことで出来た痣を、早く隠したかった。
光のカッターシャツを借り、ボタンを留めることで、ようやく俺は安心できた気がする。
「…あ、委員長からメール。風紀委員室来れそうか?だって。佑都、どうする?」
「…はあ。…かったりぃな。もうあいつの顔は二度と見たくねえよ。」
「俺がボコボコに顔面殴ってあげるから大丈夫。」
「…それはありがてえ。」
「立てる?お姫様抱っこしてあげる。」
「いらねーよ。立てるっつーの。」
よいしょ、と重たい身体で立ち上がる。
光はずっと泣きそうな顔をしながら、俺の手をぎゅっと強く握ってきた。
いつもなら『離せ、』と振り払うだろう光の手は、振り払っても解けそうにないほどぎゅっと強く握られているし、そもそもこんなに泣きそうな顔をしている光の手を振り払おうなどとは決して思わなかった。
何故か俺が、光の手を引きながら薄暗い資料室を出る。
今が何時かは分からないが、幸い生徒の姿はあまり見当たらない。それでもたまにすれ違う生徒が、不審そうに俺たちを見る。
泣きそうな顔、しかも前が閉まらないカッターシャツの所為で鎖骨丸出しの光は、俺に手を引かれてて、まるで何かあったみたいだ。
実際なんかあったのは俺だけど。
でもこんな様子の光のおかげで、俺はとても救われた。多分光が居なかったら、俺は今前を向いて歩けていないだろう。
コンコン、と2回、風紀委員室の扉をノックした。「入れ。」という声が聞こえてきたので、ガチャリと扉を開ける。
「…失礼します。」
「…大丈夫か?」
「はい。」
風紀委員長が、心配そうに俺に問いかけるので、俺は淡々とした様子を見せ、無表情で返事を返した。
風紀委員長にはあの情けない姿を見られたので、正直少しだけ顔を合わせ辛い。
部屋に入ると、そこに居たのは風紀委員長と風紀委員2人だけで、ゴリラの姿は無かった。
「…あいつは?」
「今奥の部屋にいる。まさか俺が現場に来るだなんて思っても居なかったようで、放心状態だ。」
「へえ。」
「まあ座れ。…ておいおい、これじゃあどっちが被害者かわからねえな。」
風紀委員長は、俺の後から俺に手を引かれてべそをかいているような様子で入ってきた光の姿を見て、苦笑した。
俺の隣で大人しくソファに腰掛けた光を確認し、風紀委員長は「神谷、」と俺に話しかけた。
「あいつのことは知ってんのか?」
「知りません。」
「話したこともねえか?」
「今日がはじめてです。」
「そうか。…神谷、あいつは…」
風紀委員長がそうなにかを言おうとした時、風紀委員室の扉が勢い良く開かれた。
そして入ってきた人物は息を切らした真田先輩で、ここへ急いでやって来たということが伺える。
俺の親衛隊隊長ということで風紀委員長が連絡をしたのだろうか。風紀委員長は、「おお、来たな。」と真田先輩に視線を向ける。
はあ、はあ、と呼吸をしている真田先輩は、俺の姿を見て、そして、次の瞬間くしゃりと顔を歪ませ、泣きそうな表情を浮かべた。
「…浅井(あさい)はどこに…?」
「奥の部屋だ。」
震える真田先輩の声が、風紀委員長に問いかける。風紀委員長の返答を聞いた真田先輩は、ゆっくりと奥の部屋へ足を進めた。
浅井…?
浅井って、あのゴリラのことか?
そう思っていると、風紀委員長から先程の話の続きを聞かされた。
「あいつは、真田の親衛隊隊長だ。」
「…えっ…」
俺は、驚きで目を見開いた。
それと同時に、あいつが言っていた『あの人』が、真田先輩を指していたのだと、理解した。
俺を憎む理由も、なんとなく分かった気がする。事が起こったタイミング的に、昨日俺が真田先輩にキツイ態度を見せたことが原因ではないだろうか。
そんなことを一人考えていた時、奥の部屋から『パシン!!!!!』と人の肌が打ち付けられる音がした。
そして聞こえてくるのは、真田先輩のヒステリックな叫び声。
「お前、自分がなにをしたのか分かってるのか!?お前は最低なことをした!!それも、僕が…っ僕が一番大切に思っている人にだ…!!なにがっ、なにがいけなかった!?僕のなにがいけなかったんだ!?僕が神谷様の親衛隊を作るから、と親衛隊の解散を申し出たとき、お前はそれでも良いから、と親衛隊の存続を希望した。僕は、お前たちがそれでいいなら、と思って許可したのに…っこんなことになるならあの時解散しておくべきだった!!!」
「お…俺は…俺はあなたのことを思って…!あなたの傷付いた顔がみていられなくなって…!」
真田先輩の声の次に、弱々しいあいつの低い声が聞こえる。その声を聞いて、やっぱり一番の原因は昨日の俺の真田先輩に対しての態度だったのだろうと、俺は思った。
「……僕のことを、思って……?……ふっ…笑わせるのも大概にしなよ。これのどこが僕のことを思ってるんだ?僕のことを思ってくれてるのならさ、…僕が大好きな方のことも、大切に思ってよ…。
僕の傷付いた顔がみていられない?……なんだそれは。言っておくが僕は、神谷様に傷付けられたことなど一度もない!仮に僕がそんな顔をしていたのなら、僕は、自分の浅はかさにショックを受けてたんだ!!!
何の罪も無い神谷様に危害を加えたことを、僕は絶対に許さないからな!!!」
奥の部屋からは、その真田先輩の叫び声の後、先輩の啜り泣く声が聞こえた。
その後、あいつの声が聞こえてくることは無かった。
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