3 [ 113/172 ]

ぐつぐつと沸騰するお湯の中に浮かんだそうめんを菜箸でかき混ぜながら、額から流れてくる汗を拭っている俺の背後では、雄飛とりと、それからりとの妹の仲良さげに話している会話が聞こえる。

くっそ…雄飛め、俺だってりとと親しくなりたいのに…。

あいつ、いつのまにこの兄妹と仲良くなりやがったんだ?と疑問に思いながら茹で上がったそうめんをザルの中に入れていると、「あ、春川ー、ちゃんと冷水と氷でそうめん冷やしてなー。」とりとに指示され、冷蔵庫の中から氷を取り出しザルの中に放り込む。


『春川』か…。俺だって雄飛みたいに名前で呼ばれたい。


「あいつ結構使えるな。」

「良かったな。付き合えば?」

「は?嫌に決まってんだろ。」

「うはは、即答。」

「そうめん茹であがりましたけど!!」


仲良く会話する雄飛とりとにイラつきながらダン!と机の上にザルに入れたそうめんを置く。


「あ、春川そうめんつゆも取って。あとお椀と。お箸はそこの引き出し。」

「りと、俺春川って呼ばれんの嫌なんだけど!絢斗って呼んでよ!そしたら取るから!」

「じゃあけんと、そうめんつゆとお椀と箸よろしくな。」

「オッケ!!今すぐ!」

「ふはは、春川まじうける。」


背後では名字呼びに戻っているりとに気付かずに俺がテキパキとそうめんつゆと皿と箸を取りに行っている頃、玄関からガチャ、と鍵が開けられる音が聞こえたようだが、俺はその物音に気付かずに食器棚の中からお椀を四つ取り出すことに手こずっていた。


「はぁ、ただいまー。暑かったなぁ。」

「ふぅ、暑かった暑かった。あ、もう雄飛来てんのかな?」


……ん?


玄関から二人の男の声が聞こえる。

なんだろう、この感覚を、俺は知っている…

既視感…?とはちょっと違うけど、でもなんだろう、聞いたことのある声だ。


…と、疑問に思いながらお椀を四つ手に持ち振り返れば、何故か口を手で隠して明らかににやにや笑っている雄飛と、ニィ、と口角を上げて俺を見ているりと。

それから、「あ!お兄ちゃんと航くん帰ってきた!」と嬉しそうに話すりとの妹。



『あ!お兄ちゃんと航くん帰ってきた!』

『お兄ちゃんと航くん帰ってきた!』

『“お兄ちゃんと航くん”』



そして、俺の頭の中で繰り返されるこの言葉。

そう。察しの良い俺はこの時、良からぬことに気付いてしまったようだ。


そう言えばりとの名前ってなんだっけ。

そもそも雄飛とりとの繋がりはどこで?

何より決定的な『航くん』という名前が妹の口から出た時点でそれはもう確信してしまったようなもの。


いや、待てよ、ちょっと待ってくれ…


「うわ、え、春川?お前なんでうちにいんの?」


もしかして、りとって…

矢田の弟だったのか!!!!!


予期せぬタイミングで出くわしてしまった憎き男、矢田るいを前にして、俺の腕にはブワッと鳥肌が立ったのだった。



お椀を持つ俺の目の前に現れたのは、もう会うことも無いだろうと思っていた忌々しい男、矢田るい。


「あれー?絢斗がいる、久しぶりー。」


そして、奴の後ろからひょこっと顔を出した、結局抱けずに卒業してしまった俺のドストライクの先輩。

唖然として固まっている俺を見て、雄飛が腹と口を押さえて肩を震わせている。


あいつ…!
知ってて俺にこのこと隠してやがったな!?


「…お、ひ、さしぶりです。」

「てかまじ春川がなんで俺の家にいんの?まだしぶとく航に手出しにきたとか?」

「…い、いえ…、ち、がいます、けど…。」

「なにきょどってんだよ。」


『春川』、俺をそう呼ぶ矢田とりとの声がそっくりだ。俺はなんで気付かなかったんだろう。そう言えば雰囲気も少し似て…、るような、似てないような…。

いや、似てない、絶対似てない。りとの方が断然可愛げのある顔をしている。

まさかのここが矢田の自宅だったということや、りとと矢田が兄弟だったことに戸惑いを隠しきれないでいた俺と矢田が一言二言話したところで、やたらとにやにや笑っているりとと雄飛が口を挟んだ。


「あっれえ?兄貴と春川ってもしかして知り合いぃ?」

「ぶはっ!てか絢斗動揺しすぎな…!!」


雄飛、とりあえずお前はあとで覚えとけ。


…それにしてもまずいことになったな。まさか矢田がりとの兄だとは…。俺がかつて航先輩を狙ってて、矢田を嫌ってることをりとに知られるわけにはいかない。自分の兄が嫌われてるだなんて、りとも良い気がしないはずだ。


「や〜びっくりびっくり。りとのお兄さんって矢田先輩だったんですね〜、去年はお世話になりましたあ!」

「は?」

「いや〜また会えて嬉しいです!」

「はあ??」


まずい。ここは穏便にすまそうとちょっと矢田に愛想良く話しかけるが、矢田の俺を見る目が不信感でいっぱいだ。


「お前なに企んでんの?1ミリも思ってねえことをペラペラと。」

「え?思ってますよお。あっそういや大学生になられてまた一段とかっこよくなられましたねえ!よっ!男前!さすが矢田会長ですね!」

「…おい雄飛、こいつまじ何考えてんの…?場合によってはうちから追い出すぞ。」

「ぶはっ!!!うはははやべえ腹痛い!」


バンバン、机を叩いて大爆笑しだした雄飛に、矢田は戸惑ったように首を傾げた。

雄飛、お前はまじであとで覚えとけ。


「あ、分かった。お前りな狙いだな?いるんだよなあ、そうやってまず俺から取り入ろうとするやつ。お前だけは絶対お断りだわ。」

「そ、そんな…!お兄さんそう言わずに!」

「お前にお兄さんと呼ばれる筋合いは無い!」

「なっ…!あんた!可愛い後輩にそんなこと言うなんて!やっぱ最低野郎だな!」

「はあ?可愛い後輩?どこにいるんだそんなやつ。」

「目の前にいるだろうが!クッソ、やっぱむかつく…こんなやつがりとの兄貴だなんて…。」


悪魔の顔をした矢田と、天使の顔をしたりと。

いくらこいつがりとの兄でも、俺は仲良くできねえなと思った。


[*prev] [next#]

bookmarktop

- ナノ -