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人間誰しも、悩みを抱えているものだ。

ちなみに俺、友岡 航の悩みと言えば、バイト先での接客やレジがなかなか慣れないこと。この前『愛想が無い』と酒を買いに来たおっさん客に怒られてしまった。もう閉店間際の時間だったから、眠くて油断したのだ。

そんなに愛想無かったか?って俺的にはちょっとムカっとしたけど、まあ次から反省してがんばろうと思う。


「ただいまぁー。」


バイトを終えて、帰ってくるのは午後10時過ぎ。10時閉店のスーパーだから、だいたい家に帰るのは11時前だ。


「航おかえり、おつかれー。」


家に帰るとご飯を作って俺の帰りを待っててくれるるいの存在はかなりの癒しで、それがあるから嫌なこともすぐ吹っ飛ぶ。

まあ俺の悩みと言ったらこれくらいなのと、

あと……


「いい加減俺もバイトしてえな。」


バイトを早くしたがっているるいのこと。るいがバイトをしたら、また不安が増えそう。るいはモテるからるいにその気は無くても周りはるいを放っておかないだろうから。

俺がバイトに行っているあいだ、課題のレポートをやっていたらしいるいは、ノートパソコンを閉じて求人情報誌を捲った。


「…あ、牛丼屋の求人発見。」

「え、るいが牛丼屋で働くの?」

「え、航が牛丼屋にしろって言ったんじゃん。」

「え?」


……俺言ったか?

るいに牛丼屋はちょっと似合わない気がして、でもるいは「航が牛丼屋にしろって言うから」とか言ってて、俺はちょっと戸惑った。





学食の奥の一席にて、あまり目立つ場所ではないにも関わらずチラチラと人々の視線を集めている矢田の姿があった。

悩ましげに腕を組んでいるから、何やってんだと歩み寄ると、矢田の目の前には求人情報誌が広げられている。


「おっす矢田、バイト探してんの?」


求人誌を覗き込みながら声をかければ、そこでようやく矢田が「あ…会長どうも。」と言って顔を上げた。いい加減会長って言うのはやめて欲しい。って何回言っても無駄だから最近はもう諦めている。

矢田の目の前の席に腰掛け、矢田と一緒に求人誌を眺めると、矢田はそんな俺にチラと視線を向けてきた。


「会長はバイトやってます?」

「俺?やってるやってる。今バイトの時間までの時間潰し中。」


時刻は16時を過ぎたところ。今日は18時からだから、まだ少しバイトまでの時間を潰さなくてはならない。


「へえ。俺は…面接行こうか迷ってます。」

「面接?どこ?」


矢田の発言を聞き、問いかけると、矢田は無言で求人誌の一ヶ所を指差した。


「…牛丼屋?…なんか似合わねえな。」


いや、まあ矢田がそこが良いって言うなら俺は何も言わねえけどもっと他にもいろいろあるだろ、と思ってしまい、そんな感想が顔に出てしまったようだ。


「……似合わねえっすか?」

「…いや、まあ別に悪かねえし、お前ならどこでもやってけるだろうけど。なんか似合わねえわ。」

「……航に牛丼屋で働けって言われたんすよ。」

「え、航に?なんでまた…」


矢田の口から航の名前が出てきた瞬間、矢田が牛丼屋を選んだことに納得した。聞けばこれには理由があるらしく。矢田は牛丼屋を選ぶきっかけになった話をしてくれた。


「前に大学の近くにある喫茶店でちょっとだけバイトしたんですけど、お客さんが勤務時間外にも話しかけてくるようになって…。その話を航にしたら牛丼屋にしろって。」

「……あーはいはい。納得したわ。」


航が牛丼屋にしろって言ったのは、恐らく航の中での牛丼屋は、女性客が少ないイメージだからだろう。

だがこれだけは言っておいてやろう。


「残念ながら、それはどこでも、例え牛丼屋で働いたとしてもあり得ることだぞ。」


きっぱりと言えば、矢田は求人誌に視線を落として、静かに苦笑していた。



なんとなくだけど、矢田は女の扱いが下手そうだ。さぞかし航も不安なことだろう。馬鹿正直に牛丼屋で働こうとしている矢田を見ていると、俺はどうにも放っておけなくなってきた。まあ高校の時に可愛がっていた後輩だから、という理由もある。

だから口から出ていたのは、「俺のバイト先来るか?」という誘いの言葉だ。


「え、…会長のバイト先っすか?」


求人の募集はしていないが、俺の後輩だと店長に伝えれば、恐らく雇ってくれるだろう。


「ちなみにレストランな。最近人気出てきてるから結構忙しいけど時給は良いぞ。まじでバイト探してるなら今からお前も一緒に来いよ。」

「…まじすか。じゃあ、…お願いします。」


俺の提案に、矢田は丁寧に頭を下げてきた。きっと礼儀正しい子が好きな店長は、すぐに矢田を気に入るだろう。


「よし。んじゃ、ちょっと早いけど今から行くか。」


そう言いながら席を立つと、矢田も俺の後に続いて立ち上がった。


「求人誌はもう捨てて行け。」

「あ、はい。」





「店長お疲れ様でーす。」

「おー、黒瀬くんどした?時間早くない?」

「やー、今日ちょっと紹介したい人がいまして。」


バイト先のレストランに顔を出すと、店長は事務所のデスクに座っていた。声をかけるとデスクの椅子から立ち上がり、歩み寄ってくる店長。


「え、誰誰?」

「俺の後輩がバイト探してて連れてきました。」


そう店長に言いながら、俺の背後に居る矢田の背を押して、矢田を店長の前へと促す。


「えっ!黒瀬くんの後輩?わっ!すごい!イケメン!」


店長は矢田の顔をじっくりと眺めているから、矢田はちょっと恥ずかしそうに「はじめまして…矢田と申します。」と頭を下げた。


「いいねぇ!いいねいいねぇ!矢田くんは黒瀬くんと一緒にホールの仕事を頼むよ!」


ほら、やっぱりな。って、店長の反応は予想通りだった。満面の笑みを浮かべて店長は矢田の肩をポンポン、と叩いている。


「英語は話せる?うち結構外国人観光客も来るからね。」

「こいつベラベラっすよ。な、矢田?」

「…いや、ベラベラってことは…。」

「いいねいいねぇ!!!」


それから店長はあれこれ矢田に質問していたが、矢田が何を答えても『いいねいいねぇ!』という返事ばかりだった。ちなみに『いいねいいねぇ!』は店長の口癖だ。

まあ本当に良いと思わなけりゃこの口癖も出ないけど。


「じゃあシフト組みたいから都合良い日教えてくれる?あ、一応基本は週3からでお願いしたいな。あ、でも無理にとは言わないよ、学業優先にね。うちも良い子に辞められると困るからねぇ〜!あはは!」


その後も店長は気分良さげにベラベラと勤務時間や仕事内容を話していた。

ひとつひとつの内容に丁寧に頷いている矢田の態度にも、店長はますます好感を持てたらしい。


その日、矢田が帰ったあと、店長はバイト中だった俺の元にひょっこりと現れ、「や〜、明日から楽しみだなあ。黒瀬くん良い子を連れてきてくれてありがとう。」とお礼を言われた。


さすが、俺の一目置いている後輩は、予想通りに店長に気に入られるのであった。


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