1 [ 115/163 ]
ある朝、俺は自分の身体に纏わりついている“何か”に寝苦しさを感じ、目を覚ました。
「…んん、航…かわいぃ、おはよ…。」
耳元で聞こえてきたのは自分が良く知る兄貴の声だがおかしい、変だ。なんだろう、このきしょくわるい感じ、キモイ声、近さ。
「うわっ!!なッ…!にすんだよ!!!!!」
「うッ…!」
そして寝惚けてんのか、ゆっくりと俺の口に迫ってきた兄貴の顔面に、俺は咄嗟に兄貴の身体を蹴り飛ばした。
「いっ…てぇ…、航…?」
「は?寝惚けてんのか!」
「…航…?どうしたの…?」
兄貴はベッドの下で腹を押さえながら、やたら不安そうな顔をして見上げてきた。航、航って頭がおかしくなったのか?
しかしそんなことを思いながらも何かが変だ。
ここは、俺の部屋じゃない。
ダブルベッドの上に俺がいるなんておかしい。
自分がいる場所を見渡し、俺はようやく気付いた。
おかしいのは兄貴では無く、俺の身体だ。
俺はハッとしながら立ち上がり、この部屋を出た。ここがどこだか俺はよく知ってる。ここは、兄貴と航の家だ。
洗面所へ行き、鏡で自分の顔を見た時、何がどうなっておかしく感じたのかを理解した。
鏡に映っているのは兄貴が好きで好きでたまらない、それはもう気持ち悪いくらいに溺愛している友岡航の姿だった。白目になってみたり変顔をしてみると鏡には航の変顔が映っていて思わず「ぶっ」と吹き出してしまった。
「航…?どうしたの?」
洗面所の鏡で自分の姿に驚いていると、わざわざ兄貴までそんな俺を追ってきた。
「ちょっ、きもいって!触んなよ!」
俺は、俺の身体に手を伸ばしてきた兄貴の手を振り払った。すると、あからさまにショックを受ける兄貴が「え…」と泣きそうな顔をして固まっている。
そうだ、俺の身体は今何故か航になっている。つまり兄貴は航に拒絶されたようなもの。泣きそうになっている兄貴の気持ちも理解できなくもないが俺だってわけがわからない。
「わ、わたる…?」
しかし泣きそうになってる兄貴をこんな間近では見たくないものだ。兄貴はいつも俺の前では常に兄としての威厳を示してくるような男だ。
「あのな、よく聞いてくれ。今この身体には航じゃない人間が入ってる。」
俺は一旦兄貴と話をしようと、冷静に話し始めた。
航の中に“矢田りと”が入ってると知られると後々気まずくなりそうだから、そこは伏せて話そうと思う。
「…は?」
兄貴は俺の言葉に意味が分からなさそうに眉間に皺を寄せ、俺の目をジッと見つめてきた。
うん。そうだよな、俺だって意味不明だ、起きたら身体が航になってるなんて。変な夢でも見てるんだ。
「航くんなにそのドッキリ。とりあえずさっき蹴飛ばしたことは許してあげるから早くチューしよ?」
「ぎぃやぁあ!!!!!だから触んなっつってんだろ!俺は今航じゃねえんだよ!!!」
どうやら俺の発言をただの航の冗談だと思っている兄貴は、また俺に手を伸ばして目を瞑り、唇を近付けてきた。兄貴の顔面を鷲掴んで距離を取ると、兄貴は黙って動きを止める。
ゆっくりと兄貴の顔面から手を離すと、むすっとしたかなり不機嫌そうな兄貴の顔面が露わになった。
「航、その冗談つまんねーよ。」
一気に不機嫌になってしまった兄貴が冷めた態度で吐き捨てる。
「残念ながらこれが冗談じゃねーんだよ。夢なら早く覚めてほしいんだけど…、痛…ッてえ、夢じゃねえんだなこれが!!」
俺は壁に向かってガン!と額をぶつけてみると、普通に痛みが襲ってきた。
「なにやってんだよ!だからその冗談おもしろくねえから!」
兄貴は額をぶつけた俺の身体を抱きしめて額を撫でてきた。弟には絶対に触れないような触れ方をする兄の手の感触に、鳥肌が立った。
「だから航じゃねえんだって!キモイからまじで暫く触んのやめてくれる!?見ろよ、この鳥肌!一旦俺の話信じて!?」
「信じてって、なにをどう信じるの?航くん頭打って変になった?」
「あのな?信じるまで言うけど今この身体の中には航じゃない人間が入ってんだよ。いいか?今この身体にキスとかしてみろ、俺は今胃の中にあるもの全部吐く自信がある。」
「…はぁ、そっか。それは大変だな。」
兄貴は呆れたような表情でため息を吐いた。
これは信じたわけではなく航の冗談に呆れてしまったような態度だ。しかしまあいい、一旦兄貴から距離を取れればなんだっていい。
「そう、大変だからとりあえず俺は今自分の身体がどうなってんのかを見に、むっ、ギャァあああああ!!!おえええっ!!!!!」
「グハッ!!!」
最悪だ!!!不意打ちでキスしやがった!!!その時間は1秒にも満たない一瞬だったが俺はぶわっと鳥肌が立ち、兄貴の身体を殴り飛ばした。
「おい!!!だから言ってんだろ!?今の俺は航じゃねえんだよ!お互いにトラウマになるから兄貴一旦俺の話信じた方が良い!!!あっ」
兄貴って言っちまったクソッ、まさか航の中に弟が入ってるなんて思われたくなかったのに!
「あにき…?りとが中に入ってる設定かよ、ますますつまんねーぞ航。」
「ああもうだからぁ!!!航じゃねえんだって!!!」
俺は必死に話してるのに、あまりに信じてくれない兄貴にイライラを通り越して泣きそうになった。
[*prev] [next#]