もう一度名前を呼んで、 

そして世界は再び廻るのだろうの続き。




幼い頃から、繰り返し同じ夢を見ていた。


何もない深い闇の中で、一人の少女が泣いている。
顔は見えない。
ただ、その華奢な肩が震えて、喉の奥から絞り出すようなか細いしゃくり声が聞こえる。
僕は彼女を見て、懐かしいような胸が苦しくなるような、何とも言えない気持ちになる。
そして、涙を流す名前も正体も何一つわからないこの少女が、ひどく痛々しく、耐え難い悲しみが僕を襲う。
僕は、彼女に手を伸ばす。
けれど、その手は一度も少女に届くことはなく、いつもそこで目が覚める。

そんな、夢だった。



「やあ、芽衣さん。これはこれは奇遇ですね」
「…………」

笑みを浮かべて手を振れば、彼女は一瞬呆れたような困ったような顔をした。
学校帰りだろうか、彼女はここら辺ではよく見かける制服を着ていた。

「また貴方ですか…」
「最近はよく会いますね。本当、奇遇ですね」
「……ええ、こうも毎日顔を合わせるだなんて、私人生初のストーキングをされているようです」
「はははっ、貴女は面白いことをおっしゃる」
「何一つ面白いことを言ったつもりは無いんですけど」

深い溜め息を吐き出す彼女に、僕は笑みを深める。

まあ、ある意味僕はストーカーのようなものかもしれないな。
『偶然』なんかじゃない。
僕は自ら意図的に彼女に会いに行っている。(まあ、本当に偶然の時もあるのだが)

「…相当お暇なんですね、森さんは」
「はは、大学にはきちんと通っていますよ。それに、僕は散歩が趣味なんです」
「…作家志望でしたっけ?どんな小説を書いているんですか?」
「まあ、色々ですよ。今は、一つ書き途中の話があります。……気になりますか?」
「…………いえ、別に」

彼女はすぐに表情に出る。それは素直ということだろうが、彼女の反応は中々面白い。

彼女は僕と会えばあからさまに僕への嫌悪を表すが、その瞳の奥に潜むものは何か違う感情だった。
その証拠に彼女は僕が話しかければ律儀にも返事はするし、何だかんだ言いつつ会話を続けてくれる。

だから、その瞳の奥に潜む感情が何なのか僕は知りたかった。

「…あの、森さんはどうして私に話しかけるのですか?」

少しの間を空けて、彼女は神妙な面持ちでそう訊ねた。


彼女と初めて会ったのはあの赤い満月の夜。
普段の自分なら関わることなど無いはずなのに、どうしてか独りで泣きじゃくる彼女を放っておけなくて、だから、つい、声を掛けてしまった。
だけど、あの日涙で濡れた蜂蜜色の瞳と目が合ったとき、僕は何ともいえない不思議な気持ちに襲われた。

それは、懐かしいと言うべきか。
それにしては随分と胸は苦しくて、心臓がずきずきと痛んだのだけど。
ただ、どうして初対面の人間に対してこんな感情を抱いたのか、どうしてこの胸はこんなにも苦しいのかと。

「……正直言って、僕にもわからないんですよ」
「………え?」
「前にも言ったでしょう?貴女とは初めて会った気がしないんです。貴女と話してみたかったんです。……こんな理由じゃ、笑いますか?」
「………笑いませんよ、」

僕の言葉にそう呟き、彼女は僕から目を逸らした。
その顔は今にも泣き出しそうで、華奢な肩は僅かに震えていた。

彼女は僕と話す時に、よくこんな表情を浮かべる。
何がそんなに彼女を悲しませるのだろうか。
僕は、彼女のその表情を見る度に胸の痛みが余計に酷くなる。

僕は、この感情を何と呼ぶのかはわからない。


「……森さんは、どうして私に関わるんですか」

不意に、彼女が呟いた。

「…私は、傷付くのが嫌なんです。もう苦しみたくないんです」
「…芽衣さん」
「私は、裏切ったんです。あの人を、裏切った、」

ぽろりと蜂蜜色の透き通った瞳から涙が零れた。

「……鴎外、さん…………」

彼女の唇から零れた、今にも消えてしまいそうな儚い呟きに、その名前に、僕の脳内に鮮やかな映像が映し出される。

『鴎外さん、』

あの声。仕草。匂い。笑った顔も怒った顔も、涙に濡れた瞳も、震えた華奢な肩も。

「……め、い……」

次から次へと頭の中を駆け巡る映像。

赤い満月。
僕の名前を刻む小さな唇。

それは全部、幼い頃から繰り返すあの夢の中の少女だった。

「芽衣……」

僕は手を伸ばす。
胸は酷く苦しく、切なく、痛かった。

「…鴎外、さん……」

彼女の華奢な肩に触れた時、僕は全てを思い出した。




僕は、あの満月の美しい夜に彼女と出逢い、別れた。

あの時代に彼女が残したものは何も無かった。
最初から彼女はこの世界に存在していなかったようで、思い出だけが僕を救い、そして苦しめた。
彼女と過ごした時間はいつまでも色鮮やかに輝いていて、だけど無情にも時は流れ続け、どんどんあの時間は思い出となっていく。
いつか忘れてしまうんじゃないのかと、 そうしたらもう二度と彼女とは会えない気がして。

僕は、彼女を愛していた。

最後の別れの時に、彼女が見せたあの苦しそうな表情。
無邪気な笑み、からかうと頬を膨らませて怒る姿。
触れた唇も、僕の背中に回された両腕も、体温も、口付けた時の彼女の切なげな表情も、僕は、全部覚えている。

その全てがいとおしくて、僕の心をいとも簡単に揺さぶり、感情を動かした。

彼女のことを綴った書きかけの物語は終わりを迎えることはなく、僕が病で死ぬ数日前に暖炉で燃やし灰にした。

終わりなんて作ってたまるか。
僕は、もう一度彼女に会いたい。

そんな願いを抱えて、僕は死んだ。




「…芽衣、……芽衣……!」

小さな背中に腕を回して、華奢な身体を強くきつく抱き締めた。
少し熱い体温が心地好くて、彼女の甘い香りが鼻孔を擽る。

「……おう、がい、さん…っ!」

彼女の両腕も僕の背中にまわり、ぎゅっと抱き締められる。

彼女の体温と香りに包まれて、僕はゆっくりと瞼を下ろした。

言いたいことも伝えたいことも、たくさん、たくさん、ある。
だけど、今は何よりも彼女を感じていたかった。

もう二度と、手離さないように。
強く強く、彼女を抱き締めた。



(そして、もう一度恋をしよう)






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鴎芽転生の続きです。続きを書こうかずっと迷っていたのですが、続編を見たいと言ってくださる方がちらほらいらっしゃったのでついに書いてしまいました。
この時代では鴎芽には普通に恋をして、幸せになってほしいなあ、と。
 
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