そして世界は再び廻るのだろう 


※鴎外転生



ああ、あんまりだ。


「どうかしましたか?お嬢さん」

燃えるような赤い髪と、黄金色の涼やかな瞳。
綺麗な顔には、綺麗な微笑が浮かんでいる。
この声を、この眼差しを、この人を、私は知っている。



私は、あの満月の夜、愛しいあの人をあの時代に残して、現代に帰ってきた。
私は、あの人を裏切ったのだ。
あんなに優しくて美しくて、そしてあんなにも私を愛してくれた彼を置いて、私はこの時代に戻ってきた。
私は、何よりも愛しい人を裏切った、何よりも最低の女なのだ。

この時代に戻ってきてからも、その意識は私をじわじわと蝕んでいった。
最低。恩知らず。ヒトデナシ。
私はいつも満月の夜を迎える度に激しい自己嫌悪に陥って、そしてまた彼を想って、私はどんどん自分を嫌いになっていくのだ。

だけど、それで良かった。
どう償ったとしても、あの人への罪悪感と私の罪は決して消えることは無かった。
それでも、自分を嫌いになって、自分を憎んで、自分で自分を傷付ける度に、私は少しだけ救われた気分になって、それが彼に対してできる唯一の償い方なのだと、身勝手な私はそう思い込んでいた。

だから、だから、こんな場所でまた出逢うだなんて、思ってもいなかったのだ。


今夜は、満月だった。
あの日と同じ、真っ赤な真ん丸い月。

私は例のごとく、また勝手に自己嫌悪に陥って、そしてどうしようもなくなって、真夜中の公園のベンチに座って、飽きもせずにただ泣きじゃくっていた。

どうして、私はあの人を最後まで愛することができなかったのだろう。
どうして、私は此処にいるのたろう。
こんな裏切り者の、彼を愛することもできなかった醜い女など、今すぐ消えればいいのに。
消えれば、いいのに。

「お嬢さん、隣に座ってもよろしいですか?」

穏やかな声に、私は弾かれたように顔を上げた。

うそだ、うそだ、嘘だ。
この声が聞こえるはずがない。
あの人が此処にいるはずはない。

私の目の前で、赤髪の綺麗な男性が、柔らかな微笑を浮かべて私を見つめていた。

「隣、よろしいですか?」

彼は、散々泣き尽くして酷い顔をしているだろう私を見ても、微笑をその端正な顔に浮かべたまま、同じ言葉を繰り返した。

私は呆然とした表情のまま目の前の人を見つめて、それから何か言おうと唇を微かに動かしたけれどやっぱり何も思い付かなくて、小さな声で「どうぞ」と言った。

「ありがとうございます」

彼はにこやかな笑みで小さく会釈をして、それから私の隣に腰掛けた。


「今夜は、綺麗な満月ですね」

私の様子になどお構い無く、彼は唐突に言った。
私もちらりと濃紺の夜空に浮かぶ深紅の丸い月を見上げて、小さく頷いた。

嗚呼、痛い。
胸がずきずきと痛む。
この人の声を聞く度、あの満月を見上げる度に、どうしようもなく胸が痛い。

「………でも、赤い月なんて少し不気味です」

ぽつりと私が呟けば、隣の彼は興味深そうに私を見つめた。
長い睫毛に縁取られた瞳を細めて、私を見つめる。

「…貴女は、嫌いですか?」
「……満月を見ていると、悲しいことばかり思い出すんです」

さっきよりは少し声を張って、だけど相変わらず小さな声でそう答えれば、彼はぱちぱちと目を瞬いた。

「…ふむ、それは残念ですね」

その言い方があまりにもあの人に似ていたから、私は苦しくなって、視線を地面に落とした。
隣に座る人は、そんな私に構わずにさらに言葉を重ねる。

「…僕は、満月を見るとどこか懐かしいような、満たされた気持ちになるんですよ」

彼は、優しい声でそう言った。

「……どうして、ですか?」
「…さあ、どうしてでしょう?僕にもわかりません」
「………おかしな人ですね」
「はは、変わり者だとはよく言われます」
「…………本当に、おかしな人、」

ぽろり、と頬に熱い雫が伝う。

「………憎まれた方がよかった。その方が、まだ救われたのに、」

涙と一緒にぼろぼろと次から次へと言葉が溢れ出す。
悲しくて、苦しくて仕方がなかった。

「…私は、愛されることを望んだのに、愛されていたのに、私自身が愛することができなかった」

あの人はどれだけのものを私に与えてくれたのだろう。
あの頃はまだ、そんなことすら気付けなかった。
私は、彼に傷を負わせた張本人だというのに。

そっと、指先で涙を拭われる。
隣を見れば、黄金色の瞳が真っ直ぐに私を見据えていた。

その真摯な眼差しは、私の記憶の中のあの人と何一つ変わっていなくて、私の瞳からはまた涙が零れ落ちた。
彼は何も言わずに、ただ私の目から流れる雫を指先で拭うことを繰り返した。
それが、私にとってはひどく心地が良くて、懐かしいような寂しいようななんともいえない感情が私の心を支配した。


「…貴女とは、何故か初めて会った気がしないんです」

私がやっと泣き終えた頃、少し困ったような笑みを浮かべた彼がそう呟いた。

「どうしてでしょう」

彼のその問いに私は答えることはできず、少し視線をさ迷わせて、それから黄金色を見つめることしかできなかった。

「…また、会えますか?」

彼のその問いに今度こそ私は本当に答えられなくて、ぎゅっと唇を噛んだ。

「………僕は、森林太郎と申します。一応、こう見えても作家志望の学生です」

貴女は?と、視線でそう問われる。

私は、踏み込んでいいのだろうか。
また、そっち側へ行ってもいいのだろうか。
私は、

「……芽衣、です。綾月芽衣、」

その時、黄金色の瞳が僅かに見開かれて、そうして彼の唇が、めい、と小さく私の名を刻んだ。


赤い満月は、少しずつ西に傾いてきている。



(もう一度世界を見つめてごらん)
(ほら、思っていたよりは優しいでしょう?)
 
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