さよなら、俺 / 04
「ええ、あなたは?」
懐かしい声が懐かしい記憶を甦らせる。他人行儀に聞かれる言葉はまるで鋭いナイフの様。
「梶柴、虎吟、です」
「……そう、あなたが」
一瞬の間に母親が何を思ったのか分からない。少し潤んだ目に救われたような気がする。
「俺が生まれる前に、母があなたの息子さんに助けられました。 ありがとうございます。 そして、ごめんなさい。 奪ってしまった、あなたから息子さんを」
会う前に考えて考え抜いた言葉を口にする。母親は痛ましいものを見るような目で黙って俺を見、そっと俺に向かって手を伸ばした。
柔らかい白い手。
それは何一つ変わっていなかった。
「泣かないで」
泣いてなんかいない。その言葉を口にすることは躊躇われた。すっと零れ落ちたものは確かに涙だったから。本当に泣きたいのは目の前にいるこの人なのに。
「十五年、経つのね。 あの子がいなくなってから」
そう呟いた母親の目に光る物に、俺は悲しんでくれたのだと理解する。
「あなたの名前、あの子と一緒なのね」
「母が、恩人の名前にと」
「そう。 なんだかあの子が戻ってきてくれたような気分だわ。 あなたにこんな話は辛いかもしれないけれど、聞いてくれるかしら?」
「はい」
母親はニコリと笑い、でもまずは中に入りましょうと促した。
店の照明はまだ暗く落とされたままで、手探りで進んできたこの十五年間を彷彿させる。ぱちんと点いた灯りが眩しい。
「どうぞ」
と勧められてカウンターの椅子に座り、母親の職場見学もはじめてなことに気付かされる。
ジュースを置かれ、小さく頭を下げるとニコリと笑顔が返ってきた。
「この店、割と大きいでしょう? あの当時はもっと小さくてこんなに華やかな店じゃなかったわ。 生活に追われて、あの子との関係は最悪。 顔を合わせば罵り合うような考えてみれば酷い毎日だったわ。 とにかくどんなふうに育てばこんなに悪くなるのかしら? って思うくらいに虎吟は悪かった。 私のせいよ。 でも認めたくなかった。 だけど身重の女性を助けて死んで、あんな極悪人が死んで妊婦さんが助かってよかったって言われるのは辛かった。 極悪人でも最後には人助けできたんだからよかったじゃないかって。 悔しかった。 まるであの子は死んでも良かったって言われてるみたいで。 でもね、あなたのお母さんがお葬式に来てくれて、凄く泣き腫らした顔で、あなたと同じことを言った時、私は言ったのよ。 あんな極悪人な子が人を助けて死んだのだから本望だろうって。 笑っちゃった。 人に言われたら悔しいけど、自分で言うほど哀しいことはないわね。 それでもあなたを見ると虎吟の死が無駄じゃなかったんだって思えるから嬉しい事よね」
そっと涙を拭いた母親の顔がとても優しい。
「辛気臭い話はこのくらいで、あの子ね、死んでから親孝行のつもりかしら。 生前のあの子を良く知っているって言う人が店を頻繁に使ってくれて、どんどん大きくなっちゃった。 その人にも無理しないでって言ったんだけど、虎吟の話ができるのは私しかいないって言ってね。 馬鹿よね、生きてくれてるだけで十分なのに、死んでからもどこかずれてるんだから」
愛されていたのだと理解して、ふつふつと恥ずかしくなった。俺の赤くなった顔を見つめて何か思うことがあったのか
「もっときちんと向き合っていればもっと違ったでしょうね」
と俺が考えていたことと同じことを呟いた。
「里中虎吟さんのお母さん……」
「美晴」
「え?」
「私は里中美晴」
「美晴さん」
「あなたに会えてよかったわ。 よかったらまた来て頂戴。 あなたには幸せになって欲しい」
自分の母親を美晴さんと呼んだ日、俺は面映ゆいと言う気持ちを初めて知った。
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