雪解け (続・ドッペルゲンガー!)
ポタリ…ポタリ…
栄養剤の点滴がアイツの腕に痛々しく繋がっていた。
病院は白い。ましてや、精神病院なんて、患者の心の闇を覆い隠してしまう程の強烈な白を感じる。実際には、それが尚更患者の心の闇を顕在化させる結果となってしまっている。
現実に、こいつは…周防爽平は、自分の中をどろどろと蠢く闇のせいで、現実と向き合えない状態が長らく続いていた。…いや、辛い現実を自身の意志で拒否しているのだ。
俺たちは来年で最終学年になる。おそらく、爽平は進級が出来ないだろう。
ポタリ…ポタリ…
静かな個室の中でオレンジ色をした栄養剤が落ちる音が聞こえる。きっと、俺が想像しているよりも、ここは相当静かなんだ。
爽平がこんな状態だというのに、爽平の家族は誰も面会に来ていない。俺はほぼ毎日のように見舞いに来ているが、爽平の家族とは会ったことが無かった。看護士も身内なんかでない俺に吐露するくらいだから、きっと一回も来ていないのだろう。
あまりにも、哀れだった。
だけど、眼前の彼は、驚くほど白い顔で、それは幸せそうに眠っていた。本当に生きているのか疑いたくなるほど、全ての柵(しがらみ)から解放された様な安らかな顔つきをしていた。
看護士によると、一日の長くを眠って過ごしているんだそうだ。起きている間はカウンセリングを行うが、意識が朦朧としていて、こちらからの問い掛けには応じないらしい。医師によると、言葉を認識する能力が一時的に低下している可能性がある、との事だ。
「幸せな思い出に浸っているんだ。我々が想像するより遥かに上回る位、彼にとってはよっぽど幸せな思い出に。それが彼の全てなんだよ。彼は辛い現実より、そちらを選択したみたいだ。」
と、いつしか悲しい眼で医者は言っていた。
ポタリ…ポタリ…
…幸せな思い出。
よく、爽平は囈言(うわごと)で「にいちゃん」と呟いていた。
たった一人の片割れ。
爽平が持つ兄貴への執着心は、俺の知っている兄弟の形からは異常なものだった。
「…爽平」
ポタリ…ポタリ…
「俺じゃ、だめなのかよ。」
ポタリ…ポタリ…
「俺より、一回も見舞いに来ない兄貴の方がいいのかよ。」
ポタリ…ポタリ…
「俺が側にいるから。…ずっと側にいてやるから。だから、起きろよ。」
ポタリ…ポタリ…
「…思い出なんかに生きるなよ。お前がそれで良くても、俺は全然、良くないんだよ。」
ポタリ…ポタリ…
「…馬鹿野郎っ…こんなのっ、…俺は、お前と、また過ごしたいっ。」
ポタリ…ポタリ…
「………すきだよ」
ポタリ…ポタ、
涙を拭うけど、言葉にした途端、感情が溢れてきて、嗚咽を漏らしながら泣いた。
「…にぃ、ちゃ…」
顔を上げると、彼の目の端から涙が零れていた。
あぁ…彼は今、幸せだけど、…悲しいんだ。思い出に生きても尚、救われていないんだ。
爽平、…辛いよな。悲しいよな。本当は心の根深い所で、苦しんで泣いている。
「…大丈夫だ、…大丈夫。」
強く手を握って、さすってやると、いくらか安心したように再び寝息を立て始めた。
…大丈夫、お前はもう苦しんだんだから。苦しみ過ぎたんだから。もう、苦しまないでいい。
「後は…俺に任せろ。」
ポタリ…ポタリ…ポタ…
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