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※年齢操作
ザーッと水の流れる音と合わせるように聞こえてくるのは、貴大のオリジナルの鼻歌。ガチャガチャと食器を重ねながら、それは楽しそうに歌っている。
紡がれる音やリズムは、彼の気分や機嫌によって毎回違うし、もしかしたら体調によっても左右されるのかもしれない。
でも無意識なんだろうな。
その姿を毎回微笑ましく思いながら、膝に乗せた洗濯物を畳むのが私の至福の時間だったりする。
「お、畳んでくれてんだ」
捲くった袖を元に戻しながら、貴大は私の座るソファーの足元に腰を降ろして、手伝う?と見上げる。
「いいよ、食器洗ってくれたんだからゆっくりしてて」
そう告げると、無理に手伝うことはせずに、サンキュと短く笑ってリモコンを手にした。
電源の入れられたテレビに最初に映ったのは、いつも使っていた柔軟剤のCMで、そういえばと思い出す。
「ねえ、柔軟剤変えた?」
「そうそう、新発売ってやつにした。どう?だめ?」
「ううん。いい匂いだし、結構すきかも」
「ジャスミンの匂いだってよ」
「へえ、なんかオシャレだね」
言ってからジャスミンてオシャレなのかなと思っていたら、彼も同じことを聞いてきたので、わからないと返すと適当かよと笑われた。
こんな些細なことでも幸せを感じられるから、安上がりな女だよなって貴大にからかわれるんだな。
料理が苦手な貴大の代わりに私が毎日ご飯を作って、大雑把な私の代わりに貴大が洗濯をしてくれる。
口に出して決めたものではないけれど、自然と分担が決まっていて、出不精な私と、私に合わせることを苦に思わない貴大は、家で過ごす時間も多く、その他の家事は仲良く二人でする。
「夢子ー?」
「んー?」
「対面キッチンてどう思う?」
「どうしたの急に」
ゆっくりと流れる時間を突然元に戻したのは貴大の脈絡のない一言だった。
突然すぎる提案に目を瞬かせることしか出来ないでいると、にやりと彼のくちびるが緩まる。
「いや、どうなのかなと思って。結婚したらそういうのもいいかなーってなんとなくな」
大学の頃から付き合い始めて丸八年。年数だけは立派だけれど、お互い社会人としてはまだまだだし、大人になりきれないところだってたくさんある。
それでもたまにこんな風にして貴大とは将来の話をする。『プロポーズ』という明確な言葉はなくても、将来隣にいるのは目の前の相手だとお互い考えているからこその、ぼんやりとした未来設計。
「別に私はこだわりはないし、今のままでも不便はないけど」
「でもさ、結婚して子供が出来たとしたらもっと広い間取りのとこに越すだろ?」
「まあ、そうだけど」
「夢子が飯作ってるとこを子供と一緒に正面から見れるのって幸せじゃね?」
後ろ姿もそれはそれでいいんだけどさと腰にゆるゆると腕を回しながら、悪戯好きの子供みたいな顔で笑うから、バカなこと言わないのと軽く頭を叩いた。貴大はちぇ、とくちびるを尖らせながらテレビの方に体を戻した。
今の間取りもそう狭くはないけれど、家族が増えるとしたら確かに手狭になるだろう。
「あといつも言ってるけど子供は絶対女な」
そこは絶対譲れないからと、これは同棲を始めた頃から言っている貴大の口癖だ。
子供は授かりものだから性別は選べないと真っ当なことを言っても、男だったら妬くから嫌だと頑なで、彼との子供ならどちらでも構わない思っている私にはよくわからないこだわりだなと思っていた、はずだった。
膨らみすらはっきりとしないお腹を両手で撫でる。そこに命が宿っていると知ったのは五日前だった。
きっと女の子だとしたら、貴大は溺愛するだろう。今ならちょっとだけ彼の言っていた意味がわかる。確かにちょっと妬けるかもしれない。
体を私に預けて背もたれがわりにする貴大の柔らかい髪を指で掬うと少しくすぐったかった。それは触れた肌だったのか、それとも心のほうだったのかはわからない。そっと名前を呼ぶと貴大は振り返って、なんだよ甘えたくかったのかってバカを言う。これを伝えるとどんな顔をしてくれるんだろう。
目尻にくしゃくしゃに皺を寄せて喜んでくれる気がする。
「あのね、女の子か約束は出来ないんだけどね」
慈しの日20150411
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3gramme.