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 平行の天秤は動き出す・後編【ユリフレアス】



「お帰りなさい。お疲れ様、アスベルくん」

クエストから帰って来て、バンエルティア号のホールに足を踏み入れた。今日請け負ったクエストはこれで終わりだったので、知らず息をついていた。その時にアンジュに話しかけられ、アスベルは慌てて口を開いた。

「あ、お、お疲れ」

「声をかけただけで慌てるなんて、アスベルくんらしくないわね。そんなに疲れているのかしら?」

くすくすとアンジュに笑われ、アスベルは少し恥ずかしくなった。ほんの些細なことも見逃さない彼女に、感嘆の句を述べることは出来なかった。赤くなっている筈であろう頬を隠す為だ。
依然笑い続けているアンジュに、アスベルはばつの悪そうな顔をした。どうしたものかと頬を掻いていると、ふと近くにあったソファに目が行った。そして、そこに居た人物にぎょっとして碧眼を見開いた。

「あ、アンジュ! どうしてフレン隊長がここに……!」

「さっきここに来て、アスベルくんが居ないか聞いてきたの。もう少しで帰って来るって伝えたら、ここで待ってるって言っていたのだけれど……」

寝ちゃったみたいだね、とアンジュは頬に手を当てながら苦笑した。ソファに座っているのは、穏やかな顔で眠っているフレンだったのだ。それに、今日はクエストがなかったのか、いつもの礼服に鎧が装備されていなかった。
フレンがここに居ることよりも、アスベルにはもっと重要なことがあった。確かに敬愛する騎士団長様が、こんな所で不貞寝しているのも風邪をひかないか心配になる。だが、それよりも。
いつも凛として、騎士然たる表情をして立っているフレンの寝顔は、それらを感じさせないくらい幼かった。あどけない、子供みたいな表情。アスベルの心を奪い、釘付けにさせる程に威力があった。

「アスベルくーん? 見惚れるのは良いけれど、報告お願い出来るかなー?」

「あ、ああ! す、済まない!」

うっとりとした瞳で見惚れていると、アンジュから間延びした指摘を受けた。慌てて彼女の所に行くと、にやにやした微笑みで迎えられた。顔真っ赤だよ、と報告の間ずっとからかわれた。
真っ赤になって初心な反応をするアスベルを、からかうのに満足したアンジュから解放される。眠っているフレンを起こすのは忍びないが、用事があるのだから仕方ない。そう自分に言い聞かせて、アスベルは彼の肩を揺さぶった。

「隊長、フレン隊長。起きて下さい」

「ん、むぅ……」

「――っ! ……ふ、フレン隊長!」

疲れているのか、フレンは中々目を覚まさなかった。眉を寄せて嫌々と言う風に首を振るだけではなく、可愛らしい寝言付きだ。その破壊力に悶えながらも、アスベルは懸命に彼を起こす。
その姿を、けなげと取って良いのか意気地がないのかと取って良いのか。アンジュは微妙な線に居るアスベルの姿に、苦笑を浮かべていた。

「……ん、アスベル?」

「は、はい! 俺に用があると聞いたんですが……その、大丈夫ですか?」

「……ん、大丈夫。行こうか、アスベル」

目を擦ってから立ち上がったフレンは、アスベルの前を歩いて行った。隊を束ねる者としての癖なのだろう。その為、彼はアスベルの表情を見ることが出来なかった。
寝起きは一段と子供っぽくなるフレンの一面を知り、アスベルが呆然としていることを。口をぱくぱくと開閉し、茹蛸みたいに紅潮している彼はフレンの愛らしさに打ちのめされているのだろう。
後ろからアスベルがついて来ていないのを、フレンが不思議そうに振り返った。それで我に返った彼は、慌てて彼の一歩後ろに小走りして行った。
1号室に向かう間、アスベルはフレンの後ろで沈黙していた。フレンは目覚めたばかりだからか、あまり話を振ることはしなかった。
真っ直ぐな背中を見ながら、アスベルは羨ましいと思っていた。この背中に憧れている人達は、世界中にごまんと居る。だが、その背中が預けられているのは一人しか居ないのだ。その一人というのは、言わずもがなユーリのことだ。
ユーリとフレンとの間にある絆は、とても深くて強いものだ。例え真逆の方向を向いて歩いていても、必ず互いの所に戻って来る。二人の仲に溝が出来たとしても、それは気付かない内に修復されている。
先程アスベルが初めて見た表情を、ユーリはいつも見ているのだろう。遠慮のない態度や口喧嘩を目撃する度、アスベルは彼に羨望してしまうのだ。自分もそんな存在になりたいと。

「次はこの書類をお願いするよ。あと、前に渡した書類は後で持ってきて」

「……」

「アスベル? 聞いていたかい?」

「は、はい! 書類ですね、わかりました!」

1号室に来て、書類を整理する姿を見てアスベルはぼんやりとしていた。辛うじて聞こえていたフレンの指示に、慌てて敬礼すると彼は不思議に首を傾げていた。
不甲斐ないと自身を叱咤しながら、フレンから書類を受け取る。俯いていたアスベルをどう取ったのか、フレンは彼の顔を覗き込んできた。

「え、あ、あの?」

「アスベル、疲れているんじゃないかい? ぼうっとしていた様だし……」

「そ、それならフレン隊長の方が! さっきまで寝ていましたし、目の下にくまもあります!」

アスベルの言葉に、フレンはぐっと押し黙ってしまった。実際、先程まで寝ていたので眠たいことには眠たいのだ。だが、疲れている部下の前で情けない姿を見せたくはない。
また何やら変な葛藤をしている、とアスベルはむっとする。きっと、ユーリになら気兼ねない態度をする筈だ。こうして、遠慮することなく過ごすのだろうと思うと嫉妬してしまう。
フレンの背後に回り、アスベルは彼の背中を押してベッドに向かった。焦ったフレンが自分の名前を呼び、制止を呼びかけているが今回ばかりは無視させて貰った。
ベッドに腰掛けさせ、寝て下さいとアスベルは目で訴えた。最初こそ渋っていたフレンだったが、根負けしたのか溜息の後に上体を倒した。

「もう……僕の心配なんて、しなくても良いのに」

「心配させて下さい! 俺にとってフレン隊長は、大切な人なんですから!」

自分の瞳を見据えて言われた一言に、フレンは少しだけ頬を赤らめる。右腕とも謳われている部下、もといアスベルから大切な人と言われたからだ。ソフィやシェリア達に比べると、劣るとはわかっていても嬉しいものだ。
照れくさそうに礼を言うフレンは、そのまま夢の世界に旅立った。その姿を穏やかに見守っているアスベルが、彼女達と自分に向ける大切の意味が違うことには気付かなかった。





それから何時間か経った後、フレンは静かに目を覚ました。今は何時だろうと窓の外を見ようとした時、近くに気配を感じた。何だろうと視線を滑らせると、そこにはアスベルが布団に突っ伏して寝ていた。
どうやら、先程の状態から眠ってしまったのだろう。そう予想して、フレンは微笑みを零した。

「やっぱり、アスベルも疲れていたじゃないか」

全く、とよく働くアスベルにそう呟く。いつもお疲れ様という思いを込めて、流れる茶髪を撫でてから彼の身体を揺さぶる。暫くして開かれた瞼から、ぼんやりとした深海の様な碧眼が覗き出る。

「アスベル、起きて。風邪をひいてしまうよ?」

「フレン、隊長……」

「ん……っ!?」

声をかけたフレンの存在を認識したのか、アスベルは嬉しそうに微笑んだ。その表情が、存外柔らかかったことにフレンはどきっとした。自分の部下として居る間、そんな顔は一切と言って良い程見ていないからだ。
これは問題なのかもしれない、と深刻に考えようとした直前。名前を呼んだアスベルは、フレンの後頭部を引き寄せて口付けた。見た目といつもの態度とは違う、強引な引き寄せ方。名前を呼んだ声色、口付けの中にあった僅かな熱にフレンの心臓が煩くなる。
唇を離したアスベルは、そのまま力を失った様に突っ伏して眠ってしまった。呆然としていたフレンは、事態を把握すると同時に頭の中がこんがらがってきた。

(い、いい一体何が起こっているんだ!? ゆ、ユーリとアスベルは何で僕に……!?)

可哀想なくらい真っ赤になったフレンは、唇を押さえながらおろおろとしていた。相変わらず考えても答えは出なかったが、一つだけ認めなければならないことが出来た。
これから先ユーリを親友と、アスベルを部下として純粋に思えなくなることだ。あんなに情熱的に口付けられてしまえば、今までの様に見ることは出来ない。ただの男、ユーリとアスベル自身でしか見られなくなってしまう。

(……もう、勘弁してくれ。どうしてくれるんだ)

甘くて厄介な罠を仕掛けてくれた二人に、心が支配される。これからどうしようと、フレンは布団の中に潜り込みながら思っていた。



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