01 苗字名前、享年87歳。 地元の病院で、家族に見守られながら静かに息を引き取った。 ーはずだった。 この世界に生を受けて早15年余り。 私はここを長い夢の中で次に転生する為の休憩地点だと思っている。 再び生を受けた私は、死んだはずなのにと首を傾げた。 ここでは超能力…「個性」と言うものが当たり前のようで、未だにまだよくわかっていない。 こんな漫画やアニメみたいな世界は知らないし、何より怖さも感じた。 だから私はこの世界を次の為の長い長い休憩地点だと思うようになっていった。 休憩といっても痛みも感じるし、お腹もすく。 しかし私の頭の中は生まれてからずっとモヤがかかったようにすっきりとする事はなかった。 「個性」とはこの世界の人口のおよそ8割ぐらいを占めており、残りの2割は「無個性」と言う超能力を持たない人々のことだった。 私はそのうちの残り2割のうちの1人である。 医者にそう聞かされた私は特に思うこともなく、興味を持つ事はなかった。 しかし周りはそうはいかず、無個性だと知った途端に掌を返すように人は離れていった。 なるほど、「個性」と言うのは一種のステータスなのかと感心してしまった。 元々人付き合いも深くしてこなかった為、人が離れていくのは当たり前だな、と頭の片隅でそう思っていた。 この世界の両親と呼ばれる人でさえ感心を示さなくなったのは驚いたが致し方なし、と納得した。 そもそもだ。 普通に生きて、働いて、食べて、寝て、と生活していくのに個性など必要だろうか? 負け惜しみとかではなく、前世もそうやって生きてきたのだから余り必要性を感じない。 その「個性」を生かし、この世界にはヒーローなる職業が人気らしいが、ヒーローと敵の境界線はそう変わらないような気がする。 前の世界でさえ、教師や医師、警官などが犯罪に手を染めると言うのは割と日常茶飯事だったので、ヒーローがやらないと言う保証はどこにあるのだろう? 疑問でしかなかった。 兎にも角にもだ。 個性を持って怪我や犯罪をしないと言う保証がない上に、どうして自分がそれを使いこなせると思っているのか。 それこそ「個性」がもたらした傲りでしかなく、私に「個性」は有り余るすぎた力だと考えていた。 長い休憩地点も、ようやく15年目を迎えた頃だ。 現在中学3年生である。 進級するのと同時に行われるクラス替えも終わり、ちらほらと中の良いグループが出来上がっている。 私はすでに中学1.2年生で無個性であることが知られている為、今更仲良くしようとする人間はいない。 特になんとも思っていないがおかげでクラスで浮いてしまっている。 困ることも余りないが、グループで授業をする時なんかは少々面倒である。 そんな時はクラスで足りないところに入れさせてもらって入るが、その時の表情は皆固い。 まあ、ひそひそと陰口を言われるだけマシである。 こうしてのらりくらりと長い休憩地点を彷徨っている。 |