more... 1 鏡に私の顔が映る。 それを見るたび、病室で深い眠りについている片割れを思う。冷たい鏡面に触れ、溜め息をついた。 会いたいのではない。私はそこにいなくてもいい。ただ目を覚ましてほしい。 おはようの声が聞けたら、どれだけ幸せだろう。しかし、成長した片割れの声を私は聞いたことがない。鏡に向かい、声を出した。 「おはよう」 久しく出していなかった声に違和感を覚える。自分の声すら私は忘れているのだろうか。 鏡の中の自分が笑っている。片割れはよく笑う人だから、双子の私も微笑めばいい。 鏡に映る笑顔に、胸の奥がちくりとした。 鏡とアマリリス この世界は高い壁に囲まれ、偽りの空に覆われている。人々は魔法が使えるため、この世界の不自由さを打開する術をすでに持っているように思う。その壁の破壊を食い止める意味などあるのたろうか。答えの出ぬまま、今日も一人で壁を守りに行く。 守っているのは壁ではない。片割れとの約束だ。防護服のヘルメットの下にある口はそんな理屈を誰にも伝えようとしない。 今朝も壁の前に人がいた。 背格好からして男だろう。男は壁を見ながら首を傾げている。物珍しそうに、足元から壁の天辺を何度も見比べているようだ。ここの日常は壁の中にしかないのだから、壁は珍しいものではない。 私が注意を引く電子音と共に顔面のディスプレイにクエスチョンマークを出すと、男は驚いたように私の方を向いた。 目の前の男は見た顔ではない。いや、私と同じだ。顔は見えなくなっている。男はヘルメットを被っているからだ。 黒地に赤のヘルメットを被った男と白の防護服に身を包む私。通りすがりが見たら、さぞ滑稽なことだろう。 警戒すべきだが、男に攻撃性は見られない。この男は敵ではない。根拠はないが、何故か確信めいた勘が働いていた。私は顔面のディスプレイに笑う顔の絵を表示した。敵意のないものを傷付けたくはない。友好的にすれば、交戦することもないだろう。 すると、ヘルメットの男はお辞儀をした。私もつられて礼をすると、右手を差し出される。私も左手を差し出すことで、握手する形になった。 顔面のディスプレイに文字を表示させ、問いかける。 《Who are you?》 男は困ったように首を傾げている。どうしたものか、そんな思案の色が見て取れた。しかし、意を決したのか、男はヘルメットを顔から外した。 2 そこにいるのは片割れだ。 正しくは片割れの顔をした男が目の前にいる。今朝見た鏡のようだと思った。 それが何かの魔法であると思いながらも、目の前の男から目が離せない。 男は私の黒いディスプレイに映る顔を覗いているようだ。長い白髪に赤い瞳の弟が映っていることだろう。 私の顔は見えないはずだ。見つめ合っている実感か相手に沸かないだろうけれど、私は男の赤い目をじっと見ていた。数年ぶりかに見る、片割れの開かれた目なのだ。 頬に伝う涙を防護服の上からでは拭うことが出来ない。 体が震え、膝から崩れ落ちそうになるのを耐えた。震える私は見て、男は戸惑っている。 男が口を開こうとした。 瞬時に、私の手は男の口を塞いだ。 "I don't want to listen to your voice." 文字を表示させる前に声を出したのはいつぶりだろう。湿っぽい声が恥ずかしい。 男は防護服の中からのくぐもった、私の泣き声が聞こえたのか、口を閉じて何度も頷いている。 《Thanks,》 今度はディスプレイに文字を表示させた。 私は男が手にしているヘルメットを取り、そっと男の頭に被せた。男は詫びるように深く頭を下げた。私が顔を横に振ると、見えない顔は笑った気がした。 ヘルメットの男は落ちていた木の枝を拾い、地面に文字を書いた。 I AM MIRROR. この男は鏡らしい。 鏡男は照れ臭いのかヘルメットの上から頭を掻いている。今朝の鏡といい、今日はつくづく鏡と縁がある。 私は例のごとく、顔に文字を出した。 《i'm amaryllis.》 私が名乗ると、鏡男は困ったようにきょろきょろと辺りを見回している。 鏡男は地面に分厚い本の絵を描いた。これは、辞書のことだろうか。 《dictionary?》 鏡男はまた何度も大きく頷いた。 すると、首を振る動きによって体が消えていく。首を揺らす衝撃で体が消える魔法なのか。それとも、私はまだ夢でも見ているのだろうか。 地面に残された文字も強い風に吹かれて消えていく。 一人残された私は顔にクエスチョンマークを表示した。 3 体を揺さぶられ、カガミは目を覚ました。 加減を知らない子供は強く体を揺すってくる。 カガミは目の前のアカリに朝の挨拶をする。 「グッドモーニング!」 すると、アカリは不思議そうな顔で首を捻る。 「間違った、おはよう」 「おはよう。どうして、英語なの?」 「夢を見たんだ。英語の夢で」 「英語を話せたの?」 「いや、よくわからなかった」 アカリが哀れな者でも見るように、カガミを見ている。 冷めた視線に耐えながら、カガミはスマートフォンで夢の中で見た文字を検索する。 "amaryllis"は花の名前だった。 ヘルメット越しに見た赤い瞳のような真っ赤な花の画像に目を奪われた。 「もう!遊んでないで、顔を洗わなきゃダメでしょ!」 アカリに促され、見えない顔を洗いに洗面台に向かう。 顔を洗うと、先程までの不思議な夢が頭から薄れていく。 何故か、カガミは鏡に向かって声をかけていた。 「おはよう」 end. |