恋は再び 3






サンジが記憶障害を引き起こしてから数日経った。

人の適応能力とは凄いもので、俺はこの状況に段々と慣れてきている。
その証拠に、初日に抱いていた絶望は驚く程薄まってくれていた。

一番の理由は、サンジが他の仲間と同じように俺に接してくれるようになったからだ。
もう冗談だって言い合えるし、屈託のない笑顔を見る事だって出来る。

時折、口をついて出た思い出話が噛み合わなくて無駄に傷付いてしまったりもするが、それを除けばいたって平穏だ。

「なぁーんか拍子抜けだわ。もっと日常に支障きたすのかと思ってたのに」
ナミが、他のクルーより一回り大きいショートケーキを食べながら言った。

「なんだよ、そのつまんなそうな言い方」
俺もケーキを口に運びなから言い返した。
サンジのおやつは、今日もすこぶる美味しい。

「だって、最初泣きそうな顔してたじゃないアンタ」
ナミにチラリと視線を向けられ、思わず「う」と声に出てしまった。
…あ〜やだやだ、観察眼の鋭い奴って。ホントに何見られてても不思議じゃねえな…。

「そ、そりゃあだってお前。ずっと一緒にやってきた仲間に忘れられたら、俺様だって多少は傷つくだろ」
「…ふーん…」
まるで納得していない様子で、こちらを見つめる 。
心の内を読まれないよう、俺は目の前のケーキの味に集中する事にした。

「まあ良かったじゃない?忘れたのがサンジ君の方で」
「?どういう意味だよ」
「言葉のまんまよ。逆だったら手つけられなさそう」
ナミがいたずらっぽく笑った。

「忘れたのがアンタだったら、きっとサンジ君、ショックで寝込んじゃうわよ」
「寝込むって、どんだけナイーブだよあいつ」
「この船で一番、そういう事に凹みそうじゃない?」

ナミの言葉を聞きながら想像する。
もし、俺がサンジの事だけを全部忘れたら。…頭の中で上手く思い描けなかった。
だってサンジの事を丸ごと忘れるなんてさ、なんかさ、それってもはや俺じゃねえ気がする。

「寝込む前に「思い出せ」ってブチギレされて、脳天蹴られそうだ」
「あはは言えてる。まずキレるわね。で、ひとしきりキレてから今度は全力で落ち込んでそう」
すこぶる面倒臭い奴だとため息まじりに言ったら、ナミが小さく笑った。

「…でもアンタは、何でもない振りしたがるから、もっと厄介ね」
伏せ目がちのナミが言う。
ケーキの最後の一口を口に運ぶその動作を見ながら「どういう意図だろう」と思った。独り言のようなトーンだったので、問いはしなかったけど。

「んっナミさ〜ん!ケーキもう一切れありますからね!おかわりするかい??」
他の船員達への給仕が終わったのだろう、サンジがキッチンに戻ってきた。

「…出た出た。面倒臭い奴」
ナミの台詞にサンジは首を傾げた。
「ん?」
「何でもない。おかわりは大丈夫よ。私、ちょっと雲の様子見てくるから」
食べかけのケーキが乗った皿を片手に持ち、ナミはキッチンを後にしようとする。

「え〜ナミさん、行っちゃうのかい?」
サンジが軽く引き止めるが、ナミは手をヒラヒラとしてみせるだけだった。

「あ、そうだ」
ナミが扉を閉める前に言った。
「アンタ達、ブットビウオで忘れる記憶が「その人にとってどういうものか」知ってる?」

「…?」
ナミの問いかけに俺もサンジも首を横に振った。

「ま、噂ってだけで正確な情報でもないみたいだけどね。…でも私は合ってると思うの」
「なんだよ?」
俺が答えをせがむと、ナミは笑いながら「サンジ君が思い出したら教えてあげる」と言った。

今度こそナミは扉を閉めていった。
不可解なナミの言動に、俺もサンジも肩をすくめた。

「?なんだろうな。は〜それにしてもナミさんは美しいぜ。つれないところがまた、こう、グッと…」
「へえへえ」
適当に返すとサンジはギロと俺を睨んだ。
「そういやお前…何だかナミさんと仲がよろしいじゃねえか。…もしかして…」
「ねえよ」
サンジの台詞を途中で遮り、最後の一口に残しておいた苺を頬張った。
程よい酸味が口の中に広がり、全く最後まで本当に美味しい。

「ふう、ならいい。回答次第によっちゃ今テメエ生きてねえからな」
本気にもとれる冗談を言いながらサンジは笑った。

胸がザワザワする。
本当は全部覚えてて、俺をわざと傷付けるためにこんな事を言ってくるんじゃねえのかと、疑いたくなる。

「…サンジは、ナミが好きなのか?」
俺の問いに、サンジはケロリと「当たり前だろ」と答えた。

「ナミさんほど可愛くて聡明で素敵なレディはなかなかいないぜ?逆に普通にしてられるテメエらがおかしい」
「…ほんとに好きなのか聞いてんだよ」
「あ?だからそう言ってんだろ」
「本気かどうかって聞いてんだよ!」

ここまでして、俺はやっと我にかえった。
サンジは少し驚いた様子で、俺をじっと見つめている。

やっちまった。今のは絶対に不自然だった。
でも、だってこいつが、あまりに鼻の下伸ばしてナミへの想いを語るもんだから…。
…ああそうか、これを嫉妬って言うんだな。なんて面倒な感情なんだろう。

「…悪い、なんでもない」
「なんだぁ?クソ怪しいぞテメエ」
サンジが俺の顔を覗き込む。

「もしかして…あれか?俺とお前は恋のライバルってことか?勿論受けて立つぞ鼻野郎」
煙草をビシと俺に向け不敵に笑うこの男の、俺は一体何処に惚れたんだっけかなあ。

いつも勘違いしてばっかりで、デリカシーがなくて、タイミング悪くて、子供みたいに我が儘で…。
あ、やばい視界が滲んできた。

「………馬鹿野郎」
「あん?なんだって?」
俯いたまま小さく零した精一杯の悪態は、やっぱりサンジの耳まで届かなかった。…しっかり聞き耳立てとけよ、馬鹿野郎。

滲む涙を振り切って、勢いよく顔を上げた。
「お前とだけはライバルになれねーから安心しろアホコック!!」

乱暴に席を立ち、そのままキッチンから出るためドアノブに手をかけた。
背中に投げられた「どういう意味だよクソッ鼻」という台詞は、悪いが無視だ。

ガチャリとドアを開けた瞬間、ノブを握る俺の左手をサンジが咄嗟に掴んだ。
こなくそと振り切るが、サンジの手は全く離れる様子がなかった。それどころか力は強まる一方で手首の骨が折れるんじゃと思うくらいだ。

「いってぇな!離せよ!」
「急に態度変えすぎだろ。なんなんだよ」
「なんでもねえし態度も変わってねえ!」
「クソうるせえな、んなデカイ声出さなくても聞こえてんだよクソッ鼻!」
「クソクソうるせえのはお前だろ!このクソ眉毛!!」
「………あぁん?」
あ、本気でキレた時の声だ。思わず背筋がシャキンと伸びた。

サンジが俺に本気でキレるなんて、今まであったかな?思い出せねぇなあ。

俺に好きだと言ってくれてからのお前ときたら、そりゃもう優しかったしエコヒイキだってたくさんしてくれて、些細な喧嘩はすれどそこに本気の怒りなんてなかったもんな。
特別扱いされてたし、甘やかされてたし…大事にされてるなぁ俺って、自惚れたりしてたんだぜ?

…そんなさあ、ゾロに凄む時みたいな声を俺なんかに出してさぁ。力で勝てる訳ない俺に、マジで腹なんか立てちゃって。恥ずかしくねえのかよ。

「………」

サンジが、続く筈だったであろう罵声やら暴言やらの類の言葉を言えずにいた。
腕を掴まれたままの俺は、ああここからどうやって状況を立て直そうかなあと、やけに冷めた思考で考えている。

絶対出るなと食い止めていた涙がポロとこぼれてしまって、その最初の一滴が目頭から滑り落ちてからは、もう堰を切ったようにダラダラと溢れ出てしまった。
「止まれ」よりも「あーあ」という俺の声が頭の中で響く。

何をどう言ったって、今ここで俺が泣いてしまった事を「自然な事」にはできない。適当な嘘や誤魔化しも全く思い浮かばない。
本当に「あーあ」としか言いようがない。

「…はぁ?」
サンジが大袈裟に首を傾げた。本当に心の底から意味が分からんって顔だ。
語尾をグッと持ち上げて言ったサンジに、俺はとても腹が立った。

はぁ?って、言いたいのは俺の方だよ馬鹿野郎。
忘れられて傷付けられて泣かされて、挙句の果てにそれら全部自覚がねえときたもんだ。

言っておくがな、今この場に、記憶障害なんか起こしてない本当のお前がいたら、お前、マジで蹴り殺されてるぞ。
「ウソップに何してくれてんだクソ野郎」とか言いながら青筋立てるんだ、あいつの事だから。

…今目の前にいるサンジが、サンジと同じ外見をした別人だったら良いのに。
アホみたいな事を考えてそのアホさに我ながら呆れた。

「…なんで泣いてんだテメエは…」
「…何でだろうな。はぁ…」
「なんだよ、何ウンザリしてんだ」
「…はは…」
大好きな恋人に忘れられて辛いんだよ。そんだけだよ。

でもどうしても俺は、この男にその事実を告げる気になれなかった。
言ったとしたってお前きっと「嘘だろ?」って、半笑いで聞き返してくんだろ?気持ち悪いとさえ思うのかもな。

…言える訳ねえよ。
お前のそんな表情を見てしまったら、いよいよ悲しさで息絶える自信がある。

「何も聞かないでくんねえかな…」
「は?お前そりゃ…」
「頼むよ」
涙を止められないまま頭を下げた。
そのせいで涙が数滴、床に落ちて吸い込まれていった。

視界の先にあるサンジの両足を見ながら、もういいやと思った。
思い出してもらいたいとか、何で俺の事だけ忘れちまうんだとか、もうそういう事は一切思わないようにしよう。

この男を、お前だと思うのをやめるよ。

泣きたくなったらそうやってシャットアウトしちまおう。簡単だ。
泣くのを我慢して誤魔化すよりは、きっと遥かに。

「………っあ〜〜〜納得いかねぇ!!」

顔を上げると、苛立ちに抗う事なくサンジは頭を乱暴に掻いていた。

「全然意味分かんねえし!クソ気になるけど!…頭下げる程言いたくねえなら仕方ねえ」
サンジは煙草を口に咥え、ライターをポケットから出しながら「分かった、もう聞かねえよ」と言った。

「…じゃあ、そういう事で」
聞かないでくれてありがとう、とは、どうしても言えなかった。さすがの俺も、それを言うのは、悔しくて悔しくて…出来ねえよ。

涙で濡れた頬を両手でざっと拭い、勢いよく鼻水を啜った。
頭が痛い。これだから泣くのは嫌なんだ。体の内側から力を奪われる。

「………俺が全部思い出したら、このクソみてえに訳分かんねえ状況も納得出来んのか」
サンジの問いに「ああ十中八九な」と力なく答えた。

「ふうん、あっそ」
サンジは機嫌の悪さを隠せない様子で、ブハァと煙草の煙を吐きながらそれだけ言った。
右を向いてそう言ったので、サンジの表情は髪に隠れて読み取れなかった。

「俺とだけは恋のライバルになれねぇっつったな、あのクソ意味不明な発言もしっかり覚えとくからな」
何が覚えとくだばぁか、人の事綺麗サッパリ忘れてやがるくせに。…とは言わないでおいた。
言わない代わりにそっぽを向いたままのサンジへ今世紀最大のガンを飛ばした。

なあサンジ。お前が思い出してくれる日を待ちながら、俺はあと何回こんな思いをしなきゃならねえんだろう。
好きな気持ちも涙も、本当ならお前が「隠すな」って言ってくれそうなもの達に、全部蓋をして。

しんどいよ。広い海の上で一人ぼっちの気分だ。








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