恋は再び 4







あの一件以来サンジは俺と距離を置くようになった。
怒っているとかじゃない、俺に不用意に近付いて、また訳も分からず泣かせてしまってはいけないと、きっと考えているのだろう。

言葉も行動も、些細な何かで相手を傷付ける。しかも自分にはその理由が分からないのだ。
俺ってなんて可哀想な奴なんだと思っていたけど、もしかしたらサンジの方がしんどい状況なのかもしれない。

傷付けられるより傷をつけてしまう方が気が重いと俺は思う。それはきっと、サンジだって同じ。



「おはようサンジ!思い出したか!?それと飯ぃ!」

ルフィが元気よく挨拶と質問と要求を続けて発した。食卓に並んだ全員が「またか」と思う。
ルフィは毎朝こうしてサンジに確認を取っているのだ。

「…朝っぱらから声がでけぇ」
サンジがげんなりした様子でパンが入ったバスケットをテーブルに置いた。
焼きたてのパンの良い香りがこれでもかと胃袋を刺激する。

「耳にタコが出来そうだぜクソゴム」
サンジは舌打ち混じりにそう言いながらルフィを睨んだ。

「タコ食いてぇ!でもパンも美味そうだぁいただきます!!」
嫌味の通じなさは天下一品である。
サンジはそれ以上言及する事はなく、慣れた手つきでコーヒーを注いだ。

サンジがルフィの問いに「おお」と返事をする朝が、いつかやって来るんだろうか。
そんな朝は一生来ないような気がして、自分の描いた未来予想図に凹んだ。
思い出してもらう日を待ち望むより、忘れらている事を忘れてしまう方が、よっぽど楽かもしれないなと思った。



午後、済ませなきゃならない用もなかったのでルフィを誘って釣りでもしようかと思っていたところ、ナミに呼ばれた。
みかん畑の水やりと収穫を手伝えとの事だった。

「なんで俺…」
「いいから早く来なさいよ」

まあいいか、獲れるものが魚からみかんに変わっただけの事だ。
俺は「へいへい」と軽く返事をしながらナミの元へ向かった。

「まだ青いのは採らないでよ」
「分かってるよ」
枝切りバサミをシャキシャキと宙で動かしながら選定していく。
柑橘系の香りに包まれ、思わず胸いっぱいに息を吸い込んだ。海の上でこんな瞬間を味わえるなんてなかなかない、いいもんだ。

「辛い?」
こちらに振り向かないままでナミが言った。
「…?いや、倉庫の荷物大移動とかに比べりゃ全然…」
「そうじゃなくて。…あのバカなコックさんがなかなか思い出さないじゃない?」
「…」
「辛い?」
何も答えずにいたら、今度こそナミは俺の方へ顔を向けた。
その顔は、心配そうな表情をしている。

「…辛そうに、見えるか?」

不安になった。
嗚呼俺、上手くやれていないんだ。周りに心配させちまう程態度に出ているんだ。
ナミはそんな俺の気持ちを汲み取ったのか笑って「辛そうって言うか…私だったら腹が立つから」と付け加えた。

ナミは自分の横に置いた籠の中にみかんを一つ一つ丁寧に積んでいく。
その後ろ姿をぼんやり見つめながら、気を遣わせてごめん、と心の中で謝った。
きっとそれを尋ねたくて、その為だけに俺を呼んだのだ。ナミの優しさが純粋に心に沁みた。いかん、鼻の奥がツーンとする。

「なんともねえよ」と努めて明るく返そうとした瞬間、畑の下から「ナミっさ〜ん」というフニャフニャした呼び声が聞こえた。

俺は咄嗟に苗木の間で身を縮める。
二人でいる所を見られて、もしもあいつがまた突っかかってきたら…面白おかしく相手をする元気がない。

「なに?サンジくん」
ナミが立ち上がりサンジを見下ろして言った。

「んん、収穫中かい?ああマドモアゼル!この俺の胸に実った恋の果実も収穫して下さい!」
「なに?サンジくん」
ナミの冷徹さは今日も冴え渡っていた。
しかしサンジも相変わらず、全くめげる様子はない。続くサンジの「クールなその瞳も素敵だぁ〜!」という台詞を聞いて、その打たれ強さを少し分けてほしいと思った。

「ねえナミさん、次の上陸までどれ位かかるかな?」
サンジがナミに上陸予定を尋ねる時は大概、食糧が絡んでいる。もしかしたらもうすぐ底を尽きるのかもしれない。

「そうね、一週間はかかると思うけど…」
ナミの答えに、サンジが「うーん…そっか…」と呟くのが聞こえた。その声から予想するに、多分ギリギリの量なのだろう。

「保ちそうにない?」
ナミが尋ね返すとサンジは「いやいや」とすかさず答えた。
「えっと、いや、食材はあるにはあるんだ。…うん」
何だか煮え切らないサンジの返答に俺は首を傾げた。
残りの食糧の備蓄に問題がないなら、何故サンジはナミに尋ねたんだろう。

「ありがとう。夕飯の支度をしてくるよ」
サンジのその台詞の後、ドアを開閉する音が響いた。どうやらキッチンへ戻って行ってしまったみたいだ。

「なにかしら。変なの…」
「な。なんだろうな」
縮こめていた体を元に戻しナミに相槌を打つ。
ナミは俺の方を振り返ると小さなため息の後「アンタ一つも収穫してないのね」と言った。
…忘れてた。



その後も、ナミに心配をかけさせていた事が結構ショックで引きずってしまっていた。
勿論それを態度に出したらまた心配をされてループしてしまうので、心の中に留めるよう努めたけど。

何か、打ち込めるものが必要だ。

絵を描きゃいいんだ、と思ったが、そういやスケッチブックはあと数ページしか残っていないんだった。クソウ、何でこういう時に限って…。

絵を描く以外に船上で打ち込めるものっていったら、武器の開発だろうな、やっぱ。
そういや弾のストックも切れそうだったし、うんそうだ。補充もついでにやっておこう。
たっぷり時間をかけて、アイディアを捻り出して、手を動かして。
そうすりゃ当分はサンジとの事で落ち込まなくて済むぞ。ついでに今後の戦闘の備えにもなるし。一石二鳥だ。

名案を思いついた俺は武器開発に使えそうな材料を漁りに倉庫へ向かった。
嗚呼何でもっと早く思いついておかなかったんだと、自分を軽く小突きながら。

昼間でも薄暗い倉庫だ、辺りがよく見えるようにドアを開けたまま中へ進む。
背後から差し込む外光を頼りに色々なものを物色した。

倉庫には残りの食糧やナミのお宝の一部など、勝手に触ると鬼のように怒られるものもあるので注意が必要だ。
じっくりと辺りを見回しながら、パッと見ればガラクタのようだけどアイディア次第で武器の材料に生まれ変われるようなものを探した。

例えば、この空き瓶とか。
コルクの部分は油と糸とを組み合わせて火をつければ、暗い所で活躍出来そうな灯りの元になるかもしれない。パチンコの弾として改良したら、もしかしたら凄く良い火炎弾にだってなり得るかも。
「全く俺様って奴は冴えてやがる…」と自画自賛しながらコルクをポケットに回収していく。

瓶も何かに使えないかなぁ。
熱を加えて形を変えてみるとか…いやそれとも叩き割って破片にしてみた方が…。

空き瓶が数本並んだ棚の真ん前で、腕を組みながら考え込む。
随分と脳内会議に集中していたもんだから、俺は足音にも背後の気配にも全く気づけなかった。

「何してやがる」

背中からかけられたサンジの声に、俺は思わず「ぎゃっ」と悲鳴をあげた。

振り向くと、何故この距離で気付けなかったんだと思うほど近くに、サンジが立っていた。

「盗み食いしようってか。ルフィによりゃ常習犯みてぇだしな?テメエもよ」
サンジが首を少し傾けながら言った。
完全にそうだと決めつけているサンジは、かなりマジの表情をしている。
きちんと誤解を解かないとメチャクチャ痛い目に遭いそうだ。

「ちちち違う!俺は、武器に使えそうなモノを探してたんだ!」
「あぁ?下手な嘘ついてんじゃねえぞ、そんなモンここには…」
そうかそうだ、俺がちょくちょく開発や発明をしている事だってコイツは知らないも同然なんだ。
さっきの言葉で納得してもらえるとばかり思っていた俺は、慌ててポケットの中から複数のコルクを取り出した。

「ほら!こういうの!こういうのを拝借しに来たんだよ!」
「………」
サンジは俺の掌に乗せられたコルクを数秒見つめ、訝しげな表情で「…何に使うんだこんなもん…」と言った。

「い、色々だよ。武器になったりするんだよこういうのが」
「コルクが?」
「コルクが!」
要領を得ないサンジに強い口調で言い張ると、途端に興味を失ったように「あっそ」とだけ返された。
些細な、こんな一瞬で、俺はまた傷つく。
そんな冷めた態度取らないでくれよって、縋りそうになるのを堪えた。

「…じゃあ、用が済んだので、俺はこれで」
コルクをポケットにしまい直して、サンジと目を合わせないまま倉庫を後にした。
本当は、用は十分の一も済んでないし(戦利品がコルク数個だけなんてそんな馬鹿みたいな話があってたまるか)、何か一言くらいサンジに言い返してやりたかったが、じゃあ何と言ってやれば俺の心は晴れるのか、自分でも分からない。
熱くなるな。いちいち傷つくな。自分に言い聞かせて硬く目を閉じた。

「おい長っ鼻」
開いたままの倉庫のドアを通り越した瞬間に、サンジが俺を呼び止めた。
振り向くと薄暗いその空間の中で、サンジは外光に背を向けたまま俯いていた。

「俺にとっちゃ初対面でしかねえお前は、どうやら本当に昔からの仲間だったらしい事は分かった。ルフィの野郎も毎朝同じ事聞いてきやがってしつけえし、ナミさんにも何回か「早く思い出せ」って言われてる。チョッパーはマジなトーンで「いつ記憶が戻るのか調べたい、内診させてほしい」って言ってくるし、ムカつく事にクソマリモには「アホコックのアホさは伊達じゃねえな」って笑われた。お前に分かるか?この屈辱が」

サンジはそこまで一気に捲し立てると、一呼吸置いてから煙草の火を点けた。暗い部屋の中、煙がやんわりと浮かびほどけていった。

「俺以外は全員お前を知ってる。疎外感を感じるったらねえよ。挙句に口を揃えて「早く思い出せ」って言ってきやがる。忘れてるっていう自覚がそもそもねえ、この俺にだ」

サンジが煙をゆっくりと吐いてから、こちらを振り返った。

「俺の今の心情が分かるか?」
「…」
「答えは、今世紀最大に胸糞が悪い」

物騒な台詞とともにサンジがこちらへ視線を向ける。…凶悪な顔で俺を睨んでいらっしゃる。
まさかとは思うけど、その苛立ちを解消する為に俺にサンドバッグになれ、なんて事は、さすがに、ない、よな…多分。
…冷や汗がたらりと背中を伝った。

「お、俺は、なんも…言ってねえんです、けども…?」
「そう、腑に落ちねえのはテメエだクソっ鼻」
サンジが腕を伸ばし、煙草の切っ先を真っ直ぐ俺に向けた。

「他の奴らが思い出せ思い出せ言ってくるのに、忘れられてるテメエ自身が全くそれを要求してこねえ。最初のうちは本当に、お前が今回の事を特に気にしてねえからだと思ってた。でも、だったら何でテメエはあの時泣いたんだ」
「………」
「何も聞くなと言ったな。だから聞かねえ。その代わり俺は一つ仮説を立てた。クソみてえに馬鹿げた仮説だが、今のところこの仮説をキッパリ否定できる要因がねえ」
「…仮説、って…」
「今からテメエに話すから、確固たる証拠をもってキッパリ否定しろ。いいな」

おかしな前置きを並べてから、サンジはその「仮説」とやらについて、語り始めた。

「俺が今朝パンを大量にテーブルに並べてたのは覚えてるな」
「…?おお」
「パンを大量に作ったって事は、小麦粉が大量になくなるって事だ。ここまでは分かるな」
「…?それが一体…」
「分かんのか分かんねえのか返事しろ!」
「分かる、分かります、分かりまくります!」
「よし。使いかけの小麦粉が底をついたから、ストックがまだあった筈だと思って俺は昼飯の前にここに来た。ストックはきちんとあった。だがその袋に妙なメモが貼ってある。身に覚えがねえが、そのメモに書かれてる字は確かに俺の字だった」
「…」
「俺が書いた筈なのに全く覚えてねえ。一体なんだこの気味の悪さは。どうにも思い出せそうにねえから、俺は諦めて他にストックがなかったか倉庫の中をくまなく探した。そしたら他にも身に覚えのねえ俺の走り書きが、次から次へと出てきやがる」

薄暗い部屋の中で淡々と語るその様は、まるで怪談話のようだ。俺は思わずゴクと喉を鳴らした。
続きを聞くのが怖い。でも、とても気になる。

「卵、薄力粉、砂糖、はちみつ、フルーツの瓶詰めも…大層なケーキが作れそうな材料だよな。それにとっておきの日に使おうと思ってたベーコンやハムにまで。全部俺の字で、全く同じ事が書いてある」
「…なんて書いてあったんだよ」

サンジは俺の問いに答える代わりに、煙草の煙をゆっくり吐き出してからある物を俺に差し出した。
俺は両手でそれを受け取る。まだ栓の抜かれていない新品のワインボトルだった。

「シャトー・ラフィット・ロートシルト。5大シャトーの中でも最高峰のワインだ」
「シャトーラット…?」
「それ一本で15万ベリーする」
値段を聞いて、途端に手の中のワインボトルが重みを増した気がした。万が一落としたりしないよう俺はしっかりとボトルを握り直した。

「そのワインはな、おいそれと出してやる事が出来ねえ代物だ。どの店でも置いてる訳じゃねえし、例え置いてあってもそう易々と買えるような値段でもねえ」
「ふーん…で…これが、何だよ?」
「裏にメモが貼ってあんだろ。俺の字で」
サンジに言われ、俺はくるりとワインボトルを半回転させた。そこにはセロテープで雑に止められた、走り書きのようなメモが貼り付けてあった。

…そして俺は、言葉を失う。

「とびっきりの大切な夜に、愛しのナミさんと乾杯する為に買ったってんなら分かる。でも俺はその日付に何の感慨もねえし、その名前を書いた記憶も微塵もねえ」
「………」
「おかしいよな?笑えるぜ、この倉庫の中の食材半分くらいに同じメモが貼ってある。念の入れようが半端じゃねえ。よっぽど大事なことなんだろうな、身に覚えがねえけどよ」
「………」

視界の真ん中でサンジの書いたメモが揺れる。
目頭が熱くなっていくので、唇を思い切り噛み締めて堪えた。

ワインボトルの裏側には「4/1、ウソップ用」と、乱暴に、でもはっきりと書かれていた。

「手の込んだ料理とクソでかいケーキを振る舞う気だったんだろうな。で、その後にそのワインを開けて、お前と乾杯するつもりだったんだ、俺は」
サンジがまた、ゆっくりと煙を吐く。

「四月一日は、お前の誕生日か?」
サンジの問いに、俺は暫くしてから頷いた。すぐに反応できなかったのは、目頭にたまった涙を引っ込めるのに悪戦苦闘していたからだ。

「…こっからが、俺の仮説だけど」
前置きをしてから、サンジは言う。

「俺とお前は…特別な関係だったのか?」



なあ。
お前がこんなに、思い出の欠片を残していってしまうから、こいつ、勘づいちゃったじゃねえか。どうすんだよ。
生憎俺は今にも泣きそうだから、誤魔化せそうにねえぞ。

なあサンジ。今すぐ会いたいよ。
滲む視界の先にいるのが、どうしてお前じゃないんだろう。






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