クズどもに捧ぐバラッド






 窓の向こうがぼんやり明るくなってきて、始発が走る電車の音も遠くで聞こえ始めて、いい加減臭いからお風呂借りるねってシャワーを浴びて、寝巻きを借りて、缶チューハイを一本飲んで、タバコを吸って、歯を磨いて、寝る前に二、三曲弾き語って、そういやライン交換しようよってIDを送って、クッションとバスタオルとブランケットで作った即席の布団を床に敷いてもらって、すぐ隣のベッドから聞こえてくる寝息を聞きながらスマホをいじってても、やっぱりずっとダメだった。ずっと消えてくれなかった。
 練習途中の歌の弾き語り動画を探した。右手で画面を空中に固定しながら、左手で幻のフレットを握る。C#m7から始まるサビを、声を出さず口パクで歌う。

 おみクンが好きだ。好きだな、どうしよう好きになっちゃった。
 いやだな。いやだなと思いながらコードを抑える指は不安定で、きっといま音を鳴らしたらものすごくヘタクソなんだろう。
 俺はバカだ、どうして全部話しちゃったんだ。優しくされたら縋っちゃう自分を知ってるのに。それでこの人は、絶対優しく聞いてくれるって分かってたのに。
 久しぶりに始まりから終わりまで全部なぞった最低最悪の思い出は、おみクンにどんな風に届いただろう。俺のことを内心見損なって、引いていたかもしれない。いや実際はそんな感想すら湧かなくて、心底どうでもいいと思っていたかもしれない。
 好きでもなんでもないお客さんを相手に相槌を打って、適当な隙間に優しい言葉をかけてやる。やったじゃん俺っち超ラッキーだってタダで本物のホストに接客してもらっちゃった。…ごめんね、タダ働きさせちゃったね。
 一番大好きなバンドに、恋の歌があんまりなくて良かった。恋愛ソングはきっと当分歌えない。歌いながらたまに、泣いちゃうかもしれないから。
 明日は起きたら人通りの多そうな場所に繰り出して、やたら明るい歌ばっかり歌おう。弾き語り動画を途中で停止して、登録してるゲーム実況のチャンネルを開く。
 好きな気持ちがちょっとでいてくれるうちはいい。だけどちょっとじゃなくなっちゃったその時は出ていかなくちゃいけない。出ていく時は、うまいこと黙って行かないとな。もうすぐやってくるだろう未来のシミュレーションをして、俺は既に観たことある実況動画ばっかりを何時間も観続けた。

 昼ごろ、誰かと話しているおみクンの声がして目を覚ました。ぼんやり薄目を開けると台所の方、点いてないタバコを指に挟んでぶら下げたままのおみクンが、スマホを耳に充てていた。
「……わかりました、それじゃ…はい」
通話が終わったのか、耳からスマホを離してひと息つく。憂鬱そうな、緊張しているような、まるで面接に行く前みたいな表情だった。
 じっと見てたら数秒後、起きてる俺に気付いて困ったようにおみクンは笑った。
「こら、いつから盗み聞きしてたんだ」
「……わかりましたのとこから」
「嘘つけ。本当のこと言わないと足の裏くすぐるぞ」
意地悪な笑顔に笑い返して「なんでもお見通しで怖〜」って、言ってあげた。嘘と方便ばっかりで生きてきたから、こんなふうに、ホントに本当のことを言った時に信じてもらえない。オオカミ少年の気持ちがいま世界で一番よくわかるのは、きっと俺だ。

「俺、食べたら出るから」
起きて一回目のご飯を食べながらおみクンが言った。テーブルの上に並んだお手製の味噌汁と肉野菜炒めは、やっぱり文句のつけようがないほど美味しい。「簡単でごめんな」って枕詞がついた野菜炒めの豚肉は、いちいちプリプリでご飯がすすむ。
「そうなんだ、ちょっと早いね?同伴ッスか?」
「…うん」
やたら暗い顔で俯く。よっぽど会いたくないお客さんなのかな。仕事だから選べないもんね。ホストはやっぱり大変だ。
「この世の闇ッスね…」
ボソッと呟いたら、おみクンが八の字に眉を垂らして笑った。
「そのフレーズ、俺結構好きだな」
「ホント?じゃあ作っちゃおっかな、この世の闇ってタイトルの歌」
「あはは」
笑う元気があるから、大丈夫なのかな。どうなんだろうわからない。聞かれたくないことは質問したくないから、味噌汁を啜りながらおみクンの様子をこっそり伺う。
「たいちの今日の予定は?」
「俺?俺はねー、ちょっくら稼いでくるッスよ」
「路上?」
「うん。大金持って帰ってくるから楽しみにしてて」
「はは、わかった」
味噌汁を飲み終えてもやっぱりわからない。わからないまま、結局ごはんもおかずも全部綺麗になくなってしまった。

 おみクンの出発と合わせて俺も部屋を出た。手を振って別れて、一日半ぶりの外の空気を目一杯吸い込む。コンビニでタバコと炭酸を買ってから都合の良い場所を探した。
 夕方前の時間帯はあんまり打率が良くないけど、暗記途中の歌を練習するのにもってこいだ。五時のチャイムが鳴るまでを一つの目標にして、適当な公園のベンチで俺は一人アコギを鳴らした。
 せめて万札は持って帰ってあげたいとこだ。美味しいご飯二回も食べさしてもらったし、タダ働きもさせちゃったし。この歌の練習が終わったら万人ウケしそうな曲もいくつか見繕っておこう。財布の紐が緩いお客さんに、どうか沢山会えますように。

 二時間くらい経っただろうか。そうやって練習していたら、コード譜を表示してた画面が急にラインの呼び出し画面に変わった。まだ交換してホヤホヤの、それはおみクンからの着信だった。
 通話ボタンをタップしてスピーカーモードに切り替える。練習をやめたくなくて、太ももの上に置いたまま「もしもーし」と言った。意識の半分はギターに残して、覚えたてのコード進行を繰り返す。
『あー…たいち。俺だけど』
スマホ越しのおみクンの声は、なんだかちょっとだけ硬い感じだ。通話が苦手なタイプなのかな。
「うん、どうしたんスか俺クン」
『…あー…はは。…いま何してる?』
「いまねー、イケメンのリーマンさんとストゼロ飲んでる」
適当に嘘八百を吐いたら、スマホからあははって笑い声がした。あのさあ。笑ってないで探りの一つでも入れてほしいんスけど。
『…たいちさ』
「うん?なに?今日は家帰れないよーって?」
『いや…あー、そういうことじゃないんだ』
やけに歯切れが悪い。本題がなかなか見えてこないからきっと言いにくいことなんだろうな。こういう時はこっちから当てにいってあげないと。
「俺のことは気にしなくていーッスよ。どこでも寝れるし」
『…うん、そうか』
「実は彼女サンいたとか?なんかバレちゃった?」
『いや、違うよ。…あのさ、たいちさ』
「うん、なに言われても大丈夫ッスよ。なんでも言っておみクン」
『……金を、もらってくれないかな。ちょっと困ってて』
「…金?」
どういう意味か全然わからなかった。ない頭をとりあえず全力で回転させてみる。え、なんだ?運び屋とか?頭にヤの付くあっち系?それとも特殊詐欺とか?あ、わかった受け子の最中?お巡りさんにバレちゃった?
「…いま誰かに追われてるってこと?」
恐る恐る聞いたらまた笑われた。結構本気で当てにいったのに。
『…ストゼロ飲み終わったらでいいから、会えないかな』
「いいけど…えっと、おみクンどこにいるんスか」
『家に戻ってる。冷蔵庫の中なに入れてたかなと思って』
「…えぇ…?」
変だ。だって同伴中なんじゃないの?そろそろお客さんと一緒にお店に向かわなきゃいけない時間帯だろうに。なんで家に戻ったの?それも理由が冷蔵庫の中って。
「…ホントに同伴だったの?」
『……ちょっとさ、今から屋上行ってみようかな。立ち入り禁止なんだけどな、ここに入居した時から実は気になってたんだ』
「おみクン?」
『たいちさ、金が欲しかったらでいいよ。忙しかったら無理しないで』
「ねえおみクンって」
『邪魔して悪かった、もし会えたらまた後で』
そう言って通話はあっけなく切れた。暗くなった画面と無言のまま見つめ合う。しばらくしてから背中にヒンヤリしたものが走って、喉が鳴った。
 …なにいまの。絶対やばい。絶対そうじゃん、やばいやつじゃん絶対。
 慌てて立ち上がり、ギターをしまってケースを背負った。ここからおみクンの部屋があるマンションまで、どんなに急いでも二十分くらいはかかってしまう。クソ、こんなことならおみクンと一緒に出発しなきゃ良かった、部屋でダラダラしておけば良かった。俺の馬鹿、急げ、走れ、馬鹿だ、もっと速く走れ、馬鹿野郎、なんであの時「笑う元気があるから大丈夫」って思ったんだ。知ってるじゃん俺。ずっと前から知ってたじゃんか。
 ボロボロな人ほど笑うんだ。もう無理だよって時にこそ、人は、笑うんだ。

 おみクンの部屋があるマンションに到着した頃、既に俺は全身で息をしていた。こんなに長い距離を全力疾走したのはいつぶりだろう。ギターが重い。膝に手をついて必死で呼吸を整えていたら、頭上からやけに平べったい「おーい」という声がした。
 見上げると建物の一番上、屋上の柵に寄りかかって俺を見下ろすおみクンがいた。
「はーっ…もー…おみクン大丈夫!?」
叫んでも、ひらひらと手を振ってくるだけ。一体なんだって言うんだ、メチャクチャ心配したじゃないか。
「…はー…今から行くからね!そこいてよ!」
おみクンが二回頷いたのを確認してエレベーターに乗る。真っ直ぐ上へと運ばれながら、俺はやっと肩の力を抜いて息を吐いた。
「焦るじゃんマジでさぁ…」
 良かった。生きてた。…もしかしたらって思っちゃった。

 最上階に着く。屋上へ続く出入り扉はそもそもなかった。幅1メートルほどの通路の一番奥には清掃道具類がいくつか立て掛けられていて、通路左手側に鍵のかかった扉と、右手側には俺の胸と同じ高さの塀が続いていた。その塀の向こうが屋上だ。
 ギターを先に塀の向こう側へ下ろして、それから続けて自分も乗り上げる。降り立ったその場所は四方の柵以外なんにもない、ひどく殺風景な場所だった。
「…来てくれたんだ。ありがとう」
おみクンが柵に背中を預けて緩く笑ってる。足元には茶色い紙袋がひとつだけ置かれてる。俺を見てる筈なのに、目が合ってる気が全然しない。…ねえ、どこを見てるの。なにを見てるの。おみクン。

「これさ、もらってくれると助かる。使い道思いつかなくて」
紙袋を指差して「はは」って短く笑う。やけに乾いた声は小さな風に煽られて、簡単にどこかへ飛んでいってしまう。
「……おみクン?」
「車二台くらい買えるんじゃないかな。中古だったらランボルギーニもいけるかもしれない」
「おみクン」
「あー…どうだろう、ちょっと無理か。でも何年かは遊んで暮らせると思う」
思わず駆け寄った。俺の声が届いてない。目が、全然合わない。
「ねえ、おみクン」
「……間違えたなあ、俺…」
怖くて手を取った。あんまり冷たい温度に余計怖くなった。
「馬鹿だなあ。何年も気づけなかった」
「間違えてない」
「はは、そうだな、もう間違えない。大丈夫」
「おみクンは馬鹿じゃない」
「たいち、もし腹減ってたらさ、冷蔵庫の中に色々作って入れておいたから食べて。友達とか呼んでもいいし」
「おみクン俺のこと見て」
両方の手を掴んで揺さぶったら、おみクンはゆっくり目を閉じて俯いた。昨夜握り返してくれた手が今はどうして。まるで石みたいだった。
「…もういいからって。もう忘れてくれって、言われたんだ」

 ああ、行かせなきゃ良かった。意地でもおみクンにしがみついて、俺っちのこと置いてったら泣いちゃうよとかなんとか言って、困らせてでもいいから止めればよかった。
 一人で行かせちゃった。俺は大馬鹿野郎だ。

「何も受け取ってもらえてなかったんだ。…笑っちゃうだろ」









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