クズどもに捧ぐバラッド






 人間のクズだと思う。
 俺の名前はななおたいち。太いに一と書いて「太一」。だけど、親がつけてくれたその名前を体現できた試しはない。例えば誰かに「クズってどんな奴?」って聞かれたら胸を張って「俺みたいな奴のこと」って答えられるくらい、つまり俺は本当に、人間のクズだ。

 三週間くらい同棲していたしょーチャンに、泣きながら出て行けと言われた。

 しょーチャンは服の袖口で目元を何度も拭いながら、タンスの中にある俺の服と下着を引っ張り出した。一つずつ無造作に手渡されて、俺は受け取る度、それらを無言でリュックの中に詰めていく。
「…早く出てって。もう、二度とそのツラ見せんな」
「……ごめんね」
「思ってないのに言わなくていい。ムカつく」
「思ってるよ」
「うるせえよ!聞き飽きたよ太一のごめんねは!」
声の大きさと比例して、しょーチャンのパーカーの袖口もどんどん濡れる。
 思ってるよ。ホントに思ってるんだ。治らない馬鹿でごめんねって、本当に…ねえ、しょーチャン。心の底から思ってるよ。

 しょーチャンとは路上で出会った。歌ってたら立ち止まってくれて、髪の色いいねって声をかけられた。嬉しかったからしょーチャンのピアスのことも、かっこいいねって褒め返した。それが俺たちの始まりだ。
 一時間くらい喋って、その後近くの立ち飲み屋に移動して、更にいろんなことを話した。
 しょーチャンは出会った日から泣き上戸だった。一人が寂しいとか周りにセクシャルのこと内緒にしてるから辛いとか、メソメソしながら全部教えてくれた。
 肩をさすって、なんか可愛いなと思ってほっぺにチューした。俺バイだよだから何でも言っていいよって言ったら、涙目のままで俺を家に、呼んでくれた。
 行くところがなかったんだ。だから二つ返事で頷いた。会ったその日に一回ヤッて、次の日もその次の日もしょーチャンの部屋、俺はまるで寄生虫みたいに当たり前に住み着いた。
 しょーチャンはホントに健気だ。なんにも言ってないのにお揃いのピアスをAmazonで買ってプレゼントしてくれたり、食べ物なにが好き?って聞いてくれて、答えたら次の日すぐそれを作ったりしてくれた。
 尽くすのが好きなんだろう。だからいっぱい尽くされた。グズグズに甘やかされた。名前と歳しか分からない俺のことを、これ以上ないくらい可愛がってくれた。後ろの準備もそういえば俺、しょーチャンと付き合ってる間は一回も自分でしなかったかもしれない。前戯も丁寧で長かっし、してる時、決まって耳元で「だいすき」って言われたな。
 嬉しくてくすぐったくてだけど悲しくて、俺もだよって言えなくて、いつも「うん」とだけ返してた。
 
 しょーチャンが働いてる日は路上へ歌いに行った。好きなことや得意なことが自分には沢山あった筈なのに、どうしてだろう。いつの間にかボロボロのアコギしか、俺には残っていなかったのだ。
 なにかを思い出したくて歌ってるのか、それとも忘れたくて歌ってるのか。いつも分からない。分からないまま冷たいアスファルトの上で歌ってる。
 適当に選んだ歌で、適当に誰かが足を止める。音楽を介すと何でこんなに人はすぐ、心を開いてしまうんだろう。声をかけられて目線を上げたらいつも思うんだ。…寂しいよって、みんな顔に書いてある。

 ◯◯の、黒猫と絵描きが出てくる歌を歌ってた時だ。どんな夜だって行き交う人はみんな満身創痍だから、ピックを弦に強く当てた。負けるか俺はホーリーナイト。そうやって誰かに届けと願いながら歌えばさ…あーあ、ほらね。女の子が一人、立ち止まって泣いてくれた。やっぱり届いちゃう誰かが必ず何処かにいるんだ。
 いろいろ話して、頭を撫でて、一緒にタバコを吸って、その後その子とカラオケに行って、そのまま部屋で一回だけヤッた。
 しょーチャンにはすぐバレた。LINEの通知をオフに変えとくのを忘れてたからだ。待ち受け画面、女の子からの「次はホテルがいい」というメッセージ表示に、俺より先にしょーチャンが気付いた。

「…クズだよ、太一は」
「……そうだね」
「この後だってまたどっかで適当に歌って適当に誰か引っ掛けるんでしょ?俺のことなんかすぐ忘れてさぁ」
「忘れないよ、しょーチャンのこと」
「ふざけんなよ!そんなことないくらい言えば!?病気だよお前!!」
「……うん、そうだね」
しょーチャンは貯金箱みたいなブリキの灰皿を床に叩きつけて「出てけ」と叫んだ。吸わないしょーチャンがわざわざ俺の為に買ってくれた三百円の灰皿が、床に吸い殻を撒き散らした。
 そう言われたら、出て行くしかないんだ本当に。なんにも言い返すことができない。本当に、俺はこの上ないクズだから。
「…バイバイ」
ごめんねは言わない。相手になんにも背負わせない為にと俺が貫いてる、これはポリシーの一つだ。汚いものは全部、俺だけが背負って、出てく。

「……やべ、充電バッテリー忘れてきちゃった」
部屋を出て数十秒。最初に出た言葉がそれなんだもん。俺はホントのクズだ。



 たぶんホストであろうおみクンの部屋は、ずいぶん広くて綺麗だった。と言うか、物が極端に少ない。台所は調味料が沢山並んでるからきっと料理は好きなんだろう。でも生活感を感じたのはそこだけ。あとは本当に、何にもない。

「おみクンってさ」
「うん?」
ちっちゃい折りたたみ式テーブルの前に胡座をかいてたら、缶チューハイと水のペットボトルをぶら下げておみクンが向かいに座った。柔らかそうな素材のスーツから伸びる手首を、ぼんやり眺めた。
「枕営業とかはしてないの?」
ペットボトルの蓋を開けながら、おみクンは小さく笑った。
「はは、どうだろうな。…企業秘密にしとくか」
「わ〜なんかえっち上手そう、その返し」
俺も笑ってプルタブを起こす。チューハイは俺の一番好きな氷結シリーズだった。やった。
「…たいちは?」
「ん?」
「枕しながら放浪してるのか?」
優しそうなタレ目のくせに、口元は割と意地悪そうに歪む。…ふーん、こういう顔もするんだ。モテるだろうなこの人。
「え〜俺っちどんな風に見えてんスか〜やだな〜」
肩をすくめてはぐらかしたら、途端に真面目な目で見つめ返されたから、ちょっとだけ、ドキッとした。
「どんな風にも見えるし…正直、よくわからない」
「…どんな風にも?」
「うん。だから気になる。たいちのことが」
「……」
不思議な人だ、おみクン。冗談も言うし誤魔化すのも上手いのに、自分が問いを投げる時は絶対こっちの目を見てくる。
「おみクンが自分のこと話してくれたら、俺も話すよ」
優しい目と、意地悪に歪む口元。見よう見まねでおみクンとお揃いの返し方をしたらすぐに真似したことを気づかれてしまった。テーブルの向こうで首を傾けるおみクンは、ちょっと不敵に笑った。
「…じゃあ、なにか歌ってたいち」
「あは、いいよ。BGMあった方が話せそう?」
「うん。丸裸にされたい」
「あはは!言い方やらしいッスね〜さすがホスト」
ギターケースを開けて、五年くらい連れ添ってるヤイリを取り出す。胡座の上に乗っけて、弦に挟んでおいたピックをテーブルにそっと置いた。
「指弾き下手クソなんだよなー。でもお家の中だからストロークはやめとこっか」
チューナーは使わずに耳だけで適当にチューニングした。Cのコードを鳴らしながら、なにを歌おうかじっくり考える。
「…じゃ、歌うね」
いつもよりずっとテンポを落として、お客サン一人分へ贈れる緩さで、歌った。

「人間という仕事を
 与えられてどれくらいだ
 相応しいだけの給料
 もらった気は少しもしない」

 おみクンは俺の歌を聴きながら、テレビ横に置かれていた丸いガラスの灰皿をテーブルに置いて、タバコに火をつけた。静かに煙は揺れて、どこへも逃げられず部屋の中を不自由に泳いだ。

「悲しいんじゃなくて疲れただけ
 休みをください 誰に言うつもりだろう
 奪われたのはなんだ
 奪い取ったのはなんだ
 繰り返して少しずつ 忘れたんだろうか」

 この次のところが俺、好きなんだ。おみクンも好きだと思う。…聴いててね。きっとおみクンは「わかる」って、思うと思う。

「汚れちゃったのはどっちだ
 世界か 自分の方か
 いずれにせよその瞳は
 開けるべきなんだよ
 それが全て 気が狂うほど
 まともな日常」

 一番を歌い終わって、区切りが良かったからアウトロへ繋げる。終わりに向かいながら小さな声で終盤の歌詞を歌う。
「与えられてクビになって、どれくらいだ、何してんだ…」
…まるで、俺のことみたい。俺は一体あとどれくらいこんな生き方をして、自分をクズだと諦め続けるんだろう。
 最後の弦を弾いて軽く頭を下げる。おみクンはさっきと同じ、路上の時のようにまた拍手してくれた。
「…いい歌だな」
「ね。俺もこの歌好き」
「客に合わせて選曲してるのか?」
「んー?…うん、まあ、そういう時もあるかな、たぶん」
半分嘘だ。そういう時もあるんじゃなくて、大抵いつも、狙ってる。
「…そっか。すごい能力だな」
「そう?…ひひ。あざッス」
おみクンは灰皿のヘリに立てかけたタバコを人差し指で数回叩いて、振り落とされる灰を眺めながら、ゆっくり語った。
「…昔さ、俺、事故で親友を亡くしたんだ」

 おみクンが語る内容は、俺が想像していたよりずっとずっとヘビーだった。
 暴走族の頭だった二人は、敵のチームの奇襲に遭ってバイク事故を起こした。二人のうち助かったのはおみクンだけ。親友サンはその事故で死んでしまった。
 おみクンは親友サンのご両親に許してもらえなかった。死ぬまで消えない十字架を背負わされた。言われなくたって背負わなきゃいけないのに言われてしまって、だからおみクンの十字架は、二倍の重さになった。
 お葬式には、参列させてもらえなかった。後日改めて謝罪も兼ねてお焼香を上げに行ったら、玄関先で、泣きながら殴られた。
 おみクンは親友サンのご両親へ、慰謝料を毎月払う人生を送り続けている。心が砕けるような言葉が綴られた手紙を何通ももらった。許されるなんて思うなと、呪いみたいな電話も何度かあった。おみクンはひたすら謝った。生涯をかけて償っていきますと、頭を下げた。
 趣味だったカメラを辞めた。写真は全部捨てて、思い出を手放して、愛用していたカメラ関係の機材は全部友達に譲った。
 おみクンは自分の心を空っぽにして、効率よく稼げる夜職に就いた。笑顔と甘い言葉を振りまいて、本音や弱音を自分でも見失って、それでも毎月、とっくのとうに番号を覚えてしまった口座に、慰謝料を振り込み続ける。

「…そっか」
短い相槌を打って、ラッキーストライクの箱を揺する。ああ最悪だ、切れてる。さっき吸ったので最後だったんだ。
「…吸うか?俺の」
「ごめん、もらってもいいッスか」
「いいよ」
おみクンのメビウスを一本もらう。美味しい。メンソールを吸ったのは久々だ。
「…人に話したの、初めてかもしれない」
「…うん、そっか」
「ごめんな。タバコ不味くなるだろ」
「ううん、全然」
傷だらけの人だ。俺が思ってたよりずっと。傷だらけだねって言ったら「そんなことないよ」ってきっと笑って言えちゃうくらい、この人は傷だらけだ。
「…俺っちがさ、いつか歌で大金当ててあげるから」
「うん?」
「そしたら二人で一緒にランボルギーニ乗ろ」
「あはは、いいな」
「海までドライブするんだよ。いいでしょ」
「うん」
「おみクンは助手席でさ、好きなCDかけて鼻歌でも歌ってさ」
「…うん」
眉間に手を置いて、おみクンが俯く。…疲れたね。疲れ続ける毎日を送ってきたね。ボロボロだね。ボロボロで、ずっと許されなくて、許されないことだけを生きる意味にして、生きてきたね。

「…くーだらねえとーつーぶやいてー…」
囁くように歌った。爪弾いて、絵本のように歌詞をゆっくり追った。
「さめたツラーしてあるーくー…」
いつの日か輝くことも、月の明かりが自分を照らすことも、そんな日は一生来ないかもしれない。
 それでも俺にはもう、アコギと歌以外なんにもないからさ、おみクン。今だけはおみクンの為に歌うから、少しだけ背中預けてよ。
 お疲れ様。今日もお仕事頑張ったね。ゆっくり寝ようね。クズから贈る、これが今夜の子守唄だよ。
「…エレカシだ。懐かしいな」
「うん。これはねーサラリーマンにウケるんスよ。投げ銭よくしてもらったな」

 月も太陽も昇らない午前四時。
 おみクンが優しく笑うから続きをうまく歌えなくなって、歌詞忘れちゃったって、俺はこっそり、嘘をつくのだ。









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