chapter.2-4





 帰ってから、三人で昼ご飯を食べた。
 ほすけが買ってきた量におばあさんはよっぽど呆れたみたいで、ため息と一緒に「全部でいくら?」と項垂れながら聞いた。ほすけが正直に答えた金額に今度はもっと深いため息をついて、それから「ありえないわ、っとに」と、深く嘆いていた。
 三人お揃いのハンバーグ弁当は美味しかった。ほすけが端っこに入ってたポテトサラダを全部くれたから、それも嬉しくて全部食べた。「手作りのポテトサラダはいいけど付け合わせのやつはなんかダメなんだよね」と内緒を打ち明けるほすけは、やっぱりどこか、子どもみたいな顔をしていた。

 昼ごはんを食べ終えた後、ほすけが惣菜のポテトやからあげをつまみながら「音楽好き?」と、俺に聞いた。
「…えっと……」
自分から進んで音楽を聴いたことは、特にない。クラスで流行ってる歌をかろうじて知ってるくらいで、自分には好きな歌手や好きな歌がこれと言ってなかった。
 黙っていたら、ほすけが「ちょっとこっち来て」と俺を手招きした。
「かっこいーの結構あんだよ、うちの棚」
そう言って、テレビ横のラックの前にしゃがみ込む。もちろん全然知らない、見たこともないCDが、そこには数百枚くらいズラッと並んでいた。
「どーゆーの好き?」
「…えっと…わかんない、です」
「かっこいーの好き?」
「…うん…えっと、たぶん……」
相変わらず曖昧な返事しか返せない。だけどほすけはそれを全然気にする様子なく、いくつかのCDを棚から抜き取った。
「ちょっと聴いてみて、このへん」
水面みたいな模様が印刷されたディスクをコンポに入れて、ほすけが再生ボタンを押す。スピーカーからいくつかの楽器の音が響いて、それからしばらくした後、男の人の歌声が重なった。
「これはねー、ニルヴァーナってバンド」
「…ふうん…」
「知らない?」
「…うん」
ほすけは「そっか」とだけ言って、それから再生の隣のボタンを数回押した。
「で、これ俺が一番好きな曲」
「……」
英語で歌っているから、どんな内容なのか分からない。薄暗いメロディーの後静かになって、その後、たぶんサビなんだろうか、歌の雰囲気が急に激しくなった。
「スメルズライクティーンスピリットって歌」
「……へえ…」
昨日もそういえばほすけは、洋楽しか流れない番組をテレビで観ていた。英語の歌が好きなんだろうか。
 黙って、ほすけの横で棒立ちになりながら歌を聴く。好きとも、嫌いとも思わなかった。それがなんだか悔しい。
 ほすけはたぶん、仮に俺が「好きじゃない」と言ってもきっと怒らないだろう。俺の好みを純粋に知りたいと思ってくれている。だからこそ単純で簡単な質問をいつも俺に投げる。
 分からないと答えるくらいなら、好きじゃないと答えたいとさえ思った。「どっち?」と聞かれても、いつも、右か左かも答えられない。そういう自分がつまらなく思えて嫌だった。
「あとはねー」
ほすけが入っていたディスクを取り出して、また別の一枚をコンポに入れる。おばあさんは台所で洗い物をしながら、あんまり大きな音にするんじゃないよとほすけに言った。
「これも好き」
スピーカーから聞こえてきたのは、さっきよりもうちょっと柔らかい感じの歌だった。これも英語だ。わからない歌詞と、聴いたことのないメロディーが淡々と流れる。
「これはウィーザーってバンド」
「…うん」
「青盤がやっぱ一番だなー、昔超聴いてた」
「……」
「さっきのとこっちだったら、どっちのが好き?」
「……えっと…」
どうだろう。正直、どっちも初めて聴いたし全然馴染みのない音楽だったから、やっぱり、俺は分からない。首を少しだけひねって困っていたら、ほすけはまた再生ボタンの隣を数回押して、ディスプレイに「track:07」と表示させた。
「これこのアルバムん中で俺が一番好きなやつ」
「……」
とにかく、黙って聴いた。聴くことしかできないから。押し黙ってスピーカーから流れる歌をとにかく聴く。歌はたぶんサビに入って、なんていうか、その時ちょっとそのメロディーが、自分の中のどこかにカチャリとハマる感覚がした。
「…これ、覚えやすい。…ですね」
「でしょ?いーよね」
「…うん」
「好き?」
好きと好きじゃないが、自分の感情のはずなのに分からない。どうしてこんなに分からないんだろう。焦れったくなった。ほすけが知りたい答えはもっとずっと、俺が考えているより簡単なことのはずなのに。
「……わかんない…」
絶対に、嘘だけはどうしても吐きたくなくて、白状した。するとほすけはまたさっきと同じように「そっかー」とだけ言って、スピーカーから流れる音楽を味わうようにゆっくり目を閉じて、足の指で静かにリズムを取った。
「じゃーたつひこの好きそーな音楽探しとくわ」
「……えっと、うん…」
「好きなの見つかったら、そん時は一緒に音楽の話しよ」
「……」
ほすけは、求めてないんだ。別に。
 好きも嫌いも求めてないし、分からないという答えが嫌なわけでもない。ただ、聞いてくる。純粋な気持ちで俺に聞いてみているだけなんだ。
 ちょっとだけ、体の力を抜いた。ほすけを真似して目を瞑ってみる。さっき聴いたのと同じサビのメロディーがやって来て、その時にまた何かがカチャリとハマる感じがした。
「…あの、なんか」
「んー?」
うまく言えるか?今、自分が思ったことを。伝えられるか分からない。伝わらないかもしれない。伝わらなくて、その挙句に変な顔をされるかもしれない。
 だけど、でも、と思った。ほすけは俺の答えの内容をきっと、なんだっていいと思ってる。なんだって良くて、それで、嘘をつかないで、素直なそのままを伝えることが一番、ほすけは嬉しいはずだ。…そんな気がどうしてか、したんだ。確信にも近い強さで思った。
「…カチャッて、なる感じがする」
「うん?」
ほすけが目を開けてこちらを向く。灰色がかった目は、なんだかやっぱり雨雲みたいな色だ。
「…えっと、この歌の、あの…サビ?が」
「うん」
「……聴いてるとなんか…カチャッて…あー、違う…えっと…ブロックがこう、ハマる時みたいな…」
「……」
「あ、わかんない…やっぱり、あの…ごめんなさい」
途中で着地点を見失って、慌てて自分の発言を打ち消した。だけど隣でほすけは、どうしてかちょっと驚いた顔をして「すご」と、それだけ言った。
「超分かるわ」
「……ほんと?」
ほすけが何度も頷く。感心したような顔でまじまじと見てくるから、俺は段々恥ずかしくなった。
「えー、すごい。今度誰かにこれ聴いてもらう時は俺もそーやって言お」
ほすけはまた気持ち良さそうに目を瞑って、足の指で音の鳴らないリズムを刻んだ。
「……」
一歩後ろに下がって、涙で滲む視界を悟られないように俯いた。陽気に揺れるほすけの後頭部を、涙を止めたくて必死で、睨むように見つめた。
 ほすけと喋ってると変な感じになる。あんまりに楽で、それが逆に苦しくなる。
 こんなに楽でいいはずない。こんなに裸のままでいていいはずない。絶対にないんだ。だって俺は、そこに居るだけで迷惑になるような奴なんだから。だから極力そうならないよう縮こまってなきゃいけないんだ。顔色をうかがって、言わない方がいいことは言わないようにして、聞こえないフリと聞こえてるフリを上手く使いこなして、呼吸もできるだけ静かにして、端っこに寄って、小さくなって生きる。
 数えきれないくらい言われてきた。あの人にはもちろん、擁護施設の先生何人かにも、クラスの奴らにも、きっと他にもたくさんいるだろう。俺を、居るだけで邪魔だなぁと思う人は、俺が知らないとこで、知らないうちに、きっと腐るほどいる。「邪魔だよ」「迷惑だよ」「帰れよ」「帰ってくるな」「消えろ」「どっか行って」…。俺にそんな言葉を今までかけてきた人たちは、これから先かけてくる人たちは、死ぬほどたくさんいる。知ってる。ちゃんと、俺は知ってる。
 …ねえ、なんで?
 なんでほすけは、そういうこと言わないの?
 本当は心の中で思ってるの?顔と態度に出ないだけなの?なんであの時ゴミ捨て場で声をかけてくれたの?どうしてお風呂に入れてくれたの?カップラーメンもったいないって思わなかったの?なんでランドセルの中身乾かしてくれたの?どうして箸が上手く使えないこと怒らないの?なんで靴を買ってくれたの?お金もったいないって思わなかったの?俺のこと邪魔だなって、ねえ、本当に思わなかったの?
「これはさー、セイイットエイントソーってタイトルで」
「……」
「違うって言って、とか、嘘って言って、みたいな意味」
「………」
「……いーよね。タイトルも」
俺がしゃくりあげるから、この人は途中でたぶん、俺が泣いてることに気づいてしまった。
 コンポを見つめたままこちらを振り向かない背中に、声を出さず何度も頷いた。手の甲で何度も目元を拭いながら、振り返らないでくれてありがとうって思いながら、俺はほすけに何度も頷いた。













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