魔法鏡
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『臣くんこんにちは。この前は久し振りに会えてとても嬉しかったです。本番中に何度も目が合うのでドキドキしてしまいました(笑)何度か合図を送ったけど、気付いてもらえたかな?また次の時も差し入れと一緒にお手紙を書きますね。臣くん忙しいから、きっとお返事はなかなか書けないだろうなって分かっている(つもり!(笑))ので…ちょっと寂しいけど、ちゃんと我慢するね(笑)
お手紙のお返事じゃなくても、ラインや電話での連絡もいつでも待ってます!そっちの方が嬉しいかも…。
気軽に連絡してね。また次に会えるのを楽しみにしています。いつもお疲れ様。大好きです。

from ゆゎ
◯◯◯-◯◯◯◯-◯◯◯◯
LIME @◯◯◯◯◯』

 臣クン宛に、この人からのファンレターが送られてくるようになってから数週間。手紙の最後には必ずその人の名前と電話番号、LIMEのIDが添えられている。
 もう覚えてしまった、継ぎ接ぎが特徴的なウサギのキャラクター。そのウサギが印字された紙袋の中に手作りのお菓子。それから水玉模様の可愛い封筒と便箋。右斜めに吊り上がったハイヒールみたいな形の文字。臣クンは頭をかきながら、困った顔で「うーん…」と漏らした。

「熱烈じゃん。臣、どのお客さんか特定できてんの?」
万チャンの問いに、臣クンが答える。
「…いや、それが分からないんだ。異邦人の時からちょくちょく見に来てくれてるみたいなんだが…」
「マドレーヌ…いっぱい入ってるっすね」
「待て兵頭、手をつけるな。…内容が少しエスカレートしてきてるな。このまま放っておいてもいいもんか…」
秋組のみんなで、その人からの差し入れと手紙を見る。ファンレターや手紙、手作りの差し入れは他にも来るけど、こういう内容の手紙はあんまり見かけない。相当熱烈な、これはファンレターじゃなくてラブレターだ。
「…臣クンのことがホントに大好きなんスね」
そうこぼすと、臣クンが隣に座る俺の顔を伺いながら眉をひそめた。
「目が合うとか、俺は覚えがないよ」
「うん。…でも多分この人の中ではそれがホントなんだ。きっと嬉しかったんだよ」
「……そうなのかな。正直、どうしていいのか分からない。…困るよ」
臣クンは言葉通り本当に困った顔をしている。嫌悪とか不快とかじゃなくて、ただどうして良いか分からなくて狼狽えている感じだ。
 手紙の差出人は、臣クンのこんな反応を見たらどう思うのだろう。逆上したり憤慨したりするのかな。それとも、ひたすら悲しくなるんだろうか。
 結局マドレーヌは、誰も手をつけないまま捨てられた。十座サンはゴミ箱の中に落ちたマドレーヌを最後まで名残惜しそうに目で追いかけていたけど、左京さんに「万が一ってことがあるだろ」と諭され、仕方なく諦めたようだった。
 暗いゴミ箱の底に沈んだマドレーヌのことを考えると、自分の心まで暗くなる。臣クンを想って作って、きっと食べてもらえることを想像しながらラッピングした。その気持ちが俺には分かる気がするから、凄く身近に感じられてしまうから、自分でもビックリするくらい胸が痛んだ。
 手紙の最後に書かれた「大好きです」が、瞼を閉じるとくっきり浮かぶ。
 …ゆわサン。マドレーヌは捨てられちゃったけど、手紙はさ、臣クンちゃんと全部読んでたよ。顔も知らない手紙の主へ、俺はそっと心の中でそう言った。

 それから数日後。
 その日は久し振りに臣クンと俺の二人で組んでストリートアクトをすることになり、一緒に街へ繰り出した。
 臣クンとやるのは多分数ヶ月ぶりだ。どんな内容にしようかと街を歩きながら意見を出し合う時間も楽しくて、心が躍る。
「俺っちがオバケって設定は?臣クンが俺っち見えないのをいい事に、メッチャちょっかい出すみたいな!」
「はは、面白そうだな。どんなちょっかい出すんだ?」
「後ろから肩チョンチョンってしたり」
「うん」
「背中ツーってやったり」
「あはは、かわいい」
「で、最後は俺っちが臣クンの首に手をかけて「気に入った…連れて行く」って囁いてジ・エンドッス!」
「…途端に怖いな…」
そんな風に話しながらこれからやるストリートアクトの内容をあらかた決めて、俺たちは人目につきやすい場所に到着した。今日は天鵞絨商店街の少し開けた場所、その一角だ。
 二人で一緒に深呼吸して、役に入る。芝居を始めるとすぐに何人かの人が立ち止まった。俺たちのことを知っている人もチラホラいたみたいで、少し遠くから「伏見くんと七尾くんだ」「うそやだマジで」という会話も聞こえた。
 オバケ役に身を投じて臣クンの背後に立つ。後ろからちょっかいを出して、時たま前に回り込んで変顔をしてみせたりする。お客サン達はクスクス笑って、それに混じって小さな黄色い悲鳴も聞こえた。
 俺たちが一緒にいるところを見るのが大好きな人たちがいるって、俺は何となくだけど知っている。お客サンはいろんな見方で、いろんな種類の気持ちで俺たちを好きだと思ってくれてる。その一つ一つに寄り添いすぎないように、だけど全部を容認しながら振る舞う。それはだいぶ昔のミーティングで左京にぃから教えてもらったことだった。
「…なんだか肩が重いな…」
オバケの俺に気付かない臣クンが少し首を倒して自分の肩を揉む。俺は薄気味悪く笑って、臣クンの首に手をかけた。
「…」
臣クンが身震いする。臣クンの太い首を両手で掴んで、冷たい声でささやいた。
「…気に入った。お前を連れて行く」
お客サン達は一瞬シンとして、それから俺たちが頭を下げ「ありがとうございました」と声を揃えて言ったところで、慌てたように拍手をした。
 最前列で観てくれていた人が「怖かった〜!」とビックリしたように言って、その隣にいた人が「コメディーと思ってたのに!」と息を吐きながら笑った。上手くオバケの役を演じられてたかな。俺は嬉しくなって、頭を上げてから「ひひ」と臣クンを見上げ小さく笑った。笑い返してくれる臣クンにもっと嬉しくなる。俺の心はスキップしそうになった。
 その時だったんだ。針みたいな視線が自分に刺さっていることに気付いたのは。
 一瞬息ができなくなって、体が固まった。驚いた。その鋭さと冷たさは、今俺が演じたオバケなんかより何倍も、何十倍もすごかった。
 息が止まったまま、時間にしたらたった数秒だ。俺は視線を動かす。針の切っ先を向けられている方角へ顔を向ける。
 …本当にオバケかと思ったんだ。オバケ役を演じていたから本物がやって来ちゃったのかって、その時は本気で考えていた。
「………」
視線の先に、じっと俺を見つめる一人の女の人がいた。…もうこれは、直感って言う以外に説明ができない。その人が誰なのか、俺はその一瞬ですぐに分かったのだ。
 ゆわサンだ。絶対。間違いない。人混みの間から俺を、俺たちじゃなくて俺のことだけをじっと見つめている。瞬きもしないその目に捕まって、俺まで瞬きができなくなった。きっとこの時間だって一瞬だった筈だ。だけど、見つめ合ったその数秒は、俺にとって何分、何十分にも感じられた。
「……」
どうして俺は、ゆわサンだってすぐに分かったのか。視線が外れてからその理由にやっと気付いた。封筒と同じ水玉模様のシュシュ、それから継ぎ接ぎのウサギがプリントされた肩掛け鞄。どっちも考えて思い出すより先にフラッシュバックした。ゆわサンのトレードマークだ。きっと他でもない臣クンに気付いてもらう為に。自分のことを見つけてもらう為にだ。
 ストリートアクトはそのメンツも勿論、やるかやらないかさえ突発的に決まることが多い。「今日◯◯でストリートアクトします」って前もって劇団ブログに書くこともあるけどそんなの稀だ、事前告知ゼロで始めることが殆どだ。
 だから、分かってしまう。臣クンのストリートアクトを観る為に、臣クンに会う為にきっと毎日同じシュシュと鞄を身につけて、ゆわサンはこの場所に来る。
 見つけてほしいんだ。気付いてほしいんだ。その為ならどんな労力だってきっと、些細なことに違いない。
 やっと願いが叶ったその瞬間に、俺がいる。その瞬間に臣クンの誰より近くにいるのも、体に触れるのも、笑顔を交わし合うのも全部俺。自分じゃない。毎日積み上げた想いのその上に、自分じゃない誰かが当然のように笑ってて、平然とそこにいる。
「…太一?」
俺の顔を覗き込んできた臣クンに名前を呼ばれた。俺はハッとして、誤魔化すように慌てて笑った。
「…へへ。なんかオバケ役が新鮮で、ちょっとトリップしちゃったッス」
俺がそう言うと臣クンは安心したように笑って「はは。憑依されちまったか?」と言った。
 それから二人で一緒にフライヤーを配り始める。その時にはもうゆわサンの姿はどこにもなくて、俺はさっき刺された視線の針を体から抜き取れないまま、何人ものお客サン達にフライヤーを配り続けた。

『臣くんこんにちは。この前はストリートアクトお疲れ様。臣くんの演技とっても良かったよ。思わず肩を揉んであげたくなっちゃった!(笑)私で良かったらいつでもマッサージするので気軽に連絡してね。なんちゃって(笑)
日々の疲れが取れるように、今回は入浴剤とアロマを一緒に贈るね。使ってくれたら嬉しいです。変な子に懐かれたりまとわりつかれたり、きっとあるんだろうなぁ。心配です。
何かと気苦労が絶えないとは思うけれど、あんまり無理はしないでね。いつもお疲れ様。大好きです。

from ゆゎ
◯◯◯-◯◯◯◯-◯◯◯◯
LIME @◯◯◯◯◯』

「……あー…」
手紙の文面を読んだ万チャンが、頭をかきながらそんな声を漏らす。水玉の便箋と継ぎ接ぎのウサギが届く度にその中身を秋組全員でチェックするのが、いつの間にか当たり前になってしまった。
「…つか、なに?この「肩を揉んであげたくなっちゃった」って」
万チャンが尋ねると、臣クンは「さあ…」と、本当に見当もつかないのか困惑した様子で答えた。
「…この前の、ストリートアクトッス」
俺が代わりに答える。臣クンは数秒後に「ああ」と閃いてみせた。…忘れちゃってたのかな。いや、違う。臣クンの心にはきっとゆわサンの手紙の内容が全然、入っていかないんだ。
 俺が言えば思い出せるってことは、あの時のストリートアクトの記憶そのものを忘れてる訳じゃない。記憶はあるのに、ゆわサンの言ってることをそれと結び付けられない。ホントのホントに分かんないんだ。悪意も意図もなくて、ただ純粋に、この人の考えてることが臣クンはさっぱり分からない。
「俺っちと臣クンが一緒にストリートアクトして…その時はオバケに取り憑かれる臣クンっていう内容でやったんス。俺が臣クンのまわりウロチョロして、ちょっかい出して、纏わりついて」
「…じゃあなにか?ここに書いてある「変な子に懐かれたりまとわりつかれたり」ってのは、要は七尾のこと言ってるってことか?」
左京にぃがいつもより低い声で言った。俺は無言で頷く。十座サンが顔の周りにいっぱいはてなマークを浮かべて「は?」とこぼして、あーちゃんがポケットに手を突っ込んだまま、どこか冷めた目で手紙の文面を眺める。
 秋組みんなの反応が…どうしてだろう、俺はその時辛かった。
 みんなして見なくたっていいじゃん。だってゆわサンは臣クンに宛てて、臣クンただ一人に向けてこの手紙を書いたんじゃん。こんな、よってたかって、公開処刑みたいなことしなくたって、いいじゃん。
「…太一のことなのか…?」
信じられないといった顔で、臣クンが小さくこぼした。いつもは優しくて甘いその目元に、今は濃い影が差している。
「…変な子?太一が?…なんでそんなこと言うんだ、意味が分からない」
みるみる顔が歪んでいく臣クンに気付いて、万チャンが少し慌てながら「いや、つうかさ」と会話を本筋へ戻した。
「お前らのどっちか見てねえの?ストリートアクトだったら結構距離近かったんじゃね?」
臣クンは眉間にシワを寄せたまま首を横に振った。万チャンと左京にぃが今度は俺に視線を寄せる。俺は迷って、だけど臣クンと同じように首を横に振った。
「…特定できてんならこっちから動けんだけどな。分かんねえなら、対処のしようもねえか」
万チャンの言葉にすかさず臣クンが「でも」と異議を唱えた。
「放っておいたらエスカレートするかもしれない。太一のことをこんな風に言うなんて有り得ないだろ、おかしいだろ?俺たち喧嘩売られてるんじゃないのか?」
「ったく…すぐテメェは頭に血ぃのぼらせやがる…」
左京にぃがため息混じりにそう言ったけど、臣クンは言いながら段々腹が立ってきてしまったのか「だってこんなのどうかしてるでしょう」と、少し声を荒げて続けた。
 …苦しい。苦しくて、こんなの嫌だ。臣クンの服の袖を軽く引っ張って、自分の中に渦巻く感情をどうにもできないまま、俺は絞り出すように声を出した。
「…喧嘩売られてるとか、言わないで」
「…太一?」
「どうかしてるとか言わないで、臣クン」
「…」
ねえ、臣クンが好きなんだよ。この人はホントにホントに臣クンが好きなんだよ。
 俺のこと嫌だって思った筈だ。当たり前だそんなの、だってあんなにべたべた体に触ったんだもん。あんなに臣クンの笑顔を独り占めしてたんだもん。分かるよ、俺だって大好きな臣クンが俺以外の人にそうしてたら嫌で嫌でたまらない。なんでこっち向いてくれないのって、隣にいるその人なんなのって、思うよ。絶対絶対思うんだよ。
「…ごめん。ちょっと言葉が荒くなった」
「…ううん」
結局、今回も具体的な解決案は出てこなかった。再び封筒にしまわれた便箋も、そしてアロマと入浴剤も袋から取り出されることはこれから先一度だってない。臣クンに使われないまま、想いは届かないまま、ゴミになる。

「…ねえ臣クン。アロマとか入浴剤とかはさ、食べ物じゃないしさ、その…使っても良かったんじゃないッスか?」
その夜、電気を消した部屋の天井を見上げながら、ベッドの中でぼそりと臣クンに問いかけた。
「…うん、いや…そうかな。そうかもしれないけど」
「なんか変なもの入ってそうで怖い?」
ロフトベッドの柵の向こうから臣クンが、言葉を選びながらゆっくりと答えた。
「…いや…と言うより、太一のことを何であんな言葉で書いたのかって…その…嫌だなって、思って。…だから使う気になれなかった」
「…そっか」
臣クンがそう感じてくれるのは嬉しいし、ありがたいと思う。だけどそう思う自分の気持ちと同じだけ、じゃあゆわサンはどれだけ悲しいだろうって、どうしても考えてしまう。
「…太一は…」
「うん?」
「嫌じゃないのか?自分のことをあんな風に書かれて」
「…」
よく、分からない。どうなんだろう。これが例えば自分宛の手紙だったとして、その内容の中に「みっともない演技しないで」とか「他の劇団員に迷惑」とか、そんなことが書かれていたらきっと傷付くだろう。悲しくて辛くて、夜眠れなくなるかもしれない。
 だけど俺は、ゆわサンの手紙には嫌悪感を感じなかった。嫌だなって気持ちより「ごめんね」の気持ちが、止めどなく湧いてくる。
「…俺っちのオバケ役、全然まだまだだったのかもしれない」
「うん?」
「演技が下手過ぎて、観てるの耐えられなかったのかも」
そう言うと、柵の向こうから手が伸びてきて頭を優しく撫でられた。
「…本当におまえは。何でそうやって全部自分に課せるんだ」
臣クンの優しい声が胸に滲みて、滲みていく度に痛い。痛いと感じてしまう自分が嫌で、だから俺は臣クンの言葉に「へへ」と小さく笑い返すことしかできなかった。

 ある日のことだ。俺は談話室のソファーでお客サンからの公演アンケートの束を読んでいた。
 疲れが溜まっていたのか気付いたらそのまま寝てしまっていたらしい。よく覚えてないけど、どうやらその後に寝こけてしまった俺を臣クンが抱っこして、ベッドまで運んでくれてたみたいだった。
 それを知ったのは数日後、カズくんがインステで俺を抱える臣クンの写真をアップしているのを見た時だ。寝ている俺をお姫様抱っこしている臣クンが、カメラ目線で困ったように笑っている写真だ。「#力持ちおみみ」「#仲良し105」「#おつかれたいっちゃん」そんなタグが写真と一緒に添えられていた。
 それは誰にとっても日常茶飯事で、事件でも何でもないし日々の中に転がってる見慣れた一コマに過ぎない。だけどそれを見た瞬間、俺は冷や汗をかいた。
 ゆわサン。ゆわサンがこれを見たらどう思うだろう。
 もちろん俺をベッドまで運んでくれた臣クンにもカズくんにも悪気はない。俺だってゆわサンの存在を知る前だったら、この投稿を嬉しいとさえ感じていただろう。自分のアカウントから「カズくんいつの間に!」とか「恥ずかしいッス〜」とか「臣クンありがとう」とか、そんな返信をするくらいのことはしていたかもしれない。
 投稿された写真に沢山ついた「ええな!」の数にも内心慌てた。きっとゆわサンは、全部見ている。見ながらどんなことを思っただろう、泣きたくなってしまったんじゃないか。いや、泣いてるかもしれない。写真の中の寝ている俺を呪いながら、今、この瞬間にも、泣いているかもしれないんだ。
 そんな気持ちを抱えながら、その日は一日中一人でハラハラしていた。誰にも言わない。言えるわけない。言ったところで「太一が気にすることじゃないだろ」って返されるだけだ。それどころか逆に気遣われてしまうかもしれない。「怖いか?」って、俺が心配されてしまうかもしれないのだ。それで誰かがゆわサンに対して牽制とか忠告とか、そんな行動を取ってしまうのが嫌だった。

「そろそろ電気消そうか」
二人でベッドに上がって、臣クンが電気の紐に手を伸ばす。
「うん」
俺は枕元の充電コードをスマホに挿して頷いた。
「おやすみ太一」
「うん、おやすみ臣クン」
暗い部屋の中、眠気は一向に訪れなかった。臣クンの穏やかな寝息が聞こえてきたので俺はこっそりスマホを操作し始める。
 カズくんのインステを見返す。例の投稿に寄せられた「ええな!」はまた増えていて、ファンの人からのコメントもいくつか送られていた。
 「秋組仲良しですね!」「一成くんの激写シリーズ大好き〜」「他のみんなの仲良し写真も待ってます」どれもホントだったら嬉しいコメントだ。嬉しい筈なのに。
 その時ふと、自分のアカウントに通知が来ていることに気付いた。通知内容を確認する。知らないアカウントからメッセージが届いているみたいだ。
 メッセージを開いて、その内容に心臓が一瞬、ひび割れた氷のように亀裂を走らせた。俺が予感していたことが、どうしよう。現実になってしまった。

『あの、あなたがどういうつもりかは知らないんですけど、あまり臣くんに負担をかけるのはやめてもらえませんか?彼も毎日大変だし疲れていると思うので。一緒に生活してれば分かりますよね。そういうの分からないタイプですか?だとしたらもうちょっと自分から理解する努力をしてほしいです。臣くんは優しいので自分からは迷惑とかは言わないと思いますが。見ていてちょっと目に余るので。それでは。』

 アカウント名は違うけれど、きっとゆわサンだと思った。俺への苛立ちを隠しもしないその文面を読んで、この人の行き場のない悔しさを強く感じた。持っていく場所がないんだ、だけど自分の中に留めておくのはもう苦しくて、だからこうやって誰かに投げる。
 …俺は、知ってる。悔しいとか悲しいとか苦しいとか、そういう感情はどんどん膨らんで形を変えて、簡単に自分自身を乗っ取ってしまうことを。…知ってるよ、だって俺もそうだったんだ。俺も、そうだったんだよ。
 幸チャンの作った衣装を裂いたことをまた思い出した。俺は、頭がおかしかった。絶対忘れない。俺の中には悪魔がいて、こびり付くように住み着いていて、いつだって俺を乗っ取ろうと隙を窺っている。そのことを俺は忘れちゃいけない。
 メッセージの返信を、文面に悩みながら俺はした。一人のお客さん相手に個別で返信をするなんてきっと正しくないんだろう。わかってる、だけど俺はそれでも送信ボタンをタップした。
 反論する訳ではなく、気持ちが分かると伝えることも避けて。どうしたらこの人の悔しさが少しでも和らぐだろう。それだけを考えて、俺は返信メッセージを送った。

『メッセージありがとうございます。これからは気をつけたいと思います。伝えてくれてありがとうございました。』

悩んだ挙句打ち込んだ文章はずいぶん短くなってしまった。だって余計な言葉を付け足してこれ以上嫌な気持ちにさせたくない。俺が何を言ったって、きっと腹が立つだろう。自分が欲しくて仕方ないものを平然と手に入れてる。立ちたいその場所に何食わぬ顔で立っている。その誰かの背中を見つめるしかない時の気持ちを、どうしようもない気持ちを、だって俺は、知ってるから。
 数分後、返信がすぐに返ってきた。俺は緊張しながらそのメッセージも開く。

『思うだけじゃなくて実行に移してほしいのですが。具体的な話が見えてきません。ありがとうではなくまずは謝罪からではないですか?』

 どうしよう、どうしたら良いんだろう。俺なんかの言葉ではこの人が今抱えている感情を和らげることはできないのかもしれない。慌てながら、俺はだけどまた言葉をじっくり選んで返事を返した。

『すみませんでした。これからはもう少し相手の気持ちを考えられるようになりたいと思います。』

 送信後、さっきよりもっと早く返信が返ってくる。

『らちがあかないですね(笑)こちらの言っていることを正しく理解されてないように思いますが。この前のストリートアクトからもあなたの理解力の低さなどは感じましたが。』

『ごめんなさい。しっかり考えて、理解していきたいと思います。』

『臣くんがかわいそうです。あなたといたら疲れてしまうんじゃないですか?距離をとってあげてほしいです。』

『すみません。そういう部分もあるかもしれないです。考えてみます。』

『甘えてますよね?臣くん優しいから甘えたくなる気持ちは分かりますが。見ていて恥ずかしいので、改善してください。』

『すみませんでした。そうかもしれないです。改善しようと思います。』

『続くようならあなたには退団してほしいとも思いますが。退団の予定とかないんですか?』

「…」
 頭を下げることもごめんなさいと繰り返すことも、いくらだってする。それでゆわサンの気が済むなら。だけど嘘は吐きたくなかった。その場しのぎの嘘を吐かれたと知ったら、ゆわサンはきっと傷付くだろう。傷を付けたくない。
 だってゆわサンはきっともう、これ以上ないくらい、ボロボロだ。

『退団はしないです。これからも退団の予定はないです。』

その言葉の後、数分間ゆわサンからの返信はなかった。液晶画面の中の沈黙に俺は息を呑む。それから更に五分くらい後だろうか、ようやくゆわサンからの返信が来た。

『話が通じないようですね(笑)もういいです。』

 それきりだった。いくら待ってももうゆわサンからのメッセージは来なくて、俺も何度か途中まで文章を打ったけど「もういい」の字面を見て、送信ボタンをタップすることをやめた。
 間違ったかもしれない。もっといい言葉があったかもしれない。心臓をハラハラさせながら、俺は真っ暗な視界をただ見つめ、グルグルといつまでも同じことを考えていた。
 結局、夜が明けるまで考えても何にも思いつかなくて、朝の六時頃やっと訪れた睡魔に俺は負け、一時間後には起きなきゃいけないのに重たい瞼を下ろしてしまった。

「太一さん、夜更かししただろ」
 朝ご飯の時、向かいに座っていたあーちゃんにそう言われた。なんで分かるのかな。俺は笑いながら「え〜?」と首を傾げる。
「目の下、クマ。肌のコンディションも悪い」
サラダを頬張りながら、あーちゃんは少しの厳しさを含ませて言った。…すごいなあーちゃん、肌状態から推理して事件を解決する探偵になれるかもしれない。名付けて肌探偵莇。
 臣クンはもう朝食を食べ終えて、今は部屋に戻って出掛ける支度をしている。今日は朝から用事があるみたいだ。
「あーちゃん、スクランブルエッグ食べた?今日のやつ超美味しいよ」
「何時まで起きてたの太一さん」
「…」
ジロリと睨まれ、小さな声で「二時くらいかな…」と答える。話題を逸らす作戦は見事に空振ってしまった。
「…ったく…」
溜息混じりにあーちゃんがサラダを食べ終えたところで、臣クンが談話室にやって来た。支度が終わったんだろう、臣クンは厚めの上着を羽織り小脇にはヘルメットを抱えて「太一おはよう」と優しく笑った。
「起きれたんだな。さっきちょっと辛そうな顔で寝てたけど、大丈夫か?」
「おはよう。へへ、だいじょぶッスよ〜!」
「臣さん、太一さんが夜更かししないようにちゃんと言ってやって」
あーちゃんが俺たちの会話に入る。臣クンはあーちゃんにも優しく笑って「うん」と頷いた。
「太一、こら」
「ごめんなさいッス」
「はは、よし」
「いや「よし」じゃなくて…はー…」
俺たちの短すぎるやりとりにあーちゃんがまたため息を吐く。そこまでひっくるめて全部臣クンの予想通りだったんだろう。片肘をついて呆れ顔をするあーちゃんの頭を、臣クンは乱雑に撫でた。
「それじゃ、俺は行ってくるよ。食器、悪いけど洗っておいてくれるか」
「うん。臣クン今日はどこ行くんスか?」
俺が尋ねると臣クンは嬉しそうに「リョウ達とさ」と答えた。
「久しぶりに走ってくるよ。昔世話になってた店のさ、マスターが還暦迎えたらしくて。ヴォルフの奴ら何人かでお祝いしに行こうかって」
「ヴォルフ!激アツッスね!」
「あはは、うん。激アツだ」
それから臣クンは俺の頭も撫でて談話室を後にした。残された俺とあーちゃんは、またゆっくりと朝ご飯を食べ始める。
「…太一さんさ」
あーちゃんが、ポツリと俺の名前を呼んだ。そのタイミング、切り出し方で、ああきっと臣クンがいなくなるのを待っていたんだろうなと分かった。…だから少し、憂鬱になる。
「あの手紙の人のこと、気になってんじゃないの」
ほら、やっぱり。一体どこからこぼれ落ちているのか、俺の頭の内をあーちゃんは簡単に当ててしまう。
「…へへ。うん?」
「…あんま深入りしない方がいいぜ」
「うん分かってる。…大丈夫だよ」
「説得力全然ねえよ、太一さん」
「やだな〜、信じてよあーちゃん!」
「…万里さんに前、言われたから」
あーちゃんは何かを思い返すように、少し遠くを見つめながら言った。
「一人で煮詰めるの、あんたの癖なんだろ」
「…あはは。えー…?」
俯いてしまったから、今向かいの席であーちゃんがどんな顔をしているのか分からない。そのまま何も答えないでいると、あーちゃんが食器を重ねて席を立つ音が響いた。
「忠告はした。ごちそうさま」
あーちゃんがシンクへ食器を下げる姿をそっと見ながら、俺はテーブルの下で両手の親指を向かい合わせて、グルグルと回した。
 …どうしてかな。どこから漏れてしまうんだろう。やだな、多分昔より俺は嘘が下手くそになった。
 下手くそな自分が嫌で、沈んだ気持ちのまま残りの朝ご飯を平らげる。食べるのがいつもより十分も長くかかった。…やだな。

 一人で部屋にいても気分が晴れないから、外へ出かけることにした。久しぶりにスケボーを持って、近くの公園で練習をする。スケボーもちょっと下手になってて落ち込んだ。勘を取り戻すのに二時間かかって、最初の休憩を入れる頃には体に汗が滲んでいた。自販機で缶のコーラを買って、数口ぶんを喉に流し込む。
「…天気悪…」
厚い雲が張った空を見上げた。どんより重たい色が自分の心を映しているみたいで、余計に気が滅入る。もう二時間くらいしたら帰ろうかな。商店街寄って、なんかお菓子でも買って、居合わせた誰かとテレビでも観ながら一緒につまんで。
 一回息を吐いて、もう一度ボードに片足を乗せたその時だった。公園の入り口に誰かが突っ立ってこちらを見ていることに気付いた。
「…」
偶然なのか、それとも俺を探していたのかは分からない。喉がゴクリと鳴って、汗が一気に氷のように冷たくなった。
 ゆわサンが、そこに立っていた。
「……」
体が、動かない。ゆわサンの目が俺の全身を、まるで金縛りのように縛る。小さく息を吸ったら喉が「ヒュ」と風邪の時のような音を出した。ゆわサンは何も言わないまま、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「……七尾太一さん、ですよね」
ゆわさんの声を聞いたのはそれが初めてだった。想像より高くて、凄く細い。少しつついただけで折れてしまいそうな、それは小さくて頼りない声だった。
「…え、あ…そ、そうです」
心臓が、キンキンに冷えていた。息を吸う度に薄い氷の膜が割れて「ピキ」という音が響くような気がした。
「…スケートボードされてるんですか」
「…は、はい」
「…へえ…」
ゆわサンの目は虚ろに、俺の足元のボードを見つめている。見つめられるとその先が動かなくなる。だから俺はもう、ここから動けない。
「見ましたよ、この前の三好くんのインステの写真」
「…」
「先日されてたストリートアクトも。…お疲れ様でした」
「…」
「臣くんと仲良しなんですね。同室ですもんね。良かったですね」
「…」
どんな相槌も、間違っている。ゆわサンは今一つ一つを並び立てて、並んだ沢山のものを俺に見せる為に話している。俺は並んでいくその様子を黙って見るしか、きっとしてはいけない。
「…疲れませんかね。臣くん。毎日きっと忙しいでしょう?忙しいのにあなたのお世話まで焼いて、くたびれちゃいますよね」
ゆわサンは笑いながら長い前髪を一度かきあげて、それから俺の目をじっと見つめた。
「…見ていて辛いので、改善してもらえませんか」
ゆわサンの望みは、俺が臣クンの側から消えること。その望みを叶えられるのはこの世界で俺だけだ。…だから、胸が苦しい。鉛を飲んだみたいに苦しい。だって俺はその望みを聞けない。叶えられない。
 ゆわサンの気持ちがこんなに分かるのに、まるで目の前にいるのは鏡の向こうの自分なんじゃないかと思うのに、この人と俺はこんなにも、似ているのに。どうにもしてあげられない。
 少し前の自分だったら、もしかしたらここで本当に渡していたかもしれない。この場所を俺より必要な誰かがいるんならって、こんな俺には相応しくないしなって。
 俺は冴えないから。大好きなものを汚してしまえる奴だから。…俺は、汚いから。ガタガタの足元はそうやって、いつだって俺に諦める理由を寄越した。資格なんか、権利なんか、お前なんかに本当はないだろって、もう一人の自分の声がいつも頭の中に、聞こえてた。
 だけどできない。…もうできないんだ。ゆわサン、俺ね、臣クンの側にいられるこの毎日を、もう誰にも明け渡すことができない。
 臣クンに助けてもらった。助けてもらったその土台の上に立っている。もう積み上げちゃったんだ。戻れないんだ。何一つ、手放せないんだよ。
「…ごめんなさい」
口からこぼれた一言が、俺の全てだった。叶えられない。譲るなんてできない。誰にも渡せない。本当にごめんなさい。
「…いや、ごめんなさいじゃなくて」
ゆわサンは半笑いでそう言った。ああ、俺はそれも知っている。悲しい時、叶わない時に笑いがこぼれてしまうことを、こんなにも知っている。
「ごめんなさい、できないッス。ごめんなさい」
「いや…あは。意味が分からないです」
「俺には、できないッス。…ごめんなさい」
「いや、いやいや、あの、臣くんも言ってましたから。疲れちゃうって」
それはきっとゆわサンの口からついて出た嘘だった。苦しい時に嘘を吐いてしまう気持ちも知ってる。吐いてしまった後、泣きたくなってしまうことも。嘘は、吐けば吐くほど自分の中に溜まっていく。どこにも流れていってはくれない。体の中が汚れていくんた。内側が、黒ずんでいくんだ。俺はそれを、何度も何度も見てきたよ。
「…」
本当の気持ちを伝えることしかできない。ゆわサンがこれ以上嘘を積み上げてしまわないように俺ができることは、俺が、一つも嘘を吐かないことだけだ。
「…臣クンが、大切なんだ」
「………はぁ?」
聞いて。受け取らなくていいから。
「臣クンがいなきゃダメなんス。もう誰にもこの場所をあげられない。…この場所を他の誰かが欲しいって思ってるかもしれなくても、俺は、ここを譲れない」
「……」
「誰にも…ゆわサンにも、あげられない。本当にごめんなさい」
 ゴミ箱に捨てられた手作りマドレーヌ、釣り上がった文字で書かれた「大好きです」の文字。気づかれないままの水玉模様のシュシュ、継ぎ接ぎだらけのウサギのキャラクター。それらは、俺にとってのウルトラヨーヨーと同じだ。徹夜漬けで勉強しても52点だった答案用紙と同じだ。エキストラしか回ってこなくても受け続けた子役オーディションと同じだ。苦しくて辛くて、いつも俯きながら誰かの足元をじっと呪うように見つめていた、あの頃の俺そのものだ。
 泣きそうになって、唇を思い切り噛み締めた。泣いたらダメだ。そんなの、ゆわサンはきっと虫酸が走るだろう。
「……なんなの、マジで…」
顔を上げると、ゆわサンは瞬きもせず、目を見開いて俺を見ていた。信じられないものでも見ているみたいにして、小首を傾げながら俺だけを見ていた。
「違うだろうが…だから…そうじゃないでしょ、臣くんが嫌がってるんだよ、分かれよ」
声は相変わらず今にも折れそうなくらい弱々しいのに、見開かれたままの目があまりに冷たくてゾッとする。ゆわサンは言いながら少しずつ、俺の方へにじり寄ってきた。
「おま…お前の気持ちを…聞いてるんじゃないんだよ、臣くんが…臣くんが!嫌だって言ってんの!」
「臣クンがいないとこで…臣クンに直接言われた訳じゃない言葉をもらっても俺…受け取れない」
「なんなんだよ!なに、なに…?は?何言ってんの!?」
ゆわサンの震える口元が、泳いでしまう視線が、痛い。痛くてたまらない。まち針を刺された針山みたいに、俺の心はもう小さな穴だらけになった。
 もう嘘を吐かないで。俺相手に、俺なんかに、吐かなくていいよ。
「…ゆわサン、お願い」
「呼ばないで?あ、あんたに、あんたに呼んでもらう為に、いつも…いつも書いてたんじゃないから!やめて!?」
「…」
心臓があんまり痛くて、だから顔に出てしまった。食い縛る俺を見て、ゆわサンはますます激昂してしまう。手を震わせながら「やめてってば!」という声が公園中に響いた。
「なに…?なんなの…同情してんの?やめてよその顔で見ないで!!」
「ゆわサン、違う、俺は」

 ゆわサン、違うよ、俺たちは。
 …一緒なんだ。

 俺がそれを声にする前に、ゆわサンは震える手で鞄の中からあるものを取り出した。ピンク色の柄の、その先が小さく光る。それはカッターだった。俺も握った、あの時、震える手で握った。裁ちばさみを握りしめたあの時の自分がフラッシュバックする。だめだ、やめて、お願いやめて。
 ゆわサンが自分の片方の袖を捲って手首を晒すから、俺は反射的に飛びかかりそれを阻止した。一体何本だろう。数えられないくらいの線が、ゆわサンの手首に走っていた。
「だめっ!!」
カッターを持ったゆわサンの手を掴んで必死で止める。ゆわサンの力の方が俺より弱くて、だからカッターの刃はすんでのところで留まっていた。でもゆわサンはやめようとしない。自分の手首目掛けてその切っ先を、めり込ませようとし続けている。
「だめだよ、だめ、やめて、ゆわサンっ、ゆわサン!」
「離して、やだ、やだやだやだやだっ、離して、離してよおおぉ」
「やめて、切らないで、切らないでゆわサン、お願いやめて!」
「やだあああぁ切る、切る、切るうぅっ」
その時だった。バイクのエンジン音が鳴り響いて、公園の入り口前で急に止まる。ゆわサンと俺がそちらに振り向いたと同時に、フルフェイスのメットを被ったままの誰かがこちらに向かって全力疾走してきた。
「太一!!」
突然現れたのは臣クンだった。臣クンはゆわサンの手を乱暴に掴んで、すぐにカッターを取り上げ投げ捨てた。
「…てめぇ…」
違う、まって、まって臣クン、違うんだ。心の中で必死に叫ぶのに、俺は気が動転していて咄嗟に声を出せなかった。ゆわサンも同じだ、事態を飲み込めないまま、ただメットを被った臣クンを瞬きもせず見上げている。
「太一に何しようとしてた!!あぁ!?」
「…ぅ、や…ちが、ちがうの…」
ゆわサンの、糸みたいに細い声が臣クンの怒声に断ち切られる。
「うるせえ!!殺されてぇのか!?」
臣クンは俺の体を引き寄せて自分の後ろに押しやると、メットを外してそれを地面に叩きつけた。俺もゆわサンもその瞬間に怖くて肩が跳ねた。メットが、土の地面の上でグラグラと揺れている。
「太一に触んじゃねえ!!」
「や、やだ、ちがう、ちがうぅ…」
「黙れ…っ…二度と、太一の前に現れるな…」
臣クンの握り拳が震えていた。怒りで、臣クンが震えている。怖くて、どうしていいか分からなくて、声が出ない。
「…ちがうの、わたし…おみく、おみくん…お、怒らないで…やだぁ…」
「……」
臣クンはゆらりと一歩、ゆわサンに歩み寄って胸倉あたりを雑に掴んだ。黒いグローブに掴まれたゆわサンが、苦しそうに顔を歪める。
「…虫唾が走んだよ、呼ぶな」
言わないで、そんなこと。やめて臣クンお願い。なんでだ。さっきから何でひとつも、声になってくれないんだ。
「消えろ今すぐ。…次はねえからな」
「おみく…や、やだぁ…」
「失せろって言ってんだ!!」
臣クンは叫んで、それからゆわサンの体を乱暴に突き放した。落としたメットを拾って俺の腕を強引に引く。華奢な体がよろめいてゆわサンが地べたに尻もちをつく様を、臣クンに腕を引かれながら俺は見た。そのまま座り込んで動かなくなるゆわサンの後ろ姿を、俺はずっと、声が出ないまま。
 臣クンが俺を強引にバイクの後ろに乗せて、自分のメットを俺の頭に被らせる。臣クンの目は赤かった。いつもの優しい飴玉みたいな色じゃない。俺は息を呑んだ。何も言わないまま、ゆわサンには目もくれずに臣クンはバイクに跨ってエンジンをかける。俺のボードとゆわサンが公園に取り残されたまま、バイクは走った。置き去りにして、走り抜けた。

 寮の駐車場に着き、臣クンがバイクを停める。
「…」
ハンドルを握ったまま、臣クンは無言だった。俺はかける言葉を見つけられず、そそくさと降りてメットを外した。
「…手紙の女か」
「……」
臣クンが俯きながらボソリと言った。俺は黙ってゆっくり頷く。
「……」
バイクから降りて、臣クンが俺の両頬に手を添える。痛みに耐えるような、苦痛に喘ぐような顔をして俺を見つめた後、力を込めて臣クンは俺を抱きしめた。
「…ごめんな」
「……」
「怖かったな。俺のせいだ。ごめん太一、ごめん」
「……っ…」
臣クンに抱きしめられながら、俺の両眼から涙が、ジワジワと溢れる。違う、違うんだよ。怖かったんじゃない。臣クンのせいじゃない。なんでよ、お願い、声になってよ。
「…ごめんな、ごめん…」
「…ぅぇ……」
ねえ臣クン。俺はホントにホントに、臣クンのことが好きなんだ。臣クンの好きなところを百個言えって言われたら千個言えるくらい、どれだけ言葉にしても言い尽くせないくらい、ホントに、大好きなんだ。
 ゆわサンもきっとそうだよ。臣クンのことが好きで仕方ないんだ。臣クンを好きな俺が、臣クンを好きなゆわサンの気持ちを分からない訳ない。
 苦しいよ、痛いよ、嫌だよ、分かるよ、ねえ俺には分かるよ、ゆわサンは泣いている。一人ぼっちできっと、今、泣き崩れている。
「…う、うぇ…っ…」
「太一、太一ごめん、ごめんな…」
背中を撫でられながら俺は泣いた。臣クンの腕の中で、しゃがみ込むゆわサンの後ろ姿を思い出しながら、ずっと泣いた。






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