after that
伸ばし放題だった髪を切った。
人生で多分一番髪を短くした。後ろを刈り上げてだいぶ軽くなった自分の髪型を鏡越しに見た時、何だか少し気恥ずかしさを覚えた。担当してくれた美容師にスタイリングの仕方を簡単に教わり、涼しくなった後頭部をさすりながら俺は適当な相槌を打つ。
何かを変えようと思う時、分かりやすい見た目の変化があるというのは良い。それからは鏡を見る度少し気合が入る気がした。自分は結構単純なんだと思う。
今までの生活を変えるのは大変だった。まず、朝起きられないのだ。
スマホのスヌーズ機能だけでは駄目で、本当に恥ずかしい話だが最初のうちはばあちゃんに朝電話をしてもらったりもした。目覚まし時計を買って、わざと部屋の外に置いてベッドから出なければいけない状況を作ったり、無理やり朝起きられるよう色んな方法を試した。
正直、最初の数ヶ月で何回か諦めそうにもなった。自分を変えるのは簡単なことじゃない。体に染み付いた怠惰と堕落はすぐには抜けない。
取らなければいけない単位の数にも、すぐには講義内容を理解できない自分にも心が挫けそうになった。気軽に声をかけたり頼ったりできる誰かもいない。一人きりで頑張ることは俺が思っている以上に辛くてしんどかった。ここで投げ出したら、逃げてしまったら、どれほど楽だろう。
悪魔は何度も囁いた。だけどその度、ひろのことを思い出す。別れを切り出されたあの時の言葉と一緒に、付き合っていた頃の思い出も頭の中を駆け巡った。
心配をしてくれた。会いたいと思ってくれた。その気持ちを踏みにじるようなことは絶対にしたくなかった。
いつかまた、いや…そんな日が来るかは分からないけど、どこかで会える時が本当に来るなら、もう俺は「会う資格がない」とか、そんなことは思いたくないから。元気にしてた?って聞かれて、元気にしてたよって答えられる自分でいたいから。
何度も傾いてその度に踏みとどまる日々は、次第に安定していった。
朝も自力で起きられるようになって、大学へ行くことが億劫ではなくなり、何かを勉強する時の頭の使い方、その感覚を段々と思い出した。講義がよく被るという理由で顔と名前を知って、それから少しずつ喋るようになって、仲良くなれた人達も何人かできた。
身の回りの環境が徐々に変わって、頑張ることが少しずつ重荷ではなくなっていく。それに気付かされる度、今までの自分がどれほど沢山の物事を放棄していたのかを痛感した。見放されていた訳ではない。俺が自ら手放していた。
気付くのが遅いと思う。馬鹿だと思う。だけど、きっと手遅れじゃない。
卒業の目処がついたのはそれから三年後、俺が24になった年だ。
仲良くなった連中何人かと進路の話をした。大学院へ進む奴もいれば第一志望の会社で採用が決まった奴もいる。未来を見つめる皆の目は少しの不安と希望が混じっていた。
この先どうしたいのか、どうなりたいのかはまだ漠然としていたが、なんとなく手に職をつけたいと俺は考えていた。俺がそう言うと連中は頷いて「確かに稲田は会社員って感じじゃないかも」と言って笑った。
たまに、右手首の刺青をぼんやりと眺めてしまうことがある。
始めのうちはやりきれない気持ちになったりもしたが、この頃はそうでもなくなった。あの時の自分を忘れない為の、良い薬のようにも思えるのだ。
あの時彼らは俺に教えてくれた。大事にしない、されないというのはどういうことなのかを。
ありがとうと思うことはできないが、恨むこともない。当時の俺がされて当然のことを、彼らは当然のようにしただけなのだと、それだけのことなのだと今なら分かる。もうあの頃の自分に戻らない為に、繰り返さない為に、これからもきっと何度か思い出すのだろう。誰かをもう傷付けたくない。だから自分のことも、極力傷付けたくない。
消した方が良い過去など本当はないのかもしれない。無駄なことだってきっと一つも。全ての日々を積み重ねたその一番上に、今の俺がいる。
12月の終わり、冬季休業期間中に峯田や柴崎さん、他にも何人かに自分からラインを送った。
数年ぶりのやり取りは最初こそぎこちなかったが、何度か会話を送り合ううちすぐにそれもなくなった。久々に会おうということになって、峯田と柴崎さんとはそれぞれサシで飲んだ。
峯田は専門学校を卒業した後、古着屋でバイトをしながらリメイク服のオンラインショップを経営していると教えてくれた。柴崎さんは彼女と半同棲していて、向こうの親に同棲したいことを言い出せないでいるらしい。あっちの両親の好感度が上がる為には何をすれば良いのか、真剣に悩んでいるようだ。
みんな、あれから年齢を重ねて自分の道を歩いている。進んでいる。変わっていることもあるし、変わらないままのことも沢山ある。月日は平等に過ぎる。それをどう過ごすかは、当たり前だけど自分次第なのだ。
また会えて良かったと言うと、峯田も柴崎さんも「こっちのセリフ」と言って笑った。笑った顔が見れて良かった。
三月、俺は二浪して大学を卒業した。
俺が何度も来なくて良いと言ったので(どうしても照れくさかったのだ)親父もばあちゃんも直接会場には顔を出さなかった。その日に撮った写真の何枚かを親父とばあちゃんに送るとそれぞれから電話がかかってきて「おめでとう」「頑張った」「よくやった」と何度も繰り返し言われた。
頑張ったことを、頑張ったねと言ってくれる人がいる。幸せなことだと思った。一人ぼっちじゃない。一人ぼっちだったことなど、本当は一度だってなかったんだ。
就職先は程なくして決まった。
大学最後の年、夏頃から親父には何度か相談していたから決まるまでの流れは早かった。
俺は春から自動車整備工場で働く。親父の職場仲間の息子さんが働いているらしく、人手が足りないから良ければ、ということだった。まあ端的に言えば親父のツテだ。
もちろん整備士資格は持っていない。けれど幸いなことに無資格からでも就職できるらしく、まずは整備士見習いとして働きながら資格取得を目指すことになった。
親父には、もっとやりたい仕事や興味のあることがあるんじゃないかと少し不安そうな顔で聞かれた。焦ってはいないか、本当に良いのかと。俺は頷いて「やってみたい」と伝えた。漠然とだけど、何かを作ったり直したりする仕事に就けたらと思っていたからだ。
それも付け加えて言うと、親父は笑って「俺も似たようなこと思って今の仕事に就いたよ」と言った。
卒業後の三月。
俺は合宿でマニュアルの免許を取りに行くことになった。金は、卒業祝いと言って親父が出してくれた。親父には世話になりっぱなしで情けない。すぐに返せなくてごめんと頭を下げると「馬鹿、卒業祝いだっつってんだろ」と、垂らした頭を小突かれた。
実技と筆記を終え、四月半ばに俺は無事免許を取った。真新しい免許証をしばらく眺め、煙草を吸いながら財布の中にしまう。
来週から仕事が始まる。最初の給料が入ったらまずは親父を寿司屋にでも連れて行こうかと思っている。二人で一緒に、普段は飲まないような酒を飲むのも良い。
ばあちゃんはどういうのがいいかな。花とか贈ったら喜んでくれるかな。今度親父に聞いてみよう。
煙草を吸い終わって息を一つ吐く。スマホを取り出して、俺はラインを立ち上げた。
ずっと、なんて送ろうか考えてた。送るならいつだろうなって思ってた。
…今だと思うんだ。今なら、送れると思うからさ。
昔からずっと変わらない。水の中を泳ぐペンギンのアイコンをタップして、そこからトーク画面を開く。
かっこ悪いな、文字を打つ指に変に力入っちゃってさ。すげー緊張してるわ。…ひろ。
『久しぶり、元気?
連絡くれてありがと、返信遅くなってごめんね。
留学おつかれさま。
今度会えたらその時いっぱい話聞かして。』
俺も話したいことあるよ。
まずは笑って言えたらいいな。ありがとうって。
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