Chapter.4-6




数日間続いた手首の痛みはだいぶ引いた。しばらくは刺青の回りが赤く腫れていたが、それも殆ど消えてきたと思う。
手首を見るたび視界に入る模様が本当は目障りだし、誰かに何かを言われるのが嫌だったので隠したかったが、皮膚を覆うとかぶれるかもしれないからとダカさんに言われたのでそのままにしておいた。メゾさんとキーくんには気付かれてしまった。「どうしたの?」と聞かれたけど、適当に説明するだけで深く追求されるようなことは結局なかった。
俺が俺をどうでもいいと思うように、周りも、俺のことなどどうでもいいようだった。ダカさんの言っていた通りだ。詮索されたり気にされるよりいい。ずっと楽だ。
ラインやメールの未読が毎日溜まっていく。アイコンの右上、受け取った数を示す数字はどれも3桁を超えていた。もしかしたら知り合いからの連絡もいくつか紛れているのかもしれないけど、別にいい。どうでもいいし、開く気は起きない。

「ホスケくんタトゥー入れたの?」
接客中、何人かの客にそう聞かれた。俺は頷く。
「うん」
「え〜すごい、かっこいいね。どうして入れたの?」
「…何となく。似合う?」
「うん、似合ってる」
「ほんと?ありがとー」
そうやって俺が笑えば客も笑った。「何となく」で片付く程度のことなのだと、他人の反応を見て再認識する。もう刺青のことなんかどうだっていい。それより財布の中の札が何枚残ってるか、残りの煙草が何箱あるかの方がよっぽど重要なことだ。

「ホスケ、ちょい手首見してみ」
刺青を彫った日から一週間ほどして、ダカさんに手首を確認された。ダカさんは俺の手首の様子を確認すると数回頷き、それから俺に何の断りもなくスマホで写真を撮った。
「ブログに載っけとくわ。や〜良い出来。お客さん増えるといいなあ」
そう言って鼻歌混じりにダカさんがスマホを操作する。そうか、この人は始めからこれがしたかったのだ。
完成したブログには「◯月◯日、男性のお客様を彫らせていただきました。ご本人様希望のトライバルと、掘った日付のバーコードを入れさせていただきました。ご依頼やご質問などありましたらお気軽にどうぞ。お待ちしております。」と、やけに丁寧な文体で書かれていた。客でもねえし希望した覚えもねえけどな。内心、唾を吐きかけてやりたくなったが、すぐにどうでもいいやと思い直して俺は何も言わずスマホを返した。

その夜、クレさんがテレビを観ながら思い出したように「そうだ」と言った。
「ツタヤ行きたい人いない?俺観たいやつあるの思い出した」
リビングに居合わせていたのはメゾさんとダカさん、それから窓に背中を預けて煙草を吸っていたキーくんと俺だった。
クレさんの隣で携帯ゲーム機を操作していたメゾさんが、画面から顔を上げて賛同する。
「あ、そういや俺もある。クレ行くなら一緒に行こっかな」
「じゃあそうしよ。ねえダカちゃ〜ん運転して〜」
クレさんの言葉にダカさんが短く笑った。
「駄賃は?」
「ダカの好きなAV借りてあげるよ、二本までね」
「は?やっす」
そう言いながら満更でもないのか、ダカさんは読んでいた漫画雑誌を閉じてゆっくりと立ち上がった。
「キーとホスケも行く?」
メゾさんが俺たちに声をかける。キーくんは前にこずえさんが言っていた通りメゾさんのことをかなり慕っているみたいだった。そう聞かれた途端嬉しそうにして、煙草を灰皿に抑えつけてから「メゾさん行くなら行く!」と元気に答えた。
「ホスケも行こ?お前たまには仕事以外でも外出た方がいいよ」
気を利かせているつもりなのか、キーくんは俺の肩を軽く叩いてそう言った。
「…いい、俺」
「なんでぇ?たまにはシャバの空気吸わねえと」
キーくんのセリフにメゾさんが「あはは」と笑う。
「キーもそう言ってるしさ、一緒に行こうよホスケ。キーのバイク乗せてもらえばいいじゃん」
「…」
二人にそう言われ、上手く断れなくなってしまった。黙ったまま俯いているとキーくんが俺の腕を掴んで強引に体を引き上げる。気乗りしなかったが、キーくんにバイクの後ろに乗るよう促され俺はそのまま言う通りにそこへ座った。
「…成人式ん時と一緒」
「うん?なに?」
俺のつぶやきに、メットのベルトを締めながらキーくんが聞き返す。
「キーくん強引だねっつったの」
俺の言葉にキーくんは明るく笑って「よく言われんだよな」と言った。キーくんの笑った顔は好きだ。ずるいのだ、毒気を抜かれてしまう。少しつられて俺も笑った。
バイクの後ろは、やっぱり気持ち良かった。最近はなんの感情も湧かなかったから、何かに対してこんな風に感じるのは凄く久し振りだなと思った。

ダカさんが運転する車の後ろをバイクで追いかける。15分ほど走った後、店の駐車場に到着したが俺は来たことを心底後悔していた。だってクレさんの部屋から近い店は他にもあるのに、どうして、よりにもよって、俺が昔働いていた店舗が選ばれたのだろう。
車から降りたメゾさんが「なんでわざわざこっちまで来たの?」とダカさんに尋ねていたので、俺も会話を横から聞く。
「あっちの店舗のAVの棚は全部確認済みだから」
ダカさんの回答にメゾさんは目を見開き、クレさんはおかしそうに笑った。
「あっはっは!さすがっすわ〜!」
「え〜…ダカ…ちょっと引くわ…」
「なんでだよ。普通チェックすんだろラインナップを」
「しないわ〜…だって動画とかで充分じゃん…俺、店のエロビコーナーなんて入ったことないよ」
「メゾなんも分かってねえわ。やっぱエロは盤じゃなきゃ駄目なんだよ、動画じゃ本気で乗れねえんだよ」
「わかんないわ〜…わ〜久々に他人に引いてるわ俺…」
「だってテレビの大画面で観てえじゃん、爆音で」
「ないわ〜…」
「あっはっは!」
そうして三人は楽しそうに会話をしながら店内へと続く自動ドアを潜ってしまった。
キーくんと俺もその後に続く。すこぶる嫌だったが、誰かに何かを気付かれるのももっと嫌だったので、俺も何食わぬ顔で店内へと入った。
入った瞬間、棚の配置や店の構図に懐かしさを感じた。レイアウトの細かい部分はかなり変わっているが、それでも俺はこの場所を知ってる。とてもよく、知っている。…高校生の頃、あの時ここで沢山の時間を過ごした。思い出が水のように流れ出そうになってしまって、俺は慌ててかぶりを振り、それを阻止した。
「ホスケどうかした?」
横にいたキーくんに不思議そうな顔をされてしまったので、悟られないようゆっくりと首を横に振って「眠いだけ」と嘘を吐いておく。
「寝る寝る大魔神だなお前は」
「なにそれ」
「そのまんまだよ、だって寝るか煙草吸うかしかしてないじゃん?」
「…そー?」
適当に会話をしながら店内を進む。洋楽のメタルやパンクのコーナーが見えたので、キーくんに一言断りを入れて俺は一人その棚へ向かった。
こうやってCDを物色するなんていつ振りだろう。昔は学校帰り、数日おきにレコード店や中古店を回って欲しいCDを探していたなと思い返す。実家のCDラックには俺と親父のCDが数百枚並んでる。あれもこれも持ってる。擦り切れるほど聴いた。記憶をなぞりながら棚に並んだCDの背表紙を眺めた。
昔よく聴いていたバンドの、まだ見たことのない新譜のアルバムが並んでいることに気づいた。手に取ってケース裏面の曲目を見る。タイトルを見ているだけで少しワクワクした。聴いてみたくなった。
「……」
自分で少し驚いた。俺の中にはまだ音楽を聴きたいなんて気持ちが残っているのかと。いつも感情の火を消すばかりで、俺の中にはもうなんの火も灯ってなくて、燃えた後に残る灰しか残ってないのかと思ってた。…もしかしたら、そうじゃないのかもしれない。
見ていたらいろんな感情が次から次へと蘇って、棚を物色するのをやめられなくなった。これも、ああこれも。このバンドアルバム出してたんだ。タイトルかっこいいな、どんな曲かな、聴いてみたいな。
俺は四枚のCDを棚から抜いて右手に掴んだ。財布の中に眠ってた会員カードを確認して、レジへ向かう。
俺が知ってる店員は誰もいなかった。今日たまたまいないだけかもしれないが、もう三年くらい前のことだ、あの時のメンバーは一人もいないのかもしれない。
レジにカードと商品を出す。有効期限が切れていたのでカードの更新料を払った。カードの裏面の日付は四年前だった。いつの間にこんなに、時が経っていたんだろう。
CDを借り終え店内をうろついていると、邦画コーナーで商品を選んでるキーくんとメゾさんを見つけた。もう店の中に用がない俺は二人に声をかけ、外で待つ旨を伝えた。
「え〜俺ら時間かかりそう」
「いーよ、煙草吸って待ってる」
「ホント?じゃあさバイクんとこにこのメット置いといてくれる?」
「うん」
メットを一つ受け取って(ちなみに俺のぶんのメットはバイクの座席の下に閉まってある)俺はその場を後にしようとしたが、キーくんはなにか閃いたのか表情をパッと明るくさせて俺を呼び止めた。
「ホスケ待ってる間暇だったら乗ってていいよ!」
突然の提案に俺は少し驚いてキーくんの方を見た。
「…俺、免許持ってないよ」
キーくんは、でも笑って続けた。
「店の周りちょっと走るくらいだったら平気じゃね?後ろ気持ちいいっつってたじゃん。運転したらもっと気持ちいーから!おいでよ、乗り方教えちゃる!」
メゾさんが隣で「いけないんだ〜」と言ったが、ふざけ半分の笑顔だった。無免でバイクに跨ることなんて、大した問題ではないのかもしれない。
「ホスケがもっとバイク好きになってくれたら嬉しいしさ。な!おいでよ」
キーくんは相変わらず強引に俺の腕を引っ張った。何か言う前にキーくんに連れられ、結局俺は店の外に停めてあるバイクの元まで連れられた。
「鍵回してエンジンかけるでしょ、ここ回してさ、そしたらもう後は走るから」
キーくんが俺の前で実演しながら教える。
「ホスケ運転上手そうだし、多分すぐ慣れるよ」
「…そー?」
「うん、免許取ったら一緒にツーリングしてえなー。俺新しいの買うからさ、そしたらホスケこれ乗っていーよ!オンボロだからちょっとアレかもしんないけどさ、でもいつでも貸すし」
キーくんはバイクから降りて俺に鍵とメットを渡すと、催促するように目を輝かせて俺を見た。断る理由もなかったし、俺も乗ってみたい気持ちが少しあったのでそのままシートに跨ってみる。
「いいね、かっこいい!」
「キーくんのがかっこいいよ」
「やめろよ照れるじゃんか」
「ここ、こうすればいいの?」
「そうそう」
「…走ってみていい?」
キーくんは元気に頷いて「やってみ!」と言った。メットを被ってベルトを締め、グリップをしっかり握って、いよいよエンジンをかける。けたたましい音が鳴ってマフラーから白い煙が吐き出された。
「最初はゆっくりな!」
「うん」
「事故んなよ!なんかあったらすぐスピード落として!くどいくらい後方確認な!」
「うん、わかった」
「うっしゃ、いってら!」
キーくんに背中を押すように叩かれ、俺は地面から足を離した。エンジン音と一緒に、バイクが走り出す。グリップを両方とも強く握る。駐車場を出て、右に行くと駅前の大通りに出てしまうので、おぼつかないハンドル操作で左へ曲がる。最初はおっかなびっくりだったが、幸い車通りも少なく前後に車が全くいない状態で直線を長く走れた。体が少しずつ感覚を知っていく。全身に風がぶつかってくる。エンジンと風の音以外、何も聞こえない。
次の曲がり角をまた左折する。キーくんに言われた通りスピードを落として、後ろを確認してからゆっくり、徐々にスピードを上げた。
気持ち良い。純粋にそう思った。俺が風を切ってる。俺の体が今、全速力で駆けてる。
それから二回左折したらまた店の駐車場入り口まで戻った。俺はもう一周したくてまたバイクを走らせた。今度はさっきより少しだけ速度を上げて、風にぶつかりに行った。
ああ、気持ちいい。体中の汚いものをぶちまけて、振り落として、俺が空っぽになっていくみたいだ。軽い。体が?頭が?わからない、でも俺は今確かに飛べそうなくらい軽いのだ。このまま飛べないかな。飛べちゃうんじゃないの?あの道の先が例えば断崖絶壁だったとしてさ、そのままアクセル全開で走り抜けたら、俺、飛べるよきっと。そんな、妙な考えが浮かんでくるくらい爽快だった。気持ちいい、もっとずっと走ってたい。もう少し遠くまで走ってみたくて、店の周りを二周し終えた後、俺は一つ目の左折するべき道を直進した。
空っぽで身軽になった俺は、自分の中に渦巻いてたヘドロみたいなモンを道端にボトボト落として、ひたすら駆けてく。どこまでも駆けてく。もう何も追ってこない。何も、追いついてなどこれない。どうしてこんなに心が安らぐんだろう。どうして軽くなることがこんなに、気持ちいいんだろう。
……ああそっか、今やっと気付いた。俺、自分から逃げたいんだ。見捨てて、置き去りにして、どこまでも逃げたい。追いかけてこれない所まで、逃げて、逃げて、逃げて、ずっと。
「…そっかあ」
呟いた言葉は風の音にかき消されて、自分の耳にさえ届かない。それが少し寂しくて、でも同時にホッとした。
夜の中をすっからかんで走る。逃げたいんだ俺。死ぬとか生きるとかそーゆーことじゃなくてさ、戦うとか戦わないとかでもなくて。ただ逃げて、なんにもない場所で倒れ込んで、全部放り捨てて、眠っちゃいたい。
頼むからもうなんも追っかけてこないで。お願い。なんもしたくないんだよ、このまま空っぽになりたいんだよ。
…なんでかな、はなからなんもしてないのにね。もう、疲れちゃった。



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