Chapter.2-5




店内を初めて見たが、俺が想像するホストクラブの雰囲気とは少し違っていた。店の右側にずっと続く長いバーカウンターがあり、左側はいくつものテーブルと、それをU字型のソファがそれぞれ囲んでいる。ドンペリタワーとかコールとか、そういう騒々しさはなかった。思っていたより静かだ。
メゾさんの姿を見つけるが、店内奥のソファで接客をしているところだったので声がかけられない。どうすれば良いのか分からず入り口近くで突っ立っていると、一番近い所にいたカウンター内の男が俺に気づき「裏に店長さんいんぞ」と、俺を促してくれた。
「こっちから潜って、そのドアから裏に行けっから」

言われた通りにドアを開けて裏に進む。
先程俺に「採用」と言った男が、店内裏の廊下で煙草を吸いながら携帯電話で話しをしている。恐らくこの人が店長で間違いないはずなので、俺は少し離れた所に立って電話が終わるのを待った。
「うん、は〜…なるほど…じゃあそれはそっちで上手いことやって。はい。そうね、はいはい」
男は通話を終えた後にすぐこちらに気づき、煙草を咥えたまま俺の前まで歩み寄った。
「お疲れ様。どう?何人か入店させられた?」
男の質問に頭を掻きながら頷く。更に「何人だった?」と聞かれたので「二人」と正直に答える。
「二人?すごいすごい。あ、もしかしてこういう仕事やったことある?」
「…ないっす」
「そうか。いや〜いいね。肝が据わってる感じもいいし、顔もかっこいいしね。じゃあこれ、今日のお給料ということで。お疲れ様でした」
男は後ろポケットから財布を取り出し、そこから万札を一枚取り出して裸のまま俺に渡した。
「もしまたやってくれるんなら是非お願いします。今日はありがとう」
裸の万札を手に握りしめながら、俺は若干呆気にとられる。だってまさかこんな、たった数時間のなんてことない仕事で、一万円が手に入る。
「…あざした」
「クレが車で待ってるって言ってたから、帰るならこのまま裏口から出てっていいよ」
「…うす」
何かを問い質されることも後を追われることもない。男のサッパリとした対応にも肩透かしを食らいながら、俺は一万をポケットに捻じ込んで裏口の扉を開けた。

クレさんは俺を見つけると運転席の窓から顔を出して「お疲れー」と明るい声で言った。
「どーだった?楽勝だったでしょ」
「…はあ」
「何人か入店させられた?」
「…二人」
「二人!マジ!?すごいじゃん、やっぱホスケは素質あると思ってたんだよ俺はさー!」
クレさんは上機嫌だった。「乗って乗って」と俺を催促し、車内に乗り込んだと同時にエンジンをかける。
「またお金欲しくなったらさー、いつでも大歓迎だから言って!シフト穴だらけでいつも大変らしいからさー」
「…はあ」
「それ、スーツと靴はそのまま貸しとくからさー。あ、この後どうする?またさっきの部屋行く?このままホスケの家まで送ってってもいいけど」
「…あー…帰ります」
俺がそう答えると、クレさんは左手で形を作りながら「おっけー」と言った。
ふと、バックミラーに映る自分の姿を見る。
メゾさんにセットしてもらった髪と貸してもらったスーツは、いつもの見慣れた自分とは随分違う印象だった。似合ってないのか似合っているのかは、よく分からない。けれど率直に思う、その姿はどこからどう見てもホストにしか見えなかった。自分がこんな格好をするなんて少しも想定していなかった。なんだか不思議だ、ミラーに映る自分が他人のように思える。

「じゃあまたねホスケ!いつでも連絡して!待ってるからさー!」
クレさんはそう言って俺を家の前で降ろすと、すぐさま車を発進させた。
俺はそのままその足で、家から歩いてすぐのコンビニに向かう。煙草だ。全ては煙草を買うためにしたことだ。
コンビニではもちろんアメリカンスピリットをカートンで、それから缶ビールも数本買った。こんなに躊躇なく金を使って、なのにそれでも手元に半分くらい残っている。
俺の心は少し踊った。こんなに楽な方法で金が手に入る。いくらでも吸える。財布の中身を気にしなくても、あと何本あるか気にしなくてもいい。いつだってカートンで煙草が買える。

コンビニから家までの帰り道、煙草を吸いながら革靴の鳴らす音を引き連れて歩く。
良い仕事を紹介してもらった。また気が向いた時にはクレさんにお願いすれば、きっとあの仕事をさせてくれるだろう。
半日ぶりに吸い込むアメスピの煙は、身体中に染み込んで俺をゆったりと満たしていった。

そしてその後、もらった一万はたった数日で消える。
金が欲しくなり俺から連絡をすると、クレさんは電話口で嬉しそうに俺の名前を呼んだ。
「おっけおっけ!じゃあ家まで迎えに行くからスーツ着て待っててよ!」

そうして、俺はまた金を手に入れる。
大学に行く日数はますます減って、そのかわり煙草の本数は馬鹿みたいに増えた。
親父には、もう小遣いは要らないとメールで伝えた。なにか返信があったような気がするが、それがどんな内容だったか、それに自分がメールを返したか、今はもう覚えていない。
家に帰るのが面倒で、仕事をさせてもらった後はそのままクレさん達の部屋で寝ることも増えた。好きなだけ寝て、起きたら吸って、金がなくなったら仕事させてもらう。そうやって適当に過ごす毎日はものすごく楽だった。
いつの間にか随分髪が伸びた。メゾさんがセットしてくれる時以外は、もう面倒でそのままでいる事が増えた。髭も仕事の時以外は放置するようになった。仕事の時はスーツ、それ以外の時は誰かのジャージを適当に借りて着る毎日だった。

なにを得るでも、なにを学ぶでもない。惰性と堕落と浪費の日々は流れるように過ぎる。過ぎていく日々に思い入れなんてない。今、あの頃のことを思い出そうにも、自分がどんなことを感じてたとか何を思っていたのかとか、一つだって鮮明に思い出すことができない。
それは「なにもない」ということと、とても似ていた。
俺がクレさんに大学の喫煙所で話しかけられたあの日から、そんな風にしてあっという間に数ヶ月が過ぎる。大学生になってから二度目の秋は、一つの季節として感じることもないまま瞬きのような一瞬で俺の前を通り過ぎた。
11月。気が付けばもうすぐ年が明けるらしい。年末年始、お前はどうするのかと聞かれて、予定などあるわけがない俺はクレさん達に「なにも」とだけ答えた。煙草が吸えれば、寝たい時に寝れれば、それでいい。本当にそれだけでいい。

俺は二十歳になった。





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