「ん...ぁ...」
「贔屓っ!贔屓!!しっかりしろ!おい、俺が分かるか?」
頬をパチパチと叩かれ、ハッとする。
「あ...あ...せん...ちょう...?」
来てくれると思わなかった、とか諦めていた、とかじゃない。...私、忘れてた...。
「ご...ごめっ...ごめんなさい」
瞬時に助かったとすら思わなかったから、後ろめたくて居たたまれない。
「悪かった...」
掛けられていた布団で私をくるむと、もう大丈夫だと言ってそっと抱き上げられた。
「こんなにやつれちまってよぉ...」
揺れる船長の瞳...船長、泣いてる?
「リュウ...贔屓ちゃんっ!!」
「ここだ!!」
ソウシさんを筆頭にシリウスのみんながやってきて、船長の表情が引き締まった。
あ、れ?シンさんがいない...。
「船長!コイツがクラウスです」
口の端から血を流したクラウスが、寝間着姿でこめかみに銃を突き付けられて部屋へ入ってきた。
「シンさん...」
良かった。みんな、居た。みんな、元気そう。シンさんは一瞬だけ私に柔らかい眼差しを向けると、他の数人は別の部屋に閉じ込めてあります、と船長に報告した。
「贔屓。コイツ、どうする?」
「ん、あ...」
「おい、シン!なんでそんなこと聞くんだよ!!とっとと撃ち」
「っ!だ、ダメです!...あの...殺さないで、下さい...」
「え?」
「は?」
「おい...」
「...」
「贔屓?」
「贔屓ちゃん、それは勘違いだよ?」
「大丈夫です...」
ソウシさんがストックホルム症候群のことを言っているのはすぐに分かった。
情欲に慣れすぎた頭の中で、ようやく理性が勝ち始めた。
「わ、私は生きてるし、幸い五体満足です。その人が死ぬことは、望みません」
「だったら俺がっ...」
「ハヤテっ!」
「でも船長!!」
「分かった。ソウシ、とにかく贔屓を診てやってくれ」
「...仕方ないね。シン、そいつは見張っておいてくれるかな」
「分かりました、ドクター」
「ハヤテも残ってくれる?ナギ、トワ、船に戻ってすぐにお湯を準備して」
「あ...」
「どうした?贔屓」
「船長...あの...多分ベッドの傍の引き出しに、シンさんから貰ったナイフが...」
「贔屓ちゃん、これかな?」
頷くと、ソウシさんは微笑んでくれた。
船長に抱かれたまま船に戻ると、すぐ医務室のベッドに寝かされる。そこにはすでにお湯の張られたたらいと新しいタオルが用意されていた。それからコーヒーにマフィン。付き添うと言って聞かない船長を追い出すソウシさん。変わらない優しさと思いやり、そして懐かしいやり取りに安心して、笑みが溢れた。
「贔屓ちゃん、まずは体を拭かせてもらうね?」
「あの、私...クスリが効いてるかも...」
「うん、分かってるよ。恥ずかしいかもしれないけど、あまり動かないほうがいいからね」
「あ...はい。じゃあ、お願いします」
危惧した催淫剤はほとんど残ってなかったようで、構えたほどには反応しない。
正直言うと、体は気持ち悪くなかった。行為を終えたクラウスは、私を浄め、汚れたシーツを取り替えた。いつも清潔が保たれていたから、恐らく毎回そうしていたんだろう。
クラウスは何も言わなかったし私も聞かなかったけれど、何度か寝入り端にそれに気付いて、感謝の念すら抱いたものだ。
「ソウシさん、ごめんなさい」
「え?どうして贔屓ちゃんが謝るの?!」
「私、...」
「仲間を助けるのは当然だよ?それよりも私達がいながら、贔屓ちゃんをこんな目に遭わせてしまって...怖かったでしょ...」
「あ、怖かったのは、拐われた時くらいで、後は...なんて言うか...」
「そう、か」
「あの!私、何日くらい船に居なかったんでしょう」
「あの敵襲の夜から、今日で六日目だよ」
「六日...」
城に居たのは五日、かぁ。長かったような、短かったような。
その時、コンコンコンコン、とリズミカルにドアがノックされた。ソウシさんはちょっと待っててねと布団をかけてから席を外して、ボソボソと小声で話すとすぐに戻ってきた。
傷には消毒を、痣には酷い部分にだけ傷を避けて消炎剤を塗って、贔屓ちゃん、と沈んだ声で呼び掛けられる。
「はい」
「...今、きちんとした設備のある病院に向かってる。船長の知り合いだから信用出来る医師だよ。街も自由貿易が盛んな中立国だから、海軍の心配もまずないし、治安もそう悪くない」
「ソウシさん?」
「夜中には着くけど...」
「はい」
「えっと......気持ち悪いだろうけど、今は性器は触らないほうがいいと思うんだ。私は専門ではないし、デリケートなところだからね」
「あ...はい、ごめんなさい、そんなことまで気を使わせてしまって...」
「いやそうじゃなくて...はは、これじゃあ医者失格だね」
「そんなことないです!ソウシさんは立派なお医者様です。あの、だから」
「うん。言いたいことは分かるよ。でもそうじゃないんだ...ただ...いや、ありがとう」
誤魔化すように言葉を切ると、着くまで眠るといいよ、と言われた。いつも通りのような、こんがらがってるような、そんなことさえ分からないぼーっとした頭は、眠気を認めない。
体を起こして、冷めたコーヒーとマフィンを口に入れたら唾液が湧いた。そう言えば久しぶりの食べ物だ。素直に美味しいと感じた。
「ソウシさん。膣内の精子ってどのくらいの期間生存するんですか?」
「あ...。あ、そうだね。大体一日から三日と言われてるよ」
「なるほど。だけど一週間近く経ってるから、どっちにしても緊急避妊薬なんて無意味ですよね」
「贔屓ちゃん...」
「確か72時間以内でしたっけ。それに病気も気になります。検査出来るまでに時間がかかりすぎて、その間やっぱり気になっちゃうだろうし。そんな状態でここにいるのもなー。気を使わせるし、使われるのもやだし。っていうかソウシさん、実は私あんまりクラウスにされたことをなんとも思わないんですよ。変ですよね?普通はきっと傷付いたとか怖かったとか思いますよね?やっぱり私どっかおかしいのかな。あ、私いっそのこと船を降りて新しい街にでも住みます。そうしたらあああんなことがあったから仕方ないなってみんなそのうち忘れて」
「贔屓ちゃん!!」
取り憑かれたように捲し立てる贔屓を、ソウシは堪らず抱き締めた。
「あ、あ、私...」
今頃になって狼狽える贔屓は、余程感情を押し殺して耐えていたのだろうか。或いはナギの作ったマフィンを食べて、ようやく正気を取り戻したか。どちらにせよこうして吐き出すことは、決して悪い傾向ではない。ソウシは、泣きもせずに大人しくされるがままの贔屓を柔らかく包むように抱いたまま、船が着くまで背中をトントンと叩き続けた。
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