2011年11月19日(土)15:02
ブータンとシッキム王国
巷ではブータン国王夫妻の訪日で連日の報道が続いている。
若くてハンサムな国王と美しい花嫁、そして鮮やかな民族衣装に目を奪われるがブータンの置かれている状況は厳しい。
あえて、ブータンではなくブータンのお隣にかつて存在したシッキム王国について考えてみる。
シッキム王国は複雑な経緯で建国した国である。
詳細は省くがチベットが建国時にチベットに住む「宗教の違う人々」が
チベットを脱出して作った国で建国以来、チベットの属国のような位置付けだった。
一方当時よりチベットを属国と考えていた中国の清王朝は、間接的にシッキム王国もまた自国の属国と考えていた。
やがてこの地にイギリスが入り込みシッキム王国はイギリスの保護下に入る。
この時に、イギリスは茶葉の栽培という産業のための労働力として、ネパールから大量の移民をシッキム王国に送り込んだ。
植民地政策時代が終わるとイギリスの支配下にあったインドが独立、シッキム王国は今度はイギリスに代わってインドの保護下に置かれた。
国防や通信など国家の重要業務の全てをインドが代わりにつとめるようになっていく。
イギリス保護時代に流れ込んだネパールからの移民はこの頃人口の75%を越える勢いになり
シッキム王国の国家運営に大きな影響を持つようになっていた。
こうした様々な状況から、国家存亡の危機を感じたシッキム王国は国の決断を左右する議会の議席を維持するため、
人口比率ではなくシッキム王国の民族議席を確保する割り当て方式で持ちこたえていたが
ネパール移民は「たくさん住んでいる人間に合わせた政治をしろ」と、騒いだ。
インドの強い采配により選挙が行われ、議会はネパール人で占められた。
彼らが最初に議決して決めたことは2つ。
王政の廃止
インドへの併合
こうしてシッキム王国はインドの一部となり、シッキム国王もいなくなり、シッキム王国そのものが消滅した。
ブータンはこのシッキム王国の歴史をつぶさに見続けてきた国である。
中国とインドという2つの大国に挟まれた国は、例えばブータン、例えばチベットのように常にこういった脅威に直面している。
今回訪日されたあの若くて美しいブータン国王夫妻は、ブータンにとって「最後の希望」と言われている。
前国王はまだまだお元気であったのに国王の地位を息子に譲った。次代の自国の行く末を少しでも安定させるためである。
前国王が亡くなった時に必ずやインドや中国が強い覇権を主張して来るだろうと考えたからであろう。
先の大震災があった翌日、ブータンでは国をあげて国王主催の慰霊祭が行われた。
そんなことをした国は世界でブータンだけである。
国家予算に匹敵する義援金を送ってくれたことはあまりにも有名であり、あえて書く必要すらない。
昭和天皇が亡くなられた際には、国家として3ヶ月の喪に服したブータン国民。
ハンバーガーを食べながらバラエティー番組を見て日本人がギャハギャハ笑っていた頃、ブータンでは昭和天皇のために長い長い祈りが捧げられていたのだった。
若く美しい国王夫妻は「震災で経済はめちゃくちゃ、国土も食べ物も放射能で汚染されている!」と世界中で言われている日本を、自分たちの新婚旅行の地に選んだ。
同時にこの日本への旅はブータン王国の国王夫妻としての、初めての海外公務でもある。
ブータンでは国民はみな民族衣装を着るという決まりがあるが、これは大昔からの伝統的な決まりではなく、最近改めて制定された国のルールである。
ブータンがブータンであり続けるために、国民の気持ちを一つにしていこうということから始められた政策である。
東京で京都で、そして福島でも、国王夫妻は華やかな民族衣装を身につけて旅を続けた。
父王の思い、国民の思い、今は無きシッキム王国の歴史、チベットの現状、自国を待ち受ける厳しい未来
国王夫妻はいろいろな思いをあの民族衣装で包んでいるに違いない。
世界中の国々がそれぞれ自国の利益を考えて行動している。
当然だろう。
互いの利益が衝突する時もある。そのためにたくさんの命が失われ、多くの文化が消え、また新たに生まれる。
止めようがない、仕方がないことだ。
とは言えやはりもの悲しい。
今回のブータン国王夫妻の訪日をインドや中国では
「ブータンが中国とインドに対抗するため日本を味方につけたいんだろう」
「日本の皇室への無駄なご挨拶回りだ」
「先々の経済援助が狙い」
「我が国を差し置いてなんたる失礼」
と報道されているようだ。
それでも強い意思でブータン国王夫妻はやってきた。
ブータン国民は世界中の重要人物の誰もが今最も行きたがらない「放射能で汚染されている国」へ、
彼らの「最後の希望」を送り出した。自国内では国王夫妻の旅の安全を願う不眠不休の祈りが
帰国まで一秒も途切れず続けられているとのことである。
私は、チベットもネパールもブータンもインドも行ったことがあります。
もしまた長い旅をすることができる時が来たら、もう一度あの辺りの国々を訪れてみたい。
もしかしたらあの頃分からなかったことが、次の旅では見えるのかもしれない。
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