此方に、背中を向けて……泣いている。その姿に胸が苦しくなった。笑っているのを見た時よりも、数倍苦しいと思う。 泣くな…… そう思っても、声にならない。 笑ってるのを見ても、泣いてるのを見ても苦しいのは何故だという疑問も浮かんだが、「どうして泣いている……」それに打ち消された。 「遅く……なった……」 やっとの事で出た声に、ナマエは驚いたのか体を跳ねさせた。 「へっ、兵長。 気付かずに……すみません」 振り返ったナマエは、見た事の無い、辛そうな顔をしていた。 そんな顔は見たくねぇ…… 咄嗟に近寄り、腹に抱える様にして隠した。 「こんな……所で、誰かに、何かされたか?」 ナマエは腕の中で首を振り、「違います」と言って俺を見上げた。 「なら、どうして止まらねぇ……?」 「すみません……」 顔を歪め、更に溢れ出すのを止めたくて、屈んで抱え込んだ。どうすりゃ良いのか……俺は知らねぇ。 「泣かないでくれ……」 遅れて悪かった、会議だったんだ、走って来たんだ、許してくれ……と、何を言えば、どうすれば泣き止むのかわからずに、俺は言い続けた。 「……俺には、笑ってくれねぇのかよ……なぁ」 最後の言葉に、俺自身が驚いた。 俺は、一体何を……? 「へい……ちょう」 「……なんだ?」 「わ……たし、悪いこと……しましたよね?」 悪い事……? 「ごめ……なさい、もう、近寄りません。それ……と、訓練兵の時助けて貰ったのに、ちゃんとお礼出来なくて、すみませんでした。……ありがとうございました」 もう、近寄らねぇ? あの時の礼? 頭が混乱していた。ナマエが言った事に気を取られ、緩んだ腕からナマエが抜け出し、立ち去ろうとした腕を咄嗟に掴んで引き戻した。 「違う……お前は悪くねぇ」 「でも、凄く嫌そうで……」 「あぁ、嫌なんだと思ってたんだ」 「……」 「だが、それなら……俺は何しに談話室に行ってたんだ?」 「……? わかり……ません」 「お前のいる日しか、行かなかった」 そうだ、そもそも、俺は何でナマエを助けたりしたんだ? 俺はそんな奴じゃ無かった筈だ…… ふとナマエを見ると、あの時のナマエと同じ顔をして俺を見ていた。困った様な、怯えた目をして。 「守ってやりたいと……思ったんだ」 絡まってこんがらがって、歪んじまっていた疑問と矛盾がスルスルとほどけていき、ハンジの言った答えを見つけた。 「兵長……?」 「聞いてくれるか?」 「私も、聞いて貰いたい事があります」 そこで漸く、温室の中は甘い花の香りで満たされている事に気付いた。俺は、どれだけおかしくなっていたのだろうか? と、大きく深呼吸をした。 ベンチに並んで座り、ガラス越しの歪んだ月を二人で見上げた。 「あの日、救護室から逃げる様に走って出て行ったのを、俺は追ったんだ。だが、皆に囲まれて笑うのを見ちまって、やはり俺は怖いだけなんだろうと……そう思ったんだ」 それから、きっと悔しくてその事を忘れちまった。だから、再会してもわからずに、見る度に苛つき、胸が苦しくなるのを……どうにも出来ずに嫌な態度になったのだと話した。 「最初は、書類で道を塞いでしまって、叱られると思いました。でも、噂で聞いていた兵長と違って、とても優しくて、私は恥ずかしくて逃げてしまいました」 それからナマエは、必死で訓練をして、態々此処まで礼を言う為に来たのだと言った。けれども俺の態度で、あの日の事など覚えてはいないのだと思ったと……俯いた。 「兵長に悪い事をしてしまったのだと……思いました」 「嫌な思いをさせちまって……悪かった」 「そ、そんな……私が勝手に」 「お前は俺を見て笑わねぇから、腹が立った。他の奴には笑い掛けていたよな……」 「それは……緊張してしまって……」 「そうか……」 「怖いとかでは無いんです」 「そう……か」 ホッとした様な、そんな気持ちになった。 「ずっと、兵長に会う事を考えていたので、いつも思い出すのは、あの時の兵長で……」 「……?」 「ずっと考えていたので……私はきっと、し、失礼だと思いますが、恋をしていたのだと思います」 頬を両手で包み、顔を逸らしてナマエは言った。 それは……どういう意味なんだ? 「俺はきっと、あの日のお前に惚れちまったんだろう」 俺の半分も生きてねぇ様な……ガキにだ。おかしいと思われても仕方がねぇ。だが、そんな感情など知らなかった。 「悪い事をしたな。もう、俺の事など気にする事はねぇ」 それは、どういう意味……? 「兵長は……いえ……」 「……? 言いたい事は言って良い……」 「いっ、今の私は、嫌いですか?」 あの日の私にと言ったけれど、それで嫌な思いをしたのならば、嫌われても仕方がない。 困った顔の兵長を見て、私は小さく息を吐いた。 「その……逆だ。だが、俺の事を知っているだろう? こんな奴に好かれて喜ぶ奴は居ねぇだろうからな」 とても寂しそうに見えた。確かに噂は聞いているし、それは悪い事ばかりだったけれど、私は知っている。とても、優しい人だと。 「噂は知っています。でも、私は兵長がとても優しい人だとも知っています」 「……」 「兵長が嫌じゃなければ、好きでいても良いですか?」 さっきも、私を泣き止ませようとして、きっと一生懸命話してくれていた。 真っ直ぐに見れば、顔を逸らしてしまう。 「良いも悪いも……俺が決める事じゃねぇだろう?」 「……はい」 「なら、俺も……」 「それは……兵長が……」 急に恥ずかしくなった私も顔を背けてしまったら、抱き締められた。 顔を背けられ、寂しく思った俺は、ナマエを抱き寄せていた。 「お前を好きでいても良いか……?」 頷いたナマエを、離してやらねぇぞと言わんばかりに、強く抱き締めた。 鼓動が早くて胸が苦しい……これは嫌悪でも何でもねぇ、恋というものだったのか。 「俺とお前は……その、互いに好きという事で良いのか?」 「そう……ですね。嬉しいです」 「嬉しい……あぁ、そうだな」 俺達の関係は"恋人"というもので良いのかと、ナマエが言った。その言葉にすら、揃って顔を背けた。 ガキじゃあるまいし…… そこで気付いた。 ナマエはまだ……ガキじゃねぇか、と。抱き締めただけで、欲しがっている。この衝動と欲情に気付かれる訳には行かねぇんだと思うと、そのまま抱き締めている事すら危険だ。 「兵長……?」 「もう、遅い。部屋まで送る」 そっと離してドアの方へと踏み出したが、振り向いてナマエの方へ手を出してみた。 俺の手を掴み、ナマエは初めて俺に向かって欲しかった笑顔を見せた。途端に苦しくなる胸も、落ち着かねぇのも、もう間違える事はねぇだろう。 繋いで歩く手は、温かくて……驚く程心地好かった。 翌日、ハンジには「答えがわかった」とだけ報告した。 だが、その数日後、俺は驚くべき事実を知った。 ナマエと付き合う事になったのは、あっという間に知れ渡り、ナマエの幼馴染みだという兵士と話していたのだが…… 「ナマエもそろそろいい歳なのに、相手もいないんじゃないかと心配してたんで、安心しました」 「いい……歳?」 「自分と同じ歳なんですよね……何で今新兵なのかわからないですが……」 「お前、いくつだ?」 「19で、今年20歳になりますが……」 「……同じ歳、なんだよな?」 「はい……って、もしかして知らなかったんですか?」 有り得ねぇ…… 「まあ、小柄というにも小さくて、顔もかなり童顔だけど、確かもう誕生日過ぎてるんで……あ、兵長?」 俺はフラフラとそいつを残し、歩き出した。 ナマエは成人している……? まさかと思う容姿に、誰に言っても信じねぇだろうと思いつつ、俺はハンジの所へ行った。 「なぁ、ナマエの年齢……知ってるか?」 「え? 急に何? 新兵だから、15か16歳位でしょう?」 「違うらしいんだ……」 「えぇっ? もっと下ってこと?」 だよな……普通そう思うよな…… 「成人してる……」 ハンジは、口に含んだ紅茶を吹き出し、モブリットは、そこに書類をぶちまけた。 汚ねぇな…… 片付け、揃ってエルヴィンのところへ行って記録を漁れば、ナマエは16で訓練兵になっていた。 「ああ、この娘は一般志願だったらしいんだが……見た目の幼さに、振り分けを間違えられたらしいんだ」 「……だろうな」 「だが、まあ、立派な兵士になったし、本人もそれで良いと言ったらしいんだ」 「そうか」 「でもさ、当時どれだけ幼く見えてたんだろうね……今であれじゃ……」 あぁ、他の奴よりも幼く見えた。 そこで気付いたのだが、俺の感覚はおかしいのだろうか? そんなガキに惚れちまった……って事か? と、頭が痛くなった。 だが、歳相応な事は出来るという、期待がそれらを押し遣った。キスしかした事はないが、その先へと期待は膨らみ、自室に呼んだ。 紅茶と菓子を出して、膝に乗せた俺は、服の中は美味そうな体つきだと……柔らかいラインに沿って撫でていたのだが…… 「兵長……くすぐったくて食べられないです……」 「なら、菓子は後にして、お前を先に食っちまうか」 「……私は食べ物じゃないです」 その返事に、精神年齢も見た目と同じなのかと愕然とした。 「今夜は、俺と寝るかと訊いてるんだが……」 「自室で寝ないといけないですし、ちゃんと帰れます!」 子供扱いしないで下さい……と、頬を膨らませたが、いや、充分ガキだとわかった。俺の期待は見事に粉砕されちまった。 「あぁ、悪かったな……ほら、もっと食え」 「ありがとうございます!」 満面の笑みで俺を見ている、今はそれで……我慢らしい。今度はまた、以前とは違う苦しさに悩まされそうだが……な。 End [ *前 ]|[ 次# ] [ request ]|[ main ]|[ TOP ] |