From the beginning 1


夜の10時を少し過ぎた頃……俺は蹴破りそうな勢いで、救護室のドアを蹴っていた。
両手は……女を抱き抱えているから使えない。

「誰か居ねぇか! 開けてくれ!」

もう、いっそのこと蹴り破ってやろうかと思った時、ドアが開いた。

「こんな時間にどう……」
「急いでコイツを診てやってくれ!」

頭からは血を流し、顔には殴られた様な痕と、口の端からも血が流れた痕があり、意識は無い。

案内され、診察台にそっと下ろしたところへ、医者が姿を現した。
数人の看護兵と医者が女……ナマエを囲むように立った。

「状況を教えてください」

茫然自失といった様子で立ち尽くしていた俺に、看護兵が声を掛けたが……

「俺が……やった……」

そう返すのがやっとで、時間がどれくらい経っているのか、意識はあったのかなど質問が続いているが、全く思い出せない。
気付いたら、足下にナマエが血を流して倒れていた。

「……わからねぇんだ…………」

一瞬、全員が警戒したのがわかった。

「これ以上何かするつもりも、逃げるつもりも無いが、必要なら拘束してくれ。それから、誰か……エルヴィンを呼んで来てくれないか……」
「団長ですか?」
「あぁ、事件は知らせる義務があるだろう? それに……ナマエはエルヴィンの妹だからな……」

俺は床に座り、両手を後ろへ回した。拘束しろと目で訴えて……項垂れた。




エルヴィンが救護室に駆け付けた時には、ナマエの治療は終わり、診察台から入院用の個室のベッドに移されていた。
俺は…… 後ろ手に拘束されてはいたが、エルヴィンが来るまでは側に居たいと言って、ベッドから一番遠い床に座っていた。

複数の足音と話し声が近付いて来た。
エルヴィンと医者と……ミケ辺りだろうと思えば、開いたドアから予想通りの三人が入って来た。
俺には目もくれず、ベッドに駆け寄るエルヴィンとは対照的に、ミケはいつもよりも更に低い位置の俺を見下ろした。

「話を聞きたい」

表情の無い顔でそう言ったミケに頷き、立ち上がると部屋を出た。

「地下に拘束してくれ。話はそこでしよう」
「わかった。行こう」

ミケはそれ以上何も言わずに、羽織っていた物を俺に掛けた。まるで、拘束を隠すように……

「……すまねぇ」

腕を掴むでもなく、並んで歩く。逃げたりなどしないだろうと信用されているのかと思うと、胸が痛んだ。

靴音だけが響く通路はいつもよりも長く感じた。
その先には、古巣を思わせる仄暗い地下牢への入り口が、待ち構えていた。
足を踏み入れれば、不快な筈の、湿り気を帯びた空気がまとわり付く。それも、今の俺には似合いだと足を進めた。

「ここでいいか?」

牢の外にある机を挟んで置いてある椅子に座れと言われたが、俺は牢の中に入り……しばらく使われていないだろう寝台に腰を下ろした。

「何が……あった?」

中に椅子を持ち込んだミケは、向かい合う様に正面に座った。

「俺にもわからねぇんだ……気が付いたら足下に血を流して倒れていた」
「お前の部屋か?」
「いや、執務室の方だ」
「そうか」

ミケは顎に手を当て、考える仕草をした。暫くして、また質問をしてきた。

「ずっと一緒だったか?」
「いや、アイツが来たのを俺は知らない……覚えていないと言うべきか?」
「それまでは何をしていた?」
「……」

そういえば、その前は何をしていた?

「俺は……」

思い出しながら、ゆっくりと話し始めた。

書類が片付かず、夕食も取らずに没頭していて、終わったのは9時を少し回った頃だった。その時は一人だった。
エルヴィンの所へは、明日の朝……会議の前に出すつもりで席を立った。
そのまま自室に戻るのも億劫で、ソファーで少し休もうと思って横になった……

「その後は?」
「……気付いたら、足下に倒れていた」
「誰か侵入したとか、無いのか?」
「たぶん、それはねぇ……。いつもなら、ドアの前に人が立てばわかる」

なら、何故ナマエはそこに居たのか……

「ナマエと約束は……していたのか?」
「いや、何もない」
「鍵を握るのはナマエだな」
「あぁ……」
「目覚めるまでは、ここに居てもらうことになるが……」

気遣う様な目が俺に向けられたが、黙って頷いた。

「エルヴィンに伝えることはあるか?」

身内の事だから、エルヴィンは今は来れないのだろう。

「……何を言っても変わらないだろうが、俺は……傷付けたいと思った事はない。どんな結果にも従うと……伝えてくれ」
「リヴァイ……」
「もう……アイツにも会えねぇかもしれねぇな……」

俺は救護室があるであろう方向を見上げて……そう言った。

ミケが無言で拘束を後ろから前へ付け替えた。行動を制限する長い鎖も付けられ、俺は何故かホッとした。




眠れぬまま、たぶん夜が明けたのだろう……人の気配が近付いて、ハンジが食事を持って来た。

「リヴァイ、起きてるかい?」
「あぁ……」

目だけを向けて返事をした俺に、困った様な顔を見せたハンジから、目を逸らした。

「食事は要らねぇから、持って戻ってくれねぇか……」
「要らないって……」
「次からは用意しないでいいと伝えてくれ」

そう言うと、ハンジは諦めた様に此方を見た。

「そんな事、誰も望んでないよ?」

寂しそうに「食べないとナマエが心配する」と続けたが、俺は首を横に振った……

「アイツを傷付ける奴がいたら、殺してやりたいと思ってた。まさかそれが、俺自身になるとはなぁ……」

自嘲気味に言った俺を、ハンジは黙って見ていた。

「このまま目覚めないような事があれば……いや、目覚めたところで、俺は使い物にはならねぇだろうからな」

俺はまっすぐにハンジを見た。

「もう、此処へは来ないでくれ」

それっきり、俺は背中を向けて何も話さなかった。何を言っても無駄だろうと思ったのか、ハンジは最後に……

「リヴァイは意外と弱虫だったんだね」

そう言い残して……気配が遠ざかった。

万が一の時は……身内の恨みを受けなきゃならねぇから、死ぬ訳にもいかねぇ……
恐怖よりも、悔しさでおかしくなりそうだと思った。


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