〜月が見ている蒼い夜〜 「眠れねぇ……」 いつもと変わらない夜の筈だが……寝付けないのは、部屋がやけに明るいからだろうか。 元々、眠りは浅いし長くも眠れないが、だからといって寝なくても良いという訳でもない。 大きな丸い月が、窓越しに輪郭を歪ませて、妖しげに笑っている様に見えた。 「茶でも飲むか……」 誰に言うでもなく、身体に指示を出すべく発した言葉に従い、俺は食堂へ向かった。 昼間の明るさと違って、月明かりが溢れる通路は、見慣れたものとは何かが違う様にも思えた。 (扉を開けたら別世界とかありそうだな……) 一瞬、開けるのを躊躇してしまったが、開ければ何の事はない、ただの食堂で……満月に惑わされたかと自嘲した。 「あれ? リヴァイ……?」 声に振り向けば、厨房からナマエが顔を覗かせていた。 「何か飲みに来たんなら、今紅茶淹れるけど、飲む?」 「あぁ、俺にもくれ」 「じゃあ、適当に座って待っててね」 ほぼ同じ時期に兵団に入った……自称同期のナマエは、他の奴等と違って最初から俺にも普通に接して来た……変わった奴だった。 窓に近い席へ行き、椅子を窓辺に寄せて、空を眺めながら座っていれば、カップの当たる音と足音が近付いて来た。 「……悪いな」 テーブルにトレイを置いたナマエにそう言えば、「ついでだから」と紅茶を注いでいる。変に気を遣わなくて済むし、気を遣わせていない様に思えるこの関係が、俺は気に入っている。 「リヴァイも寝付けなかったの?」 「あぁ……お前もか?」 「うん。何か考え事してたら目が冴えちゃってさ……」 どうぞ……と、カップを差し出しながら、少し困った様な顔をしたが、すぐにいつもの顔に戻り、窓の方を見た。つられて俺も月を見上げる。 「今夜は満月なんだね」 そう言ったナマエへ目を移せば、蒼白い月明かりに照らされた横顔や、ふわりと波打つ髪は息を呑む程……綺麗だった。 「月をね……」 「ん? ……なんだ?」 いきなりこっちを向いて話し出すナマエに、焦りながらも答えた。 「月をカップの中に映して飲むとね、ツキ……幸運が訪れるんだって……」 「……」 「ほら、こうやって……」 自分のカップを持ち、座っている俺の前へ屈んで見せる。ゆらゆらとカップの中で揺れる月は、そこに墜ちて捕らえられ、もがいている様にも見えた。 それよりも、大きく胸の開いたワンピースでそんな格好をされたら、視界に入るそこに……誰だって目が行くだろう。 (誘ってるのか……?) ハッとして、それはねぇな……と、視線をカップに戻した。 「あぁ、確かに映ってるな……」 「それを飲むだけって、簡単だけど……試してみたくならない?」 悪戯っぽく笑い、窓の方へ向き直り……カップの中を確認する様に覗き込んでから、ナマエはゆっくりと飲み始めた。 俺もテーブルに置かれたカップに手を伸ばして取った。 「こんなもんで幸運が手に入るなら、誰も苦労はしねぇよなぁ?」 「リヴァイは夢がないなぁ」 「……現実的だと言ってくれ」 半信半疑と言うよりも、全然信じていない風な俺に、クスクスと笑う。 「それでもさぁ、そんな事にも頼りたくなる様な時だってあるじゃない?」 「あぁ、そうかも知れねぇな。お前は、そんな気分なのか?」 ナマエはまた一瞬だけ、少し困った様な顔をした。 「そ、そろそろ飲めるんじゃない? 猫舌のリヴァイでも……」 「なっ……」 「何で知ってるかって?」 「あぁ……」 「そのくらい見てればわかるよ。カップは持ってても……いつもすぐには口をつけないでしょう?」 優しく微笑んだナマエに胸が鳴った。 俺もツキとやらに頼りたい気分になって……ナマエの言う通り、飲み頃になったカップに月を映して口をつけた。 ほんのりと甘い気がするのは、眠れない俺への気遣いだろうか……? 気持ちまで温かくなる様な、ゆったりと寛げる時間は久しぶりだと思った。 ゆっくりと飲み干し、カップを置いたが、まだ部屋には戻りたいと思わなかった。 二人きりの食堂で明かりは月明かりだけ……黙って月を見上げるナマエを俺は見ていた。 「月が……綺麗ね……」 ナマエがうっとりとした表情で呟いた。 俺は「お前の方が綺麗だ」と言いそうになったが 、言える筈も無く…… 「そうだな……」 そう、呟いた。 「こんな風にゆっくりと月を眺めるなんて……いつ以来かなぁ……」 「俺は……初めてだ。地下には月は出ねぇからなぁ……地上に出ても、ゆっくり眺めるなんて事も無かったしな」 「……ごめんなさい」 ナマエは申し訳なさそうに俯いてしまった。 「……変な気を遣わなくていい。別にそれを、俺は何とも思っちゃいねぇよ。悪かったな……」 「リヴァイは悪くないよ! ね、ねぇ、せっかくだから……月光浴しようよ」 月を見上げ、軽く手を広げながら目を閉じるのを見て、俺も座ったまま月を仰ぎ……目を閉じた。 目を閉じても伝わる穏やかな光を感じていたら、光を遮られた気がした。直後に柔らかくて温かいものが唇に触れた。 一瞬、押し付けられた様なそれは、少しずつ力を無くして離れていくのを感じた。離れるのが惜しくて、追う様に立ち上がり……もっとしたいと押し付け、ナマエも窓に押し付けた。 夢中で、何度も何度も合わせていると、薄く口を開いた。これが幸運なのかと……奥へと滑り込ませ、絡めて捕まえた。今まで抑えてきたものを伝えるかの様に……甘く長い時間…… 力無く押し返そうとする手に我に返りゆっくりと離せば、二人を繋ぐ光。それすら惜しいと顔を寄せた。 「ナマエ……」 耳にキスをして……耳元で囁けば、軽く身体を震わせる。 「お前が……欲しい」 堪えきれずにそう言うと、ナマエも俺の耳にキスをして…… 「返品出来ないよ」 そう言って俺を抱き締めた。 「このまま、続きやるか?」 「そ、それは……誰かに……」 見られたら恥ずかしいと口ごもるナマエに、ずっと見られていると言えば、キョロキョロと辺りを見回している。 俺は空を指差した。 「アイツ(月)がずっと見てる……」 こんな幸運があるのなら…… 眠れぬ夜も……悪くない。 End [ *前 ]|[ 次# ] [ main ]|[ TOP ] |