心で抱いて想いに触れる


「……俺と別れてくれ」

ナマエと付き合い始めて半年……そろそろ限界だった。

「……理由は?」
「俺はお前を幸せには出来ない。それはお前が一番よくわかっているんじゃねぇか?」
「……」
「すまねぇ……」

黙ったままのナマエの横を、俺は顔も見ないで通り過ぎた。

(ダメなのは俺だ。お前は悪くねぇ……)

ナマエは何も言わずにずっと笑っていてくれた。それが逆に辛かった。
行くあても無く歩いていたら、二人でよく来た見晴らしの良い丘に来ていた。

足元には色とりどりの花が咲いていて、一人で来るには不似合いな場所だったんだと胸が苦しくなる。
花に埋もれる様に体を投げ出せば……澄んだ青空が視界いっぱいに広がって、此処が壁の中だとか、壁の外には巨人がいるとか、そんな事は別な世界の話の様な気がした。

花の匂いのする風が吹いている。
嫌いになどなれないから、余計に苦しい。俺はまだ、ナマエに……キスはおろか、触れた事すらない。誰に聞いても『有り得ない事』だと言われるだろう。

ナマエは頭のいい女だ。
潔癖性と言われる俺だから、そうなんだろうと理解してくれていたんだろう。確かに、それもある。
以前、不意打ちを食らい、告白してきた奴にキスをされた事もあるが……その場で吐いた。相手もショックだっただろうが、それは俺も同じだった。

(もし……同じ事が起こったら……)

起こらないかもしれない。
だが、起こるかもしれない。

両手を空に向かって伸ばす……血に染まったそれは、記憶の中のままに見えて……触れる事が出来ない。
汚れた手で触れたら……あいつを汚してしまう……でも、触れたい……抱きたい……。
いつか、反動で滅茶苦茶に抱いて壊してしまうだろう……恐怖。

俺は、逃げ出した……





「ハンジ居る〜?」

私は珍しく勢い良くドアを開けた。
中に居た、ハンジと数名の班員がギョッとした顔でこちらを見ている。

「ナマエ……リヴァイ化してるけど、どうしたのさ?」

眉間をトントンと指で叩きながら訊いてきたハンジに、班員達もブンブンと大きく頷いている。

「あー、うん、ちょっと……」

ちらりとハンジから周りの班員に視線をずらせば、「書類出来たらまた来て」と人払いをしてくれる辺り、流石……長い付き合いの友だと思ってしまう。

「で? 今回は何が……」
「リヴァイに振られた!」
「はぁ?」
「だから、アイツが私を振ったの!」

怒りで声が震えているのがわかる。

「理由は?」
「『俺はお前を幸せには出来ない』だそうですよ。納得出来ると思いますか?」
「出来ないよねぇ……?」
「出来るわけがないでしょう? だから、あれ貸して!」

人差し指と親指を伸ばし、他の指は握ってハンジに向けた。

「弾丸(タマ)は要らないから、お願い……」
「殴るのなら違う物をオススメするけど?」
「脅しに使うだけよ。下手な物使っても騙される相手じゃないからね」

物騒な奴等だ……そう言いながら、ハンジは隣の部屋へ消えた。

振られて……悲しいよりも怒りが込み上げて来た。全部抱え込んで、何にも話してくれないリヴァイにも、話しても貰えない自分にも、腹が立った。
付き合う前から見ていたから、わかっている。納得して……それでも伝えたかったから、私は告白した。

「お待たせ。壊さないでよね?」

そう言いながら、私の手に握らせたのは……護身用のリボルバー式の拳銃。

「ありがとう。連れ戻せるか賭ける?」
「勝算がなきゃここまでやらないでしょ? 賭けるだけ無駄だよね〜?」
「そうね。お礼するから考えておいてね」

にっこりと笑って、ハンジにそう言って部屋を出た。
足は自然と……リヴァイには不似合いな、いつもの場所に向かっていた。




答えの出ない事を……考えていた。
没頭していたのか、かなり近くなってから、良く知る気配が近付いて来ている事に気が付いた。

舌打ちと同時に立ち上がり、気配のする方にナマエの姿を見て、背を向けた。

「止まって! リヴァイ!」

その声に一瞬怯んだが、一歩前に踏み出した。

「止まらないなら、私の心臓を撃ち抜く!」

ナマエの言葉に動けなくなった。
続いて聞こえた危険を知らせる音に、最早……両足はその役目を果たす事すら出来ずに地面に膝をついた。

「何故……」

振り返ることも出来ずに、俯いた。

「捨てた女が死のうが生きようが……関係ないんじゃないかしら? それとも、後味が悪いからかしらねぇ?」

そう言いながら、一歩ずつ近付いて来るのを感じながら、どちらも違うと首を振った。
背中に硬い物が当てられた。危険な音がした……後は引き金を引くだけの状態の拳銃は、確実に俺の心臓を捉えている。

「リヴァイ……貴方が悩んでいる事も、苦しんでいる事も知ってる。今、ここで全て終わらせてあげようか?」
「……あぁ、そうすれば良かったか。でも、それはお前がやる事じゃねぇよ。それを寄越せ」

そうだ、お前の手を汚させる訳にはいかねぇ……奪い取る事も出来るが、間違って傷つける訳にもいかねぇ……
その時、背中の物が更に強く押し付けられた。

「私が貴方を殺してあげる。そうしたら、私も貴方と同じ。後を追ったら……同じ所へ行けるでしょう?」

震える事もなく、確りと押し付けられた拳銃に迷いはない。
……どうしたらいい?

「俺は……どうすれば良かったんだ……?」
「どうすれば良かったか? 過去は変わらないわ。だから、今選んで。私と生きるか、一緒に死ぬか」

撃鉄を引いた音は軽かった。銃弾(タマ)は入っていないかもしれない。でも、ナマエの覚悟は本物なのだろうと思った。
その時、ナマエの左手がそっと俺の頬に触れた。震える指先は、拒絶される事を恐れているのだろうと感じた。

……ナマエも、俺に触れてきた事は無かった。
遠慮がちに触れていた手が、頬を包む様に当てられ、俺は全身に力が入り、体を震わせた。驚いただけで、嫌じゃ無かった。
温かさと心地好さに、驚いて少し離したナマエの手を、追う様に頬を擦り寄せていた。

「ねぇ、リヴァイ……貴方が触れられないのなら、私が貴方を抱き締める。それすらも辛いならば、私は言葉で貴方を抱き締める」
「ナマエ……」

拳銃を外し、ナマエが俺の前に回り込んで、同じように膝をついた。

「……いい?」

そう言ってゆっくりと両手をこちらに伸ばして来た。俺は頷いて目を閉じた。

俺の顎を肩に乗せるようにして、そっと体を引き寄せる。一瞬、振り払いそうになったが……力を抜いて、凭れ掛かる様にすれば、最初は恐る恐る回した手に少しずつ力が入った。

「リヴァイ……嫌じゃない? 我慢……してない?」
「あぁ……平気……だ。あったけぇ……」

震える声にそう返せば、更にぎゅっと力を込めて抱き締められた。
だらりと垂れた俺の腕も、ナマエの背中の方へと少し上がった。それに気付いたのか、ナマエが俺の背中を優しくトントンと叩き始めた。

「触りたいと……抱き締めたいと思ってくれたなら、そうしていいのよ?」
「……」
「無理にとは言わない。でも、覚えておいて欲しい。私はリヴァイの手が好き。皆を守る優しい手だって知ってるから、私は汚れたりしない、拒絶したりしない……いつまでも待つよ」
「……ナマエ……っ……」


考えるよりも早く、両手がナマエの背中に触れた。
慌てて離したが、そっと触れてみた。

「俺の手も……温かいか?」

そう訊くのがやっとだった。

「温かいよ。嬉しい……やっとこうする事が出来た……」
「すまねぇ……」
「ねぇ、リヴァイは……まだ別れたいと思ってる?」

ナマエは寂しそうな声でそう言うと、スッと俺から離れて立ち上がった。
何歩か歩いて、背中を向けたまま立ち止まり、返事を待っている様だったが、俺は何と言えばいいのか……言葉が出なかった。

「私も不安だった。頭では理解していても、魅力が無いのかな……告白、断れなかっただけなんじゃないかな……って」

毎日、毎日、いつ別れようと言われるのかと不安だった……と。

俺も立ち上がり……後ろからそっと抱き締めた。俺もずっとこうしたかったんだと囁いて、ナマエの匂いを感じながら……一緒に生きたいと強く願った。




あの後……特に変わった事もないが、自然に触れ合う事が少しずつ、増えていた。
今日も俺は会議を終え、ナマエの待つ執務室へと向かった。

あの時の答えは未だ……伝えていない……

End


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