晴れのち雨、ところにより恋


「ええっ? ダメだったんですか?」

ナマエの声に驚いて振り向いた。
どうやら車軸は合う物が無かったらしいが、明日には作ってやるからと笑う親父に頭を撫でられていた。

「へ、兵長……どうしましょう、困りました」
「あぁ、そうだな。雨まで降り出しやがった……」

御者はいろんな場所の咄嗟の修理の仕方等を教わりながら泊めて貰うそうだ。

「その先を曲がった所に1軒だけ宿がある、兵士さん達はそこへ行くといい」
「わかった、宜しく頼む」
「ああ、任せておけ、明日は帰れる様にしてやるさ」

豪快に笑いながらも、目は真剣に作業を進めている。
任せておけば大丈夫だろう……と、俺はその場から離れて歩き出した。

「ま、待ってください……」
「被っとけ」
「でも……」
「風邪ひいて帰れなくなってもいいのか?」

上着を脱いで投げてやると、また、困った顔をしたが、「帰れないのは困ります」と言って被って着いて来た。

「……申し訳ありませんが、部屋はひとつしか空いてないんです。どうなさいますか?」

宿でも問題発生か……だが、仕方あるまい。

「それでいい、一晩頼む」

鍵を渡されて振り返れば、案の定……困り果てて青褪めていた。

「行くぞ……」

かなり離れてはいるが、歩いて来た。
部屋に入ると、ドアの前から動こうとしない。

「何を考えているかは大体想像がつくが……取って食いやしねぇから、そこまで怯えるな」
「……」
「冷えただろう? 風呂に入って来い」
「で、でも……」

オロオロとするばかりで、足は一向に動く気配がなかった。
俺の噂を真に受けている証拠だろうと思うが、俺はそこまで鬼畜じゃねぇぞと自嘲した。

「ベッドはお前が使っていい、俺はソファーで寝る。近寄らねぇから安心していい」
「そ、そんな、それは申し訳ないです」
「俺がいいと言ってるんだ、さっさと行け」

今度はまた違う事で悩んでいる様子に、命令だと言ってやれば、それでももたつきながらもベッドの方へ歩いて行った。

「兵長……すみません」

何に謝っているのか、俯いたままだ。

「お前が謝る事は無い、早く風呂を使え、ゆっくり暖まって来い」
「は、はい」

今度はバタバタと走って風呂場へ消えた。

俺は漸く深く息を吐いた。今日だけで、更にナマエに近付きたいと、自分のものにしたいという想いが強くなった。だが、それは俺だけだ……

あそこまで警戒されて、手を出せる筈もねぇ。今夜は寝れそうにねぇな……と、額に手を乗せてソファーに倒れ込んだ。

脱衣所の薄い扉からは、服を脱ぐ音が聞こえている。嫌でも耳が拾い、見てもねぇ姿を映像化する頭をどうにかしてくれと、無理矢理違う事を考えようとするも、馬車で抱き留めた感触を思い出して失敗した。

クソっ、逆効果じゃねぇかよ……




浴槽にお湯を入れて、綺麗に洗ってから浸かった。

まさかこんな事になるなんて……

兵長の噂は沢山ある……全部が本当だとは思わないけれど、それだけあるという事は、逆に全てが嘘ではないのだろうと思った。

夜に同じ部屋に居たら、確実に奪われる……仕事先で泊まりの場合は必ず部屋に娼婦を呼ぶ……手当たり次第に連れ込んでは……って、流石にそれは……無いよね?

ぐるぐると考えていると、怖かった筈だけど、どうしてなのか……期待している様な自分もいる事に気付いてしまった。

兵長は……優しい人だと思う。

馬車での出来事も、とても優しく感じた。御者さんにも、普通ならどうにかしろと言ってもおかしくは無いのに、ずっと馬車を走らせて来たから、休んでいろと言って、自分から歩くという選択をした。食事も、仕事をしながらでは味わえないだろうって……さっきも、服を脱いで私に貸してくれた。

へ、兵長になら……

そこまで考えて、そろそろ出ないと逆上せてしまう……と、思ったけれど遅かったみたいで、出ようとして浴槽の縁に足が引っ掛かって倒れてしまった。

こんな時ほど派手に音がするもので、倒れた拍子に手桶を弾き飛ばしてしまい、浴室に大反響していた。

お……起き上がれない……




いくらなんでも遅いと思いながらも、覗く訳にも行かず、寝ながら組んだ足を指が叩いていた。
だが、浴室から鈍い音と甲高い音が響いた。

まさか、逆上せたのか……?

扉の開く音がしない、これは覗いても許されるだろうと開けてみると、ナマエが倒れていた。

「暖まるにも限度ってもんがあるだろうが……」
「へ……ちょ……」
「意識はあるな、連れていくぞ」

タオルで包み、抱き上げてベッドへ運んだ。そのままじゃ俺がヤバいと、シーツを掛けてその場を一旦離れた。

想像で止めておきたかった素っ裸を見ちまった。危うく食らい付きそうになったのを蹴散らす様に、冷たい水で顔を洗い、濡らしたタオルを絞った。

「暫く乗せとけ。気分が悪くなったら呼べ」

それが精一杯だった。
紅潮した肌の一部や潤んだ瞳……うっすらと開いた濡れた唇……惚れた女のそんなもん見て、欲情しねぇわけねぇ。
既に半勃ちだ……どうしろって言うんだ?
だが、我慢しかねぇだろう?

てめぇの出番はねぇよと見ても、治まるもんでもねぇ……

仕方ねぇ、シャワーでも浴びながらどうにかするかと立ち上がった。必然的に目はベッドの方へと向くが、それも追い討ちを掛けた。

暑かったのか、シーツを退かしてタオルだけの姿が目に入り、急いで脱衣所へと逃げ込めば、ナマエの着ていた物が目についた。これもヤバいとさっさと脱いで扉を開ければ、とどめとも言える全裸のナマエを思い出してはもう、限界突破だ。
蛇口を捻り、勢い良く浴びながら握った。

罪悪感と嫌悪感が残る……不快な気分だったが、これで遣り過ごせるだろうと浴槽に沈んだ。

ガキじゃあるまいし……

フッと笑ってみたものの、虚しさに息を吐いた。

程好く暖まったところで風呂から出て部屋に戻ると、寝返りをしたのか、俯せで背中が丸見えだった。当然尻も。

勘弁してくれと思いながら、服をベッドの隅に置いてやり、シーツを掛け直した。

「ゆっくり休めよ」

寝ているだろうナマエの頭をひと撫でして、俺はソファーに横になった。




兵長は優しかった。でも、裸の私には興味も無いのか、何にもしなかった。
お風呂から戻って来る前に、わざと背中が丸見えになる様な格好で寝てみたけれど、シーツを掛けてくれた。

私には魅力が無いんだ……

前に分隊長が言っていた。目の前に裸の女がいて手を出さない男は殆ど居ないって……それでも手を出さないのはきっと興味も無ければ魅力も無いからなんだ。
急に悲しくなった私は、そのまま毛布を抱き締めて眠ってしまった。




時折聞こえる衣擦れの音に、いちいち耳が反応する。予想通り、俺は眠れぬ一夜を過ごした。

窓から朝日が射し込み、ナマエが服を着る音が聞こえた。我慢大会か拷問かと思った時間は漸く終わりを告げた。

「起きたのか?」

寝転んだまま、声を掛けた。

「昨夜は……」
「不可抗力だ、許せ」
「そんな、悪いのは私ですから……」

近付く足音に俺も起き上がった。だが、まだ、顔は見れなかった。

「馬車の様子を見てから、食いもんでも探すか」
「……はい」

宿を出た俺達は、馬車の前まで来て直っている事がわかった。
車輪が付いているし、傾いてはいない。

「飯を買いに行くぞ」
「えっ?」

声は掛けないのですか? と、焦った様子のナマエに工房の奥を指差してやれば、理解した様だった。
夜通し頑張って疲れたのだろう。机に寄り掛かって寝ている親父が見えた。




直った馬車に乗り込み、その後は順調に走り、昼過ぎには兵団へ戻った。
本来は俺の仕事では無かったからか、書類はナマエが全てやると言うので任せる事にした。出来たらサインだけすればいい。出来たら持って来いと言って別れた。

結局、馬車でも一睡も出来なかった俺は、執務室へ行ったものの、そのまま仮眠室へ直行してしまった。
1日半振りのベッド……酷く疲れたと思いながら目を閉じた。

目が覚めた時にはもう夜だった。食事の時間もすっ飛ばして寝ていたらしく、それなら自室に戻るべきだったと、後悔した。
急ぎの書類だけ片付け、自室に戻った俺は、珍しくまた眠った。




「兵長、書類が出来ました。サインをお願いします」
「あぁ、此方にくれ」

座ったまま手を出すと、近付いて渡してくれた。

「あ、あの、兵長……」
「何だ、どうかしたのか?」

目を通していた書類からナマエへと視線を遣れば、恥ずかしそうに視線を泳がせた。

「宿のお金なんですが、私が払います」
「俺が泊まると決めたんだ、気にするな」
「でもっ……それじゃ」
「気が済まない……か?」

コクンと頷いたナマエに、俺は少しだけ意地悪を思い付いた。どんな反応をするのかを見てみたかっただけなんだが……

「なら、その分で俺を誘え……何処かで一泊しよう」

大きく見開いた目が揺らいだ。
すぐに「冗談だ」と言ってやるつもりが、見入ってしまった。

「わ、私で良ければ……ご……一緒に……」
「……っ、おい、本気か?」
「こんな事、冗談では……」

立ち上がって引き寄せたが、何の抵抗も無く腕の中に収まった。

「誘ってくれるなら、食事でいい」
「えっ? は、はい、お食事に行きませんか?」
「あぁ、俺で良ければ……」

行くんじゃ無かったと思っていた視察だったが、何が功を奏したのか、ナマエはもう怯えてはいなかった。

嬉しさで、強く抱き締めると頬を染めていた。

これからだ……と、暫くそうしていた。

End



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