1 世界中を旅する兄から、封書が送られてきた。 どこにでも手に入りそうな茶封筒で、兄らしい乱雑な文字で僕の名前と住所が記されている。封を切れば、中から小指の先程の小さな欠片が出てきた。 ついでに、兄からの簡単な手紙。近況も何も書かず、この石の名前の走り書きと「大事にしろ」と書かれただけの手紙だ。瑣末なことを気にしない兄らしい手紙に、僕は思わず噴出す。 「兄さんは相変わらずだ」 兄は一応地質学者という肩書きを持ち、世界各地の地質の研究に明け暮れている。僕と最後に顔を合わせたのはいつだっただろう。覚えていないが、だいぶ前のことだと思う。 僕は、手の中の石を見た。 「風信子鉱(ヒヤシンスコウ)、ね」 多分原石なのだろう。 透明度も何もない石だったけれど、僕にはこっちのほうがいい。鹿毛のような色が、この石を採掘した大地そのもののカラーをしている。 僕は、風信子鉱の表面に触れてみた。コツコツと頭を突き出す小さな尖頭は、カステラの上に薄くひいたザラメのようだ。一見するとお菓子のようで、思わず僕のおなかが鳴る。 あー、そういえば朝から何も食べていないんだった。 僕は、ジャケットを取った。 久しぶりにあの店へ行ってみよう。 「海猫亭」と書かれたオークの看板を掲げる、海岸沿いの喫茶店が僕ら兄弟のお気に入りだった。 自転車を10分程走らせた場所にある、庭付きの小さな建物だ。庭には四季折々の花が咲く。 「こんにちは」 オークでできたドアを開ければ、来客を知らせるベルが軽やかな音を出した。 ベルを聞きつけたのだろう。キッチンから初老の男性が顔をのぞかせる。 海猫亭のマスターだ。みんなからは、黒尾さんと呼ばれている。本名は別にあるらしいのに、なぜそう呼ばれているかは未だもって謎だ。 「やあ、一人で来るなんて珍しいね。お兄さんはどうしたんだい?」 「兄は、まだ海外です。今日は僕ひとりだけです」 入り口から一番奥の席に座る。 それが、兄と僕の指定席だった。半月形の店内は、カウンターに沿うようにフロアが広がり、カウンターと反対の壁はほとんどフランス窓になっている。 海猫亭の売りの一つだ。店内から庭と、その先にある海が臨める。四季折々の植物の向こうに覗く海を見ながら飲むお茶は格別だ。きっと、これが何事にも執着しない兄のお気に入りになりえた理由の一端だと僕は思っている。 「そうだ。新作のお菓子を作ったんだ。食べてみてくれないか」 黒尾さんが、僕の返事も待たずにキッチンへ引っ込んだ。 彼の作る新作のお菓子は、いつも兄と僕で試食させてもらっている。 この海猫亭の自慢は、景色だけじゃない。黒尾さんの作るお菓子目当てのお客さんも少なくない。それほどまでに、彼の作るお菓子はおいしいのだ。 「さあ、どうぞ」 僕の目の前に差し出されたのは、ガラスの器に盛り付けられた桜色のジェラートだ。 控えめにかけられたフランボワーズのソースとの彩りが美しい。 「ソメイヨシノの花弁から作ったんだ」 桜の花びらを模したスプーンでジェラートをすくう。先人達が太古から愛した香りが僕の鼻先を漂った。 冷たい氷の感覚が舌先で溶けてゆく。桜の花そのものを口に含んだかのような色合い豊かな味わいは、筆舌に尽くしがたい。 桜は兄の好きな花だ。黒尾さんが作ったこのジェラートを見れば、普段朴念仁な兄でも表情が変わるかもしれない。まるで、新種の鉱石を発見した瞬間のように目を輝かせるかもしれない。 |