Opening Bell

 がりり、がりり。 くち、くちゃ。

 咀嚼の音が夜闇に響く。昨晩の雨のせいだろうか、コンクリートはひどく湿っていた。

 工場内は暗い。今では誰も訪れないこの廃工場は、寂れた空気を生み出している。 埃の匂い、それ以上に、鉄の匂い。血の匂い。その音はあまりに異質であった。何か……肉を食らっているような。ぴちゃり、ぴちゃりと、血液を弾く音がする。

 「__美味しい。」

 少年はうつ伏せの状態から立ち上がり、ぐい、と腕で口元を拭う。セピアの風味を帯びた血が少年の袖口を汚す。真白なシャツが、濁った朱に染まる。

 天井を見上げる。彼は再びしゃがみ込んで、何かを思い切り引きちぎった。 ぶちぶちぶち。

 「……ディナーとしては、上出来かな。」

 彼は引きちぎった“何か”を放るように投げ捨てた。“何か”は何度かゴムのように跳ね、工場外へと転がっていく。上空で雲が流れた。 現れた月が照らしたそれは、

 人間の、手首であった。



Opening Bell



「アクト、おいアクトってば__アークートっ!!」

「何だよ、うっさいなぁ。」

 机に突っ伏して寝ていた僕は、友人の声で目を覚ました。んーっ、と大きく伸びをする。寝ぼけ眼で顔を上げ、黒縁の眼鏡をかけ直す。 僕はクラスメイトに目を向けた。

「よっアクト。遅いお目覚めですなぁ、もう昼休み終わったぜ?」

「うっそ。」

 慌てて時計に目をやれば、なるほど針は一時を指していて。……ちょいとうっかりしすぎじゃないの。

「次移動だぞ?」

「だよねやっば、ありがと、助かった。」

「どういたしまして。」

 んじゃ俺、先行ってっぞ。彼はそう言い残すと、教室を出て行ってしまった。 どうせなら待ってくれればいいのに……妙なところで薄情だな。

「っと、早く着替えないと。」

 再び時計を見て焦る。あと五分しかないじゃん__次、体育なのに。





「よく間に合ったな!」

 友人の声に苦笑を返す。授業の前から息上がってるよ……バカじゃないの僕。

「体育とかたりぃー」

「だよね。あーあやだなぁ、外寒いし。」

 列に並んで、隣の奴と愚痴り合う。風が冷たい。ジャージだけじゃ結構寒い。

「あーそうそう、朝ニュース見てきた?アクト。」

「朝?いや、今日は見てないや。」

 準備運動しつつ、返す。と、彼は下世話な笑みを浮かべた。

「昨日もまた一人__いなくなったらしいぜ。」



 天ノ宮連続失踪事件。最近のニュース番組は、この話題で持ちきりだ。

 天ノ宮とは、僕らの住む街の名前。そう、この事件の舞台は、残念なことに僕らの街だ。

 一人、また一人と、日に日に住民が消えていく。不気味なのは、まだ誰一人として死体が見つかっていないこと。指の骨、歯、そういう欠片は見つかるのに、本体はどこにもない。

 だから連続失踪事件。 生死すら、不明。



「怖ぇよなー。いなくなった人たちって、何の共通点もないんだろ?」

「らしいね。」

 個人個人で付き合いがあった場合もなくはなかった。が、もし犯人がいるとして、ソイツがターゲットを絞った理由にはなりそうにない。せいぜい二、三人が交流を持っていた程度だ。すでに十人以上がいなくなっている大規模な失踪事件__そのヒントとしては、使えない。

「唯一の共通点は、」

「失踪者全員が天ノ宮に住んでいたこと。 それだけ。」

「……不気味だよなぁ、だって一部しか見つかんないんだぜ?」

「見つかった部分で一番大きかったのは……足、だっけ。」

「そう。足首で引きちぎられた、男性の左足。」

 バラバラ?監禁?犯人の意図は何?

「気持ち悪ぃー」

「足だけってのがね、どうもね。」

 キチガイだよ、キチガイ。キチガイのやることだ。

 クラスメイトはそう言って、静かに屈伸を始めた。僕は腕を伸ばしながら、彼の言葉に思いを馳せる。

 キチガイ、ね。





「……寒ッ。」

 はぁ、とため息をつくと、息は白くなって浮かび上がった。ってことは、今10℃以下なのか。 くだらない知識を思い出す。

 一人で帰るのはなかなかに寂しい。一人ぼっちで歩いていると、北風も余計に堪える。僕はマフラーに顔を埋めた。

 何かいいこと、ないかなぁ。

 ざっ、ざっ。 靴が砂を蹴る感覚。うつむいて地面を見る。本当に平凡な夕暮れ。

 平凡な。

「……あれ?」

 顔を上げ、息を吸ってみる。やっぱりだ、匂ってきてる。僕はこの匂いに鋭い。

 匂いにつられて路地を曲がる。突っ切って入って曲がって下りて、橋を渡ってひたすら歩いて。気づけば家から離れてしまった。まぁいい、ここまで来たら突き止めてやろう。 匂いが強くなっている。僕は細い路地に入った。

「あ、」

 あ。

 あぁ。 なんだ、これ。

「__死体、じゃん。」

 僕の目に映ったのは、倒れ伏す一人の少女。制服からして、僕の学校の生徒だろう。その髪型には見覚えがあった。おそらく、僕の後輩だ。確実、間違いない。いい匂い、僕が愛する匂い、大好きな食物の匂い。

 血の香り。

 首筋から流れるその液体。赤。目が釘付けになる。美味しそう、綺麗、美味しそう。僕は浮き立つ心を隠しきれずに、思わず舌なめずりした。 構わない、どうせ誰も見ちゃいないんだ。

「__デザートには、丁度いいかな。」





「すっきりした。」

 くるくるくる。ナイフの柄を、ペン回しみたく指でいじくる。人を切ったばかりというのに、水で洗っただけのそれは夕日できらめき美しく光った。気分がいい。鼻歌の一つも歌いたい気分だ。脳味噌が、いい感じ。いい調子。

 でも、

「__誰だよ、死体隠してんのは。」

 引っかかるのはその疑問。俺が殺した人々を、隠してんのは一体誰だ。

 あんまりにも堂々と置いてたらバカみたいだから、路地裏とか廃工場とか、人目のないところに置くようにはしてるけど……警察だったらすぐ見つけられるはず。第一、俺はむしろ見つかってほしいんだから。

 証拠なんて残していない。死体が見つかったところで俺に捜査は及ばない。失踪事件、だなんて、お茶を濁されるのは気に食わない。捕まりたい訳じゃないよ?もちろん。だけど、俺が犯した殺人が、他の誰かの手柄になるのは__ちょっとだけ嫌な気分だ。

 指だの足だの、ろくでもないモンばっか残しやがって。これじゃまるで猟奇殺人だ。俺はただ殺したいだけで、ぐちゃぐちゃにしたいわけじゃない。

「……イラつく。」

 ってオイオイもったいないじゃん。せっかく気分がいいっていうのに、イライラするのは馬鹿馬鹿しい。考えないようにしよう。

 ほら、今日は早く帰らないと。 せっかく妹が家にいるんだ。





「んぐ、__うは、はぁっ、ん、くはっ、あは、」

 血液を嚥下する。ねっとりした液体のその味を、感覚を、焼き付けるように味わい尽くす。細腕にかじりつき噛みちぎると、皮膚が嫌ぁな音を立てた。ぶちぶちっ、でも、この音は好き。食欲が増すから。体が熱い。特に、頬が。紅潮してるんだろうなぁ。まぁいい、どうせ血も飛んでるんだ。少しくらい赤くたって目立ちはしない。

「……もういいか。お腹、いっぱい。」

 座り込み、手の甲で口元を拭う。制服が汚れてしまった。バレずに帰れるかなぁ? 上着脱げばいいか。

 傍らに置いた眼鏡に、手を伸ばす。黒縁の眼鏡に血液が付着する。その赤は、眼鏡の黒に映えてしまっていた。立ち上がり、血だらけの手を舐める。ゆっくりと、丁寧に、その赤が見えなくなるまで。バレるとかバレないとかじゃない、もったいないでしょ?食べ物は粗末にしちゃだめだ。

「ん……美味しかったぁ……」

 自然と頬が緩むのが分かる。恍惚感、充足感。満たされる。

 天ノ宮連続失踪事件。本当は連続殺人なんだろう。僕が事態をややこしくしてる。 僕が死体を食べちゃうから、その骨を埋めちゃうから__死体は一部しか見つからないんだ。僕の、食べ残ししか。

 でもさぁ、僕は殺してる訳じゃない。目の前に御馳走があって、周りには誰もいないのに、食べちゃダメなんてひどくない?僕はそんなに悪くないはずだ。……きもちい、な。あたまがふわふわしている。鼓動の速さも体温も、全部全てが心地いい。きもちいい。

「__帰ろう。」

 コートを脱いで肘にかける。僕は路地を後にした。

 明日も、明後日も、平凡な僕を演じる為に。


何となく作ってみたキャラクターで一個、書いてみました。続くかも?



2011/01/09:ソヨゴ