after | ナノ





 車が泥を跳ねるから、慌てて避ける。なんなのよ、と頬を膨らませてみせても、どうせ伝わりはしない。私は溜息をつきつつもお腹を庇うようにして歩き出す。
 この町は好きだ。長閑に連なる商店街は閑古鳥が鳴いているし、すぐそこに山があるし、田園風景は郷愁さえ覚えるくらいの田舎だけど。でも、のんびり過ごせるのはなんだか気分が良い。
 ここに落ち着いて数年。やっと、息が出来るようになった気がする。
 空を見上げると、くすんだ青空。嗚呼、今日も良い天気。


「ミクちゃん、気をつけて歩きなよ」
「平気平気」


 声をかけてくれた町のおばさんに手を振って笑う。なんて、平和。

 あれから、この国は上へ下への大騒ぎだった。それはそうだろう、大統領一家が殺害されたのだから。焼け跡は高温すぎて、正確に何人死んだのか、誰が死んだのか、わからない有様だったらしい。私は逃げるのに精一杯で、それ以上の情報は知らないけれど。
 あの頃、何が嘘で何が本当かも知れず、自分すら信じられず、自らの罪に溺れそうで、自らの欲望に負けそうだったあの頃。
 何も見えない中で、それでも一つだけ、学んだことがある。

 人の顔に執着していた彼女。
 敵も味方もいなかった彼。
 偽りの兄となり武器を作り続けた彼。
 無関心と憎悪を身に潜ませた彼。
 何かを屈折させた彼女。

 そして。

 父親を憎み続けた、あのひと。
 正義なんて空々しいことを騙っていた彼女は誰より「正義」を信じていなかった。
 何故なら、憎んだその人が唱えたお題目に過ぎない、ただの皮肉だったから。

 ミク、と呼ばれた声に顔をあげると、ミクオが道の向こうで手を振っていた。迎えに来てくれたんだ、嬉しくなって少し小走りになろうとして。
 ミクオの表情が凍りついたことに気付いた。


「正義なんて存在しない。そして」


 かちり。昔馴染んだ冷たい音。後頭部に当てられた冷たい温度。
 聞き覚えのある声は、笑みを含んでいる。振り返らなくても、わかる。ミクオが走り出した。でも、間に合わない。
 ああ、私は――


「自由なんてものも、幻だわ」


 ばぁん。








END

20160529
atogaki