顔を洗い、私はリビングへと歩みを進める。
一人暮らしにしては随分と広いマンションだなとぼんやり思った。
視線を別の方向に向けるとカウンターキッチンがありレンの背中が見えた。

「あの、何か手伝うことありませんか?」

そのまま待つのも落ち着かなくて私はそろりとキッチンに近づいて声をかける。
コンロの前に立っていたレンは私をちらりと見ると少し考えるような仕草をする。

「じゃあ、もうすぐパン焼けるから出してくれ。皿はそこの棚にある」
「はい」

言われた通りにお皿を取り出して食パンをトースターから移した。

「飲み物牛乳でいいか?よかったら冷蔵庫から出しといて」
「分かりました」

他の家の冷蔵庫を開けていいのかと一瞬躊躇ったものの言われたんだしとそっと開ける。
少し大きな冷蔵庫にはしっかりと食材が入っているようだ。
意外だ。

「どした?」
「なんでもないです」

牛乳を取り出しながらそう誤魔化した。
きっと誤魔化しきれてはない。

レンの方も不思議そうにしながらも追及することはなく、出来た朝食をテーブルへと運んでいった。

「ん、どうぞ」

そう言って並べられた朝食はこんがりと焼けた食パンにカリカリのベーコン、そしてふわふわのスクランブルエッグ。
美味しそうな朝食に思わず見惚れる。

「…食わねぇの?」
「食べますっ!えっと、いただきます」
「…いただきます」

スクランブルエッグを口に運ぶ。
ふわふわとろとろ加減が絶妙だった。
私自身料理をよくするから分かる、これ料理手馴れてる人の味だ。

「美味しい…」
「なら良かった」

私の反応にレンは小さく笑って自分の食事を続ける。

「料理されるんですね」
「ああ…ずっと母親と二人暮らしだったから、家事は昔から結構やってた」

その言葉にはっとする。
彼は、今も一人なのだろうか。

「お母さんって、今は…?」
「……」

黙ってしまったレンに立ち入ったことを聞いてしまったと気付く。
今のレンがあの頃と同じならばこれは聞いちゃいけない。

「す、すみません!言いづらいなら別に…」
「海外を飛び回ってるよ」
「…え?」
「仕事の都合でな、あちこちと。楽しそうだから別にいいけど」

ぽかんとしている私とは対照的にレンは至極あっさりと話す。

「…寂しくないんですか?」
「別に…俺が中学卒業するまではなるべく同じ時間を過ごそうとしてくれてたから。これからは好きなことしてくれって俺から言ったんだ」
「…そうですか…」

涙が出そうだった。
よかった。今のレンは一人じゃない。
それが、何よりも嬉しかった。

「お前は親と暮らしてんのか?」
「私ですか?今は実家からだと学校遠いので一人暮らしです。でも、二人とも優しいし、心配ばっかりかけてますけど私の好きにさせてくれてます」

両親という存在を今回で初めて知れた。
しっかりしてるけど優しいお母さんと心配性だけど私を信頼してくれているお父さん。
すごくあったかくて幸せな家庭で過ごせていることにとても感謝している。

「…そっか」

そう言ったレンの顔はどこか安心したようなそんな表情で。
もしかすると、と思った。
いや、期待はしちゃダメだ。

食事を終えて、片付けを手伝った後、少しだけヒメルと遊ばせてもらう。
ヒメルも嬉しそうにじゃれてきてくれて私も嬉しかった。

「そういえば…」
「はい?」
「名前、教えて」
「…え?」

突然のことに目を丸くする。
昨日のあの場で自己紹介の時間があったからレンは私の名前を知ってるはずだ。

「…まだ、俺に対してはあんたは名乗ってない。それに俺も」
「……」

気付かれていたんだろうか。
レン自身から聞いていないから私は名前を呼ぶのをどこか躊躇っていたことに。

「俺は大島蓮。あんたは?」

レンはこの縁を繋ごうとしてくれている。
なら…私も心を決めよう。

「…空。飯橋空って言います。よろしくお願いします、えーと、大島先輩?」
「蓮でもいいよ。そっちの方が慣れてる」

ふと、初めてレンの名前を知った時のことを思い出す。
自然と笑みが溢れた。

「よろしくお願いします!蓮先輩」
「…ああ」

その表情はあの時と同じだった。

こうして私はまた始めていくことになる。
前世の記憶を持たない彼と。





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